【大河ドラマ鎌倉殿の13人】鎌倉幕府2代将軍・源頼家の怒りに触れた北条泰時が見せた意外な行動
鎌倉幕府の2代将軍・源頼家は、蹴鞠に熱中していました(『吾妻鏡』)。それを見た北条泰時は、蹴鞠をすること自体は構わないが、天変地異・飢饉の今は、自粛するべきではないかと考えていました。
その考えを、頼家の側近・中野能成にそれとなく伝えたこともありました。「貴方(中野)は頼家様のそば近くに仕えている身。何かの折に諫言されてはどうでしょう」と(1201年9月22日)。
中野は頷くのみで、頼家にはすぐに伝えなかったようですが、泰時が中野に言ったことは、翌月上旬には、頼家の耳に届きました。10月2日の夜、親清法眼という僧侶が泰時の邸にやって来て、その事を伝えてくれたのです。
「先月22日に、泰時殿が中野殿に申されたことが、頼家様のお耳に入ったようです。ただ、貴方が申されたことがそのままの形でお耳に入ったわけではなく、誤謬も混じっているとのこと。よって、頼家様は、父(北条義時)や祖父(北条時政)を差し置いて、泰時自身が自分を諌めるとはけしからんと怒っておられるようです」
親清法眼は、泰時に現状を伝えるのみならず、親切にも、その後の対応まで考えて、泰時にアドバイスしてくれました。「ご病気ということにして、暫く、国元(伊豆国北条)に帰っては如何でしょう。ご機嫌が悪いのも、一時のことでしょうから」と。
法眼のアドバイスに泰時は答えます。「頼家様を諌めた積もりはありません。私の思うところを、頼家様の近習に相談したのみ。罪に問われるならば、国元にいても同じでしょう。ただ、急用がありまして、明日の朝には北条に下向する予定でおります」
つまり、泰時は、法眼の忠告を受ける前から、元々、伊豆に行く用事があったというのです。決して、法眼の忠告があったから、伊豆に戻るのではない。そのことを伝えたくて、泰時は態々、旅具を引っ張り出してきて、法眼に見せたとのこと。
泰時のこの言葉を本当のことと信じるならば、泰時は頼家の怒りに触れても、鎌倉を退く積もりはなかったということです。