ひき逃げ事件から10年、犯人見つからず間もなく時効 息子奪われた両親の無念
今年も、2月25日という日がやってきます。
梅の花が満開となる華やかな季節ですが、私はいつもこの時期になると、2011年に山梨県で起こった、あるひき逃げ死亡事件を思い返し、記事を書いてきました。
振り返れば、今回で5度目になります。
佐賀県の平野るり子さん(67)は、山梨県に住んでいた三男を事故で亡くしました。
数年前、「犯罪被害者団体ネットワーク(ハートバンド)」の集会で出会ったとき、悔しそうな表情で、こうおっしゃいました。
「息子が事故の被害に遭うまで、ひき逃げに7年という時効があることなど全く知りませんでした。ひき逃げの時効が、交通事故自体の時効(10年)より3年も早く来てしまうのです。なぜなのでしょうか。実際に遺族の立場になって初めて、日本の法律はおかしいことに気づかされたんです」
■事故から10年目、有力情報が寄せられ捜査が進むも……
事故は、2011年2月25日未明、甲斐市志田の国道20号線で発生しました。
大学を卒業後、大手の飲料メーカーに就職し、事故現場のすぐ近くで暮らしていた隆史さんは、前夜、会社の送別会に出席。日付が変わった午前2時50分頃、同僚が自宅の近くまで送り、それから約1時間後、自宅のすぐ前の国道20号線で倒れているところを通りかかったトラック運転手に発見されたのです。
隆史さんはすぐに病院へ搬送され、救命治療を受けましたが、2月27日午前7時7分、意識を回復せぬまま亡くなりました。死因は右側頭部打撲による頭蓋内損傷。骨折箇所は右側に集中しており、下半身に損傷はありませんでした。
警察は当初、事件、事故、病気などさまざまな状況を視野に入れて捜査していましたが、司法解剖の結果などから、「ひき逃げ事件」と断定。しかし、現場には、加害車両の破片や落下物、ブレーキの痕跡などはほとんどが残されておらず、犯人につながる有力な手掛かりはありませんでした。
そんな中、風化を恐れた平野さん夫妻は、事故発生日には必ず、佐賀県の自宅から飛行機と鉄道を乗り継ぎ、長い時間をかけてひき逃げの現場まで足を運びました。
そして、山梨県警や犯罪被害者支援センターのスタッフ、友人らの協力を得て、事件現場のすぐそばにあるショッピングモールでチラシ配布のほか、懸賞金をかけるなどして、情報提供の呼びかけをおこなってきたのです。
それでも、犯人に結び付く有力情報はほとんど得られず、2018年、「救護義務違反(ひき逃げ)」の時効が成立。
隆史さんが死亡したことに対する「過失運転致死罪」についての時効成立までは、あと2日を残すのみとなってしまいました。
■ひき逃げの時効7年、に対する疑問
ひき逃げ死亡事件が発生した場合、加害者には、
1)事故を起こしたこと
2)被害者を救護せずに逃げたこと
という2つの罪が適用されます。
ところが、時効に関しては、以下のように、それぞれに長さが異なっています。
●交通事故を起こしたことについて
「過失運転致死罪」 → 時効10年
●被害者を救護せず逃げた行為について
「救護義務違反」(道路交通法) → 時効7年
「事故後、すぐに救護すれば助かるかもしれない命を、そのまま放置して逃げ去る『ひき逃げ行為』はとても悪質です。それなのに、なぜ、過失で事故を起こした行為より、ひき逃げのほうが、時効が3年も早いのでしょうか。そもそも、逃げ続けている犯人に、時効など必要なのでしょうか」(平野さん)
この問題については、これまでも多くの遺族がその理不尽さについて繰り返し訴えてきました。
「実は、事故から10年目に入った昨年の初め、犯人につながるかなり有力な情報が寄せられ、その人物への任意捜査が進んでいたそうなんです。10年目にして、ついに奇跡が起こるのか……、と期待していたのですが、結果的に物的証拠がなく、起訴には至らなかったことを、昨年の秋ごろに聞かされました。もちろん、その人物が誰なのか、私たちにも明かされていません。本当に落胆しましたが、本人が否認している以上、証拠がなければどうにもなりません。警察も最後まで頑張ってくださったのですが、本当に残念です……」(平野さん)
結果は残念でしたが、10年経ってもこうした有力情報が寄せられることを考えると、ひき逃げの時効を7年で区切る必要があるのか、疑問をぬぐえません。
なぜ、ひき逃げに時効を設けているのかについて、法務省の回答は以下の記事で取材した通りです。
『犯人不明で時効成立。夫のひき逃げ事件から40年。消えない家族の苦しみ』(2018/11/9)(Yahoo!ニュース個人/柳原三佳)
■事故の1週間前、息子から届いた父への還暦祝い
隆史さんを亡くしてからの10年……、犯人が見つからないという状況は平野さん夫妻にとって、どれほど苦しい時間だったことでしょう。
でも、隆史さんの優しい心遣いは、今も心の中で生き続けていると言います。
「これはね、息子からの、最初で最後のプレゼントなんですよ……」
佐賀県小城市のご自宅に伺ったとき、そう言って見せてくださった、小さな赤い箱に入った旅行券のことが忘れられません。
「実は、事故が起こった年の2月2日は、主人の60歳の誕生日でした。それから2週間が過ぎ、2月18日だったと思います、隆史から突然、書留でこれが送られてきたんです。男の子ですから、手紙も電話もなしで……。きっと、お父さんへの還暦祝いのつもりだったんでしょうね、まだ会社に入ったばかりなのに、5万円分も入っていて驚きました」
3月には北陸への旅行を計画していた平野さん夫妻。しかし、その旅行は、奇しくも隆史さんの事故という辛い出来事によってキャンセルを余儀なくされました。
平野さんは振り返ります。
「2月25日、隆史が事故に遭ったという知らせを受け、急遽、佐賀の自宅を発ちました。その途中、『旅行は、もう、無理だね……』と、山梨へ向かう『特急あずさ』の中から、ツアーを解約する電話を入れたことを覚えています」
あれから10年、隆史さんがお父さんに贈った旅行券は、10年経った今もそのままだそうです。
「でも、隆史の気持ちを無にしたくはないので、私たちが動ける間に、いつかこの旅行券を使って、隆史も連れて一緒に旅に出かけたいと思っています」
■被害者の心に「時効」はない……
毎年、2月25日には現場に足を運んでいた平野さん夫妻ですが、今年は、新型コロナウイルスの影響もあり、初めて断念しました。
「自動車運転過失致死」の時効成立まであと数日と迫った今、改めてこう語りました。
「加害者も事故以来、ずっと心に棘が刺さったままではないでしょうか。でも、被害者の心には時効などありません。たとえ時効を過ぎて、罪には問われなくなっても、ひとりの大切な命を奪ったことについて一言謝ってほしい……、今の私たちが思うことは、ただそれだけです」
「過失運転致死罪」の時効が2月27日午前0時に迫る中(被害者が2月27日に死亡したため)、平野さん夫妻は最高500万円という懸賞金をかけて、今も有力な情報提供の協力を呼びかけています。
東日本大震災が発生する2週間前の2011年2月25日未明に、山梨県甲斐市内の国道20号線(甲州街道)を通った車や当日の状況など、どんなことでも結構です。お心当たりのある方は、下記へ電話をしてください。
<山梨県警韮崎警察署/0551-22-0110>