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世界大学ランキングの真実:日本の大学がランキングを上げるために

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 今年もタイムズ・ハイアー・エデュケーション(THE)による「世界大学ランキング」が発表された。このランキングは世界で最も権威のある大学ランキングとされている。

 同ランキングにおいて、わが国では東京大学が39位、京都大学が91位に位置づけられている。100位以内にはこの2校だけである。アジアでは東京大学の上に、シンガポール国立大学(27位)、北京大学(29位)、清華大学(35位)の3大学があり、昨年に続き東京大学はアジア1位の座を明け渡した格好になる。

 このランキングをもって、わが国の大学のレベルが落ちただとか、教育環境のガラパゴス化が進んでいるだとか、色々なことを言っている人たちがいるが、多くの人は物事を単純化しすぎているように思う。少し冷静になって、同ランキングの意味するところを改めて眺めてみることにしたい。

な お、いまだランキング外の大学がランキングに乗りたいということであれば、やるべきことは一つである。

誰が調査をしているのか

 まず、同ランキングにおいて東京大学と京都大学は、2014から2015年にかけて、急に順位を落としている。2014年時点では東京大学は23位であったが、2015年では43位である。京都大学は59位から88位に落ちた。このとき東京大学は、アジア首位の座から陥落したことになる。そして今年も、東京大学と京都大学はおよそ同じところに位置づけられている。

 どういうことか。実は彼らは、2014年の時点でランキングの集計方法を変更しているのである。これまではトムソン・ロイターにデータの収集・分析を依頼していたが、今後は社内にて行い、研究業績の評価についてもエルゼビアのScopusのデータを使うことにした。Scopusは査読付の学術文献を収録する世界最大規模の抄録・引用文献データベースである。なお、2010年に調査・分析がQSからトムソン・ロイターに変わったときも、我が国の大学勢は一気に順位を落としている。

 ようするに、最近のわが国の大学の「凋落」は、実力が落ちたというよりは、評価方法が変わったことによるのである。本来、研究力や教育力は、いきなり落ちるような類のものではない。ここ数年の我が国の大学の問題をあえて挙げるとするならば、新たな評価方法への対応の遅れ、ということになる。

どういう調査なのか

 最初に結論じみたことを言ってしまうと、今回の調査で20位以内に入っている大学は、スイス連邦工科大学チューリッヒ校を除けば、すべてアメリカかイギリスの大学である。

 まずは評価指標について理解しておかなければならない。同ランキングで重視されるのは、大学の「教育」、「研究」、「論文被引用数」であり、それぞれ重要度は30%である。その他には「国際化」と「産業からの収入」があり、7.5%、2.5%の比率となる。よって「産業からの収入」は、上位ランカーになるまではあまり重視しなくてもよさそうである。 ※これらの比率は研究分野によっていくらかの調整がなされる。

 次に、「教育」、「研究」、「論文被引用数」が何を意味するのかを知っておきたい。「教育」と「研究」の内訳のなかで最も比重が大きいのは「評判」である。「教育」ではその半分の15%、「研究」では18%が、「評判」の高さをもって評価されるということである。「論文被引用数」は数字によって評価される。ちなみにTHEは「世界大学評判ランキング」というものを出しており、東京大学は12位、京都大学は27位であるから、比較的「評判」はよい。なお、アジア1位のシンガポール国立大学の「評判」は26位である。2014年の変更で下がったとはいえ、この点についてはむしろ良い評価であるといえよう。とりあえず問題はなさそうである。

 より詳細にみていきたい。東京大学の総合評価は74.1である。うち「研究」と「教育」はとりわけ優れており、それぞれ89.2と83.4である。一方、足を引っ張っているのは「論文被引用数」と「産業からの収入」、「国際化」であり、62.4、53.4、30.6と、かなり低く評価されている。「論文被引用数」は比重が大きいため、この点はきわめて重要である。

 一方、現在アジア首位であるシンガポール国立大学は、総合評価81.7であり、東京大学との差は7.6である。「研究」と「教育」はそれぞれ86.9、76.7であるから、東京大学の方が高い。注目すべきはその他の項目であり、「論文被引用数」は79.7、「産業からの収入」は61.3、そして「国際化」については96.0と、大きく水をあけられている。

 およそお分かり頂けたと思うが、わが国の大学が世界大学ランキングで上に行けないのは、言語の問題にある。つまり論文被引用数によって大きく差がついているのである。日本語で書かれた論文を、海外の人たちは引用できない。したがって研究力は学界から高く評価されていたとしても、論文の引用はされないのである。もはや学術界でのスタンダードとなってしまったといってもよい英語で書かれた論文が、最も引用されやすいのである。そういった事情があるため、同ランキングでは国ごとの補正が行われているのだが、2014年の変更によってその補正も一気に減らされてしまった。受け入れなければならない現実とはいえ、厳しい状況である。

順位を上げるために

 「悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。」ウィンストン・チャーチルの言葉である。

 筆者はこういったランキングをあまり信用しない。恣意的な指標のもとに行われることが多いからである。しかしそのようなことを言っても、世間はこれらの評価によって大学の良し悪しを判断するという事実は変わらない。無視することはできない。

 いずれにせよ、わが国の大学において現在の評価指標は不利な状況にある。とりわけ人文系の大学には厳しい状況であろう。しかし、逆手に取ることはできる。ビジネスは弱みによって行うのではなく、強みによって行うものである。

 評価を上げるための例として、筆者の所属する皇學館大学を挙げよう。一般の学生からすれば、三重県伊勢市にある地方私立大学の一つであり、はっきり言ってしまえば無名大学である。しかし、ある分野においては超有名大学である。すなわち、神道学、国文学、国史学の分野、日本の古来の思想や伝統文化の研究の分野である。この分野の研究において、皇學館大学は歴史的に、わが国トップクラスの研究実績を誇る。これらはうまくすれば売りにすることができるのである。

 そこで施策の一つとして、過去に発表した本学の優れた研究論文、あるいは注目に値する研究論文を、英語に翻訳する機関をつくることである。教員に任せていては時間がかかるし、数もさばけない。それ以上に、教員の負担を増やして、さらなる研究のための時間を削ってはならない。それよりは英語翻訳が得意な選任の者を置き、彼らにひたすらに翻訳をさせてしまうほうが効率的である。

 世界には日本の研究をしている者は多い。しかし日本の研究は「お手軽」ではない。もっと多くの研究者に英語論文を書いて頂き、日本についての研究を盛り上げて頂くためにも、日本語の研究論文は英語に直していくべきである。ランキングに載るという目的においてはそれだけではもちろんいけないが、そうすることで本学の世界におけるプレゼンスは少なくとも向上する。

 このような手法は、特色のない大学においては用いることができない。ここにおいて本当の実力が試されることになる。逆にいえば、大学は選択と集中を行うことによって、その特色を明確にし、その分野における実力を高めなければならないのである。

 地方大学の衰退が叫ばれるなか、大学としての特色、ビジョン、コンセプトの明確化が必要となってきている。そしてそれをいかにして売るのか、PRするのかを、大学は真剣に考えていかなければならないのである。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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