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ジャングル出身モデル・小林サラ アルマーニ氏に呼ばれて、15歳でパリコレに その2

佐藤智子プロインタビュアー、元女性誌編集者
木に登る、滝に飛び込むは日常的な遊びのひとつ 撮影/ケイコ・フォレスト

アルマーニ氏も見初めたという話題の新人モデルがいる。小林サラ。現在、17歳。

14歳でモデルになって、最初の仕事は、いきなり、EDWINの広告。コカコーラにナイキにワコールに。ファッション誌、CM、次々と露出していく彼女のプロフィールで注目すべきことは、ハワイ島プナ地区のジャングルで育ったということ。 

その母親、ケイコ・フォレストさんは「ヤナの森の生活」の著者であり、親子は、ジャングルで電気も水道も通っていない生活を送ってきた。ソーラーパネルでためた電力を使い、雨水を濾過した水を使う暮らし。ジャングルの奥地の広大な敷地に、女手一つで数年かけてエコビレッジ「THE VILLAGE」という洗練された施設を作り上げ、ジャングルスクール「nest」を運営。食べられるジャングルとして、フルーツなどの植物を育てる。

その中で育った小林サラのナチュラルな生活。夢のつかみ方。深い絆の親子関係。

まだ、たどたどしい日本語を話す彼女のピュアさに引き込まれつつ、芯の強さを探っていく。

今回、小林サラとケイコ・フォレスト親子のリレーインタビューをおこなった。

キラウエア火山噴火、溶岩が流れ、移りゆく大自然の中で、野性的でありながらエレガントに生きる親子。ジャングルでも都会でもタフに生き抜く力を垣間見た。

あどけない表情とエキゾチックな容姿がピュアで魅惑的なイメージをもかもし出す 写真提供/asiacross
あどけない表情とエキゾチックな容姿がピュアで魅惑的なイメージをもかもし出す 写真提供/asiacross

―― ジャングルから東京に来ていきなり受けたオーディションは、どういうオーディションだったの?

サラ 何か新しい事務所ができて、水原希子さんが所属している事務所。“次代、水原希子”のオーディションを受けたの。

―― あの人気モデルの、水原希子さん、すごいね。どれくらいの募集だったんだろうね、人数は。聞いたことある?

サラ あるけど、何かすごく多かった。多分3000人くらい、受けたのかな。

―― でも、そういうモデルになりたい人っていうのは、小さい頃から目指している人や、レッスンとか受けてる人とかじゃないの?

サラ そういう人もいたし、楽しそうだから受けたという人もいるし、事務所に入りたい人もいたし、いろんな人。

―― ジャングルから初めて東京に来て、いきなりモデルのオーディションを受けるっていうこと、なかなかないよね。

サラ びっくりした。

オーディションで言ったことは「特技は木登りと滝に飛び込むこと」

―― モデルのオーディションって、どういうことするの? よくあるじゃない、長いテーブルがあって横に4人ぐらい審査員が並んでいて、その前で何かしゃべるみたいな、そういう感じ?

サラ うん、ありますね。いっぱいステップがあった。1番目のオーディションは書類選考で、女の子がだいたい30人になって、それで2番目のオーディション行って、どんどんちっちゃくなるのね、サークルが。最後は15人とかに。

―― 絞られるわけね。ファイナリストは15人くらいいて。それまでは、あんまりしゃべらないの? ウォーキングだけとかそういうこと?

サラ 最初は、プロフィールを送る、顔とか身長とか、何が好きとか書いて送って。

―― プロフィール写真も撮って。どんな写真を送ったの?

サラ やっぱりジャングルで、メーキャップもなんにもしないで。髪の毛もその時海で焼けていてブロンドになっていて、ちょっと汚かった感じ(笑)。

―― ジャングルの中で普通にスッピンで撮って。プロフィール写真と、好きなことは、どういうことを書いたの?

サラ 木登りとか。

―― 特技、木登り(笑)。いいねえ。木登りって言ったって、普通の木じゃないんでしょ。

サラ 普通の木じゃない、やっぱりすごく高い。ビルで言ったら、3~4階ぐらいの高さ。

―― わあ、そんな木に、登れちゃう。

サラ うん、登るのが好きだったから。

―― 木登りとか書く人いないだろうね、多分、東京にはね。

サラ ね、うん。

大自然で培われた、しなやかな身体 撮影/ケイコ・フォレスト
大自然で培われた、しなやかな身体 撮影/ケイコ・フォレスト

―― そういうのを送ったら、書類選考で受かって。その後はウォーキングとかするの?

サラ そうですね。スポンサーの人もいて、事務所の人もみんないて。それで目の前に座って、女の子が一人ずつ、話すのね。

―― どういうことを言ったの?

サラ その時は、日本語が上手じゃなかったから、頑張って書いてお母さんと練習して。「はじめまして、小林サラです。ハワイから来ました。いつもやってることは滝から飛び込んだりとか、木登りしたりとか、そういう感じです」とか。

―― その時の、リアクションはどうだったの? みんなの反応は?

サラ 「おー、そっか」って結構みんな真剣だった。

―― 「おー」ってやっぱりなるよね。他の子の話も聞いたの。自信はあった?

サラ 別の部屋にいたから聞けなかった。自信はちょっと持っていた。ハワイから来たし、「オーディションを受けたら」って言ってくれる人がいたから。でも、みんなきれいだったし、初めてそういうことやるから、もちろん、自信あったけど、なくなってきて、半分半分。

―― だって、ウォーキングもしたことないでしょ。

サラ したことないですね。

―― 衣装とかどうしたの? 服は?

サラ 衣装は日本に来て買ったの。白いパンツ。上は自分のTシャツを着て、ヒールは初めて履いて。それまで、ビーチサンダルしか履いたことがなかったから。

―― おお。じゃあ、日本に来て、急に、もうオーディションということで。

サラ はい、買いました。髪も生まれて初めて美容院に行って切って。

―― それまでは?

サラ それまでは、お母さんに切ってもらっていたから。

―― そうかあ。いいねえ。そうやって、準備したら、セミファイナルまで残って。

サラ はい。最後に、ステージにみんなが並んで「はい、この人が勝ちました」ってなって。

―― それで2位になって、晴れてモデルになることになったんだね。

サラ はい、そうですね。3人が選ばれて。その後3人でステージに上がって、プレスとかカメラマンの人がたくさんいて。いっぱい写真撮られてびっくりした。そういうことやったことないから、急に何か、わーとなって緊張しました。

次代、水原希子を決めるオーディション。3000人の中から2位に選ばれて(左から二人目) 撮影/ケイコ・フォレスト
次代、水原希子を決めるオーディション。3000人の中から2位に選ばれて(左から二人目) 撮影/ケイコ・フォレスト

―― それって、ジャングルやビーチでみんなで遊んでいて、オーディション受けるとなってから、1カ月くらいのことのでしょう?

サラ はい、そうですね。

―― すっごく人生変わったよね。

サラ 変わりましたね。

―― そのスピードについていけてる? その時、ついていけた? 

サラ ああ、その時、若いからいっぱいエナジーも持ってるし、そういうこと好きだから。

―― じゃ、すぐに、動けた感じ。

サラ うん、新しいことやるのが好きだから。

ジャングルと東京、行ったり来たりでもすぐになじめるのは

―― 実際モデルをやるってことになって、いよいよ、じゃあ、引っ越ししなきゃとか。

サラ はい、行ったり来たり。

―― いや、何がすごいってね、大自然の中で住んでいる人は東京に来たらびっくりするでしょ、この人混みに。

サラ ああ、そうですね、面白いね。

―― ジャングルから東京、このギャップは大丈夫だったの? どうだったの?

サラ それがちょうど良かったと思う。東京に行くと、いろんな人がいて、お店もいっぱいあって、食べ物もすごくおいしいものがいっぱいあったから。

―― 例えば、どんなものを食べていたの? おいしいものっていうのは。

サラ 日本のクレープが好きだった、原宿で買うやつ。それがすごく好きで。

―― ジャングル育ちだと、こんな人混みで空気悪いとか、そういうのもないんだ。

サラ 最初はなかった。若くて、そういうことに気づいてなくて、新しかったからいろんなことが楽しくて。

―― ストレスもなくて楽しいみたいな感じで。

サラ うん、お母さんも一緒にいつも来てたし、安心だった。でも、やっぱり、最近は、ハワイに帰るのがうれしく思える。ゆっくりできるなあって。

東京とハワイ島を行ったり来たりの生活でもお母さん(ケイコ・フォレスト)と一緒なら安心できた 撮影/森幸映
東京とハワイ島を行ったり来たりの生活でもお母さん(ケイコ・フォレスト)と一緒なら安心できた 撮影/森幸映

―― 東京で仕事するとなると、どれくらいいたの? 

サラ その頃は、日本に2週間だけいて、また帰って2週間ハワイにいての繰り返し。

―― じゃ、ほんとに行ったり来たりだね。東京に来たら、すぐ地下鉄に乗ったりできるんだ。

サラ 最初はお母さんにずーっとついてた。どこも分かんなくて。でも携帯をゲットして、電車のアプリがあって、どんどん自分で乗れるようになって。

―― いつから一人暮らしを始めたの?

サラ 15歳まではお母さんがついてきてくれていて、そのあと、1年半ぐらい前から自分で来てて。やっと1年前に、名古屋のおばあちゃんの家に引っ越してきて。今は、東京と名古屋、半分半分で。

―― ジャングルには最近ではいつ帰った?

サラ 最後帰ったのは今年の6月。

―― じゃあ、4か月は帰ってない。どうですか? この生活と。やっぱりホームシック?

サラ ああ、そうですね、そんな寂しくなんないけど、帰りたい気持ちはよくある。ちょっとリラックスしてお母さんのところにいたいとか。

―― ああ、そっか、そっか。

サラ 東京に来てから、いつもお外で食べてるとか。

―― 外食が多くなっちゃって。じゃあ、都会だからとかじゃなくて、ファミリーと一緒にいるかいないかということだね。そっちのほうなんだね。

サラ そうだね、うん。

―― そうなんだね。じゃあ、環境的にはすぐに順応はできるのね、どこに行ってもね。

サラ はい、そうですね。でも、やっぱりお母さんが作った食べ物がほしい。

―― 食べたいよね。

サラ うん、食べたい。

―― そうだよね。東京でのモデルの仕事はどんな感じ? 慣れた?

サラ もちろん慣れてきた。どこでも行けるし。

―― もうそんな感じなんだ。モデルになることになって、ジャングルの友達はどんな反応だったの? オーディションを受けてモデルになったって言ったら。

サラ みんなすごいハッピーだった、サラがこういうことできて、こういうことになって。最初は、1カ月で2週間ぐらいはお友達に会えてた。でも、学校も普通の学校やめてコンピューターの学校に行くようになったから、どんどんお友達に会えなくなって。サラは1人でいるのも好きだから大丈夫だとは思ってたけど、やっぱり時々お友達に会うとうれしくなるから。

―― 友達は、サラちゃんがモデルになることに対しては「良かったね」って感じなの?

サラ うん、良かったって。「おめでとう」って。日本にいるといつもメッセージで「帰ってきて」って言うから。

14歳でモデルデビューしてから次々と仕事のオファーが 写真提供/asiacross
14歳でモデルデビューしてから次々と仕事のオファーが 写真提供/asiacross

モデルになって、最初の仕事は、EDWINジーンズ

―― 最初のモデルの仕事は、どんなお仕事をしてたの?

サラ 一番最初はオーディションで勝って、スポンサーがEDWINジーンズだったから。

―― いきなり仕事が来て、どうだった? 

サラ でも、その前からテスト撮影とかしていたから、ポーズ、練習して頑張って。

―― それから、コカ・コーラとか、NIKEとか、どんどん自分がCMとかポスターに出て。レッスンとかしなかったの? もう、いきなりボーンって。

サラ そうですね、自分で練習した。ウォーキングレッスンも1回くらいだけ行って。

―― はー。じゃあもう、現場に行って、「そこ立って」「はい、はい」みたいな感じなのね。

サラ はい。でも、日本でモデルするの、すごく楽しい。一緒に仕事している人はみんなすごく優しい。新しいのを知っているから「こういうことやってください」とか言って。

―― ああ、そうか、そうか。まだ新人だし日本に慣れてないから、みんな優しいんだね。みんなかわいがってくれて。

サラ うんうん、はい。だから、やってる間にどんどん習って。

―― サラちゃんといえば、アルマーニ氏に見初められたというね。どういうことなの、それは。ブランドのアルマーニから連絡が来たの?

サラ はい、そうです。雑誌『SPUR』がアルマーニのタイアップページをしたのね。それでハワイ島で撮影して、おうちの近くで。

―― それは『SPUR』がハワイ島に取材に来たわけね。サラちゃんがモデルで。

サラ そうですね、みんなで。そのページをアルマーニさんが見て、素敵って。アルマーニのお洋服を着てるから。それで『SPUR』に手紙が届いたの。「すごく素敵な撮影でありがとうございました」と。

―― え、アルマーニさん本人から? 

サラ そこまでは分かんないけど、送られてきたらしい。日本のアルマーニのスタッフの人も知ってて、「アルマーニさんが気に入ってるから、また撮影して、今度パリスに来て」って言われて「ショーがあるから」って。

―― で、行ったのね。

サラ そう。その時また、アルマーニとのタイアップページでパリスに行って撮影して。その時ショーもあったから。

―― それが、パリコレってこと?

サラ はい、パリコレですね。

―― すごいね。

サラ ええ、そうですね。

―― パリコレに何歳で行ったの?

サラ 15歳でしたね。

―― 14歳でモデルデビューして、ジャングルにいたのにパリコレにも行っちゃったんだ。

サラ はい、急に。

―― 1年たたずに。アルマーニさんに呼ばれて。アルマーニさんはどういう人なの?

サラ ショーの後、会って一緒に写真撮る時、すごく優しかった、「チャオ」と言ってくれて。もう80歳だけど、すっごく元気があって。パワーがあって、すごく優しいし。

―― どんな優しさなの? 優しいって、どういう感じ、声をかけてくれるの?

サラ その時、多分、サラが英語しゃべれるのが分かっていなくて、本人もイタリア語のほうが得意と思うから、イタリア語で「チャオ」って言って、私も「あ、こんにちは」って言って。いっぱい人が並んでたから、しゃべりたかったけどすぐ終わっちゃって。アルマーニの日本のスタッフが「ぜひ歩いてほしい」って言ったけど、その時まだ若いから、もっと年上になってウォーキングレッスンやったら、18歳になったら頑張ってしたいです。

―― うーん、すごいね。

自分がどんどん変わっていけるモデルの仕事が好き 写真提供/ALEXIASTAM
自分がどんどん変わっていけるモデルの仕事が好き 写真提供/ALEXIASTAM

―― モデル生活は、どう?

サラ 楽しいです、やっぱり、自分にどんどん自信持てる。撮影やると自分のアングルとかどういう表情をしたらいいとか、どんどん自信持つからすごくいいと思う。

―― それはどうして自信が持てるの? 撮られることによってみんなが「かわいいね」と言ってくれるから? それとも、中からにじみ出てくるの?

サラ ああ、何か自分で、うん、多分。ハワイに住んでた時はルックスのことをそんなに考えてなくて、やっぱり最初始めた時ちょっと「大丈夫かな」と思っちゃったけど、モデルをやっていくうちに、どんどん自分で分かる、どういう感じがいいか、どういうメークか。

―― みんながリクエストしていることも、応えられるようになるんだね。

サラ そうですね、うん。

―― だって、どんなにかわいくても、ジャングルに住んでたら自分がかわいいのかスタイルがいいのか、分からないものね。それを、みんなが見て「すごい」とか言ってくれるわけだもんね。ハワイに住んでる時も「サラちゃん足長いね」とか、いろいろ言われてたの?

サラ いや、みんな結構ハワイの友達、背高いから。

―― じゃ、もう、みんな普通に当たり前すぎて、あまりにもよく見てるから、あらためてサラちゃんのスタイルやかわいさをいちいち言う人はいなかったんだね。でも、日本に来たらみんなが振り向いたりするでしょ。

サラ そうですね、すごくびっくりした。恥ずかしかった。

―― 今、サイズ的には、身長は何センチぐらいあるの?

サラ 今、172とか。最近測ってないから。

―― 足も長いしね。サラちゃんは、ダイエットしたりとか、スタイルを良くするために何かしたりしたの?

サラ ダイエットはしたことない。お父さんもお母さんもすごく細いから私もそういう体型になって。いっぱい食べても太らない。

ヨガティーチャー養成のクラスを見学しているうちに、自然とできたポーズ 撮影/Shihoko Otsubo
ヨガティーチャー養成のクラスを見学しているうちに、自然とできたポーズ 撮影/Shihoko Otsubo

―― じゃ、小さい頃からビューティーに対して何かこういうのをしてきたとか、そういうわけじゃないんだね。自然の中で健康的に暮らしてて、ヨガのポーズも自然にできる。ワコールのCM見たけど、首だけで逆立ちできるみたいな。ああいうの、元々できてたの?

サラ ああ、はい、そうですね。家に、年1回、世界中からヨガの先生が来てみんなに教えるヨガティーチャーコースがあって。それでヨガの先生のライセンスが取れるのね、1カ月受けて。お母さんのエコビレッジでやってるから、横でただ見ててやっていて。

―― それを見てたら、ヨガができるようになっちゃったんだ。

サラ うん、みんなとちょこちょこやって。ヘッドスタンドやった時、ワコールのCMのやつ、すぐできた。本当は落ちないように、上のほうに棒があったのね。それが要らなかった、自分でできて、真っすぐにできた。

―― へー。じゃあ、小さい時から病気をするとか調子が悪いとか、あんまりないの? 健康? 

サラ そうですね、ハワイでは風邪ひくことなかった。

―― モデルの人って、ウォーキングレッスンやボディワークとか、ボディケアしたりするでしょ。サラちゃんは、木に登ったり、滝に飛び込んだりしてることがもうレッスン以上のことだったんだね。やっぱり、運動神経もいいの? 

サラ はい、そうですね。昔、いっぱい泳いでたし、バレーボールも学校でやってたし、運動が好きだった。魚釣りとかもした。山の中にポンド(池)があって、木を折って、手作りした釣り道具みたいのを作って、4匹くらいキャッチできた。

―― それは、お母さんが教えてくれたの? じゃなくて学校で?

サラ 学校も、お母さんも、誰も教えない。自分で楽しんで釣りをやった。

―― はー。そうやって自然の中で、自分でやってきたんだね。

その3につづく

その1はこちら

●小林サラの母、ケイコ・フォレストさんのインタビュー記事

その1はこちら

その2はこちら

その3はこちら

プロインタビュアー、元女性誌編集者

著書『人見知りさんですけど こんなに話せます!』(最新刊)、『1万人インタビューで学んだ「聞き上手」さんの習慣』『みんなひとみしり 聞きかたひとつで願いはかなう』。雑誌編集者として20年以上のキャリア。大学時代から編プロ勤務。卒業後、出版社の女性誌編集部に在籍。一万人を超すインタビュー実績あり。人物、仕事、教育、恋愛、旅、芸能、健康、美容、生活、芸術、スピリチュアルの分野を取材。『暮しの手帖』などで連載。各種セミナー開催。小中高校でも授業を担当。可能性を見出すインタビュー他、個人セッションも行なう。

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