続:中東の人民がウクライナでの戦争から感じる矛盾
ウクライナでの戦争の惨禍が拡大し続ける中、同国のゼレンスキー大統領が発信するメッセージも世界的な関心(称賛?)の的となり続けている。同大統領の本邦を含む各国の議会での演説は、各国の事情や歴史を踏まえてそれぞれの相手国の聴衆に訴えかけるものと評された。中東諸国や諸国の人民も、ウクライナでの戦争に伴う物価の上昇や食糧の供給不安にとても脆弱な存在だし、石油や天然ガスの需給という観点からはアラビア半島の産油国の政府や世論を動かすことは戦争の一環としてのプロパガンダの重要な目標のようにも思える。しかしながら、現時点でアラブ諸国をはじめとする中東諸国の人民に対し、ゼレンスキー大統領のメッセージは発信されていない。
中東諸国とかアラブ諸国と一言で言っても、個々の国には各々独自の利害関係や社会・文化的関係、言語、歴史的背景があり、一様ではない。地域を包括する国際機関も議会もない。アラブ諸国にはアラブ連盟や湾岸協力機構(GCC)があるが、今般の戦争について足並みをそろえてウクライナ支援・対ロシア制裁の行動をとっているわけではない。むしろ、戦争に対するアラブ諸国やその人民の反応は冷淡にも見えるほどであるが、その理由の一端は先般指摘した通り、中東の人民が中東やアラブ諸国に満ち溢れている「不正義」や「人道危機」を半ば放置する欧米諸国とその報道機関に共感できていないと思われることにある。そのような状況の中、有力紙も含むアラビア語の報道機関の一部がごく短いがなんだか奇妙で興味深い記事を掲載した。それは、「ゼレンスキー大統領は、安全保障が優先事項の筆頭となることはウクライナを大きなイスラエルのようなものにすると述べた」という趣旨の見出しで掲載され、記事の中身を読んでもこの見出しの発言の文脈や詳細を知ることができる情報は全く出てこない。しかし、「ウクライナが大きなイスラエルの様になる」とのくだりは、アラブの人民にとってはただならぬ響きを持つように思われる。
確かに、イスラエルにとって自国の安全保障は極めて重要な問題だ。同国から見れば、地域にも隣接地にも、そして足元の占領地にも「イスラエルの生存や安全」を脅かす国・武装組織・抵抗運動はたくさんある。その上、最近「イスラーム国」が自派の戦果と主張した襲撃事件は、国際的には間違いなく「イスラエル領」で、しかもイスラエル国籍を持つ者(アラブ人だが)による事件であり、イスラエルにとっての安全保障上の課題は増えこそすれど減りそうにない。しかしながら、もしゼレンスキー大統領がウクライナをイスラエルに例えて「(弱小だけど)自由や民主主義を尊重しアメリカやヨーロッパと仲良しな自国が、理屈の通じない暴虐な隣国から身を守ることを最優先している」という姿を意図しているのならば、それは中東とアラブの人民が目にしている現実とは全く異なる姿だと言わざるを得ない。イスラエルは、地域で最強の軍事力を擁し、中東唯一の核兵器保有国である。また、経済力や技術力においても地域で群を抜く存在であり、中東には本当にイスラエルを殲滅できるような力のある主体はない。そしてイスラエルは、常に自国の安全保障上の懸念を主張し、「脅威」に対してはいつでも予防的に(=要するに先制攻撃で)対処してきた。また、イスラエルの軍・占領当局・入植者は彼らと比べれば徒手空拳同然の被占領地の住民を追放し、財産を奪い、容赦なくぶちのめす存在である。2020年来のアラブ諸国の一部によるイスラエルとの関係正常化は、このような現実を認めたアラブの為政者の一部がイスラエルに屈服・迎合して自らの利益を確保しようとする動きともいえる。
筆者は、中東社会の一員でも、アラブでも、ムスリムでもないので中東の人民の何かを代弁するなどという大それたことをするつもりは一切ない。しかし、(ウクライナはイスラエルと同様に)暴虐な近隣国から身を守らなくてはならないという趣旨らしき上記のゼレンスキー大統領の発言は、欧米諸国向けとしてはイメージに合致するかもしれないが、中東の人民の認識とはまるで一致しないように思われてならない。今般の戦争に際してのウクライナの情宣戦術において、中東諸国とその人民は支持や共感を呼びかける対象として認知されていないのかもしれない。中東の人民の少なくとも一部は、現在彼らが目にしている「不正義」や「非人道」や「脅威」のいくつかは欧米諸国によってもたらされたものと信じているだろう。そこに、ウクライナでの戦争に関し「正義」、「人道」、「安全」が専ら欧米諸国とその報道機関の利害・情勢認識に基づく物語としてのみ論じられれば、中東の人民の国際情勢認識における疎外感や被害者意識はますます深まっていくのだろう。