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和歌山カレー事件・林眞須美死刑囚から最近届いた手紙の中身

篠田博之月刊『創』編集長
林眞須美死刑囚自筆のサイン

和歌山カレー事件で死刑が確定している林眞須美さんから最近、封書が届いた。確定死刑囚というのは家族と弁護人以外とは基本的に通信が禁じられており、こんなふうに手紙が届くこと自体が驚きなのだが、その中身についてお伝えしたい。

眞須美さんはこの何年か、次々と裁判を起こしている。獄中で同じように訴訟を行ったことで知られるのは、いわゆるロス疑惑事件の三浦和義さんだ。三浦さんは相当数のメディア訴訟を行ったことで知られているが、宮城刑務所に服役中、処遇改善の闘いも展開し、受刑者が読める書籍の冊数を増やすことや暖房設備の導入など次々と要求を勝ち取っていった。

その三浦さんから大きな影響を受けたのが和歌山カレー事件の林眞須美さんだ。三浦さんは2008年に不遇の死を遂げてしまったが、眞須美さんが最高裁の段階から支援活動を続けていた。その三浦さんの影響もあって、眞須美さんは死刑確定後も、大阪拘置所などを次々と提訴するという闘いを続けている。確定死刑囚が外部と通信や面会を行う「接見交通」権をめぐっては、いろいろな議論がなされているのだが、眞須美さんのように次々と裁判を起こして闘っているケースは珍しいのではないだろうか。

確定死刑囚は懲役囚と違って死刑執行を待たされている存在だ。それゆえ刑務所でなく拘置所に収監されているのだが、そういう存在であることを理由に極端に権利が制限される。いわば死刑が確定した時点で社会との接点を断ち切られてしまうのだ。確定死刑囚がどんな生活を送っているのかこれまでほとんど知られてこなかったのはそのためだ。

眞須美さんについては昨年8月にも彼女からの手紙の話をブログに書いた。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20150825-00048822/

実は今回の手紙もその話と関連している。今回初めて知ったのだが、その昨年送った私の手紙が大幅に墨塗りされていたことを不服として、眞須美さんは大阪拘置所を提訴していたのだった。今回送られてきたのはその訴状や拘置所の答弁書などの資料だ。私はいわば裁判の関係者だから、その資料が送られることが認められたのだろう。拘置所側は、彼女の接見交通権についてどう判断したかを裁判所に対して主張しているのだが、これがなかなか興味深い。拘置所当局の具体的な判断基準は、これまであまり公開されていないからだ。

例えば私はかつて、連続幼女殺害事件の宮崎勤死刑囚(既に執行)とは、彼の死刑が確定してからも一時面会が許可されていた。特別接見許可願いを東京拘置所に出して認められたのだが、もちろん眞須美さんについても大阪拘置所に提出している。それを大阪拘置所は却下したのだが、どういう場合に許可され、どういう場合に不許可になるのかの基準は曖昧だ。それを眞須美さんが裁判所に訴えたために、大阪拘置所としての判断を提示しなければならなくなったのだ。

受刑者や確定死刑囚をめぐる処遇について歴史的な出来事といえば2006年の旧監獄法の改正だった。何しろ明治以来100年ぶりに監獄の処遇が改正されたわけで、この改正によって制限が緩和された。獄中者にとっては大変な変化だった。ちょうど宮崎勤死刑囚の刑が確定したのは2006年で、私が一時的とはいえ確定死刑囚となった彼に接見できたのはその改正の動きの影響だろう。

このあたりについては拙著『増補版 ドキュメント死刑囚』をお読みいただきたいが、2006年の法改正では、親族と弁護士以外に「知人」も接見を許されることになった。ただその知人には「法律上、業務上重大な用務の処理に必要な人」と「心情の安定に資する人」という条件が付けられ、許可するかどうかは拘置所長の裁量に任された。そして法改正の後、一時的に緩和された接見交通権の制限は、その後再び厳しくなっていった。

さて昨年私が眞須美さんに送った手紙だが、今回、裁判資料を読んで、どんな形で彼女に渡されていたか知ることになった。もともと私も用件に関係ない話を書くと不許可になることを知っていたから、内容を絞って書いたつもりだったが、それでも何と1行を除いて全て墨塗りされていたのだった。

私が実際に眞須美さんに送った文面のコピーが残っているから、それと墨塗りされた両方の写真をアップしておこう。元の文面でも一部が黒くなっているのは、個人名が書かれていたので私が今回伏せたものだ。

裁判ではその墨塗りした理由が争点のひとつなのだが、私が気になったのは、手紙の後段、大阪拘置所に特別接見許可願を提出したので「そちらから聞いてみてください」という部分だ。たぶん拘置所は私の特別接見許可願を不許可にしながら私に知らせなかっただけでなく、眞須美さんにも教えないことにしたのだろう。

画像

眞須美さんが墨塗りに抗議して提訴したのは昨年10月30日だが、今年3月7日付で拘置所側から答弁書が出されている。死刑確定者の接見交通権が制限されるのはやむをえないし、知人の場合は「心情の安定に資する」場合に限られるとして、私からの手紙についてはそれに該当しないという主張だった。それは概ね予想の範囲内だったが、私が注目したのは、その裁判のやりとりで拘置所側が提出した書類の中に、眞須美さんに対して接見許可をした個々のケースについて拘置所がどういう判定をしたかなど、具体的な資料が含まれていたからだ。弁護士以外は個人情報に関わる部分は全て墨塗りされてはいるのだが、「心情の安定に資する人」といった抽象的な表現だけでない拘置所側の判断が多少わかるものだった。

私は宮崎勤死刑囚との接触の過程でも、死刑囚の接見禁止処遇の壁に何度も突き当たった経験があり、しかもそれについて拘置所側から判断基準などを聞かされたことは一度もなかったから、今回の資料を読んで、なかなかすごいと感心した。眞須美さんに現状でどういう人が接見許可を与えられどう判断されてきたかを示すものだったからだ。ただ具体的な事例についてはプライバシーに関する部分もあるため、ここで公表するのは控えたいと思う。

眞須美さんの裁判は、そうしたこれまで曖昧だった確定死刑囚の接見交通権をめぐる基準について判断するひとつのきっかけになるだけでなく、実はもうひとつ大きな意味を持っている。彼女は何人かの知人の親書について同様の裁判を起こしているようで、その資料をそれぞれの知人に送っていると思われる。裁判資料が関係者に送られるケースなので拘置所も黙認しているようなのだが、このプロセスを重ねていくと、これまで完璧に閉ざされていた外部との交通権に少しずつ風穴があけられる可能性がある。実際、私のところにも、昨年何度か彼女の手紙が届いているし、今回も拘置所が特別に判断して許可したのは明らかだった。

実をいうと、これまでも拘置所側は、幾つか特別なケースについては、手紙のやりとりを認めてもいた。前述した宮崎死刑囚に面会まで認められたケースのほかにも、私のもとには一度、同じ大阪拘置所から奈良女児殺害事件の小林薫死刑囚(既に執行)の手紙が届いたこともあった。こうした特例は個々の事例ごとに拘置所側が判断しているのだろうが、眞須美さんのようにいろいろなケースについて風穴をあけようと試みていけば、これまで閉ざされていた死刑確定者の接見交通権についても新たな動きになるかもしれない。

断っておくが、死刑確定者からの手紙も、例えば接見を許可されている家族や弁護人を経由すれば、これまでも外部とのやりとりは可能だった。眞須美さんのメッセージは『創』にも何度も掲載され、支援集会でも読みあげられているが、基本的に家族経由だ(眞須美さんの手紙については『和歌山カレー事件 獄中からの手紙』として創出版から刊行されてもいる)。

http://www.tsukuru.co.jp

ともあれ眞須美さんの闘いは、死刑確定者をめぐる新たな状況を作り出す可能性を秘めているとして注目していきたい。もちろん私の手紙を契機にした彼女の裁判については、さっそく陳述書を書いて送るつもりだ。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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