岸田総理の猿真似から始まった国会論戦はまるで本質に踏み込まない
フーテン老人世直し録(722)
神無月某日
第212臨時国会は岸田総理大臣が米国のクリントン大統領の猿真似をするところから始まった。
岸田総理は所信表明演説で「経済、経済、経済」と連呼し、最優先課題が「経済」であることを国民に印象づけた。それは1972年の米大統領選挙に立候補した民主党のクリントン候補が採用した手法の猿真似である。
クリントン候補は選挙陣営のスタッフから「経済という言葉だけを言え」と指示された。なぜならクリントンが挑んだ現職のブッシュ(父)大統領は湾岸戦争に勝利して90%近い支持率を誇り、民主党には候補に名乗りを上げる者がいなかった。
そのため片田舎のアーカンソー州知事で無名のクリントンにお鉢が回ったが、クリントンが勝つとは誰も思っていない。ただブッシュの弱点と見られたのは、米国経済が不景気に陥っていたことだった。
ブッシュの前任者のレーガン大統領は、フランクリン・ルーズベルト大統領の公共事業中心の「大きな政府」の経済政策に代わり、シカゴ学派の新自由主義経済を採用し、減税で経済を刺激する「小さな政府」の経済政策「レーガノミクス」を実施した。
その結果、税収が減って経常収支は赤字になり、また日本の輸出攻勢で貿易収支も赤字となる。「双子の赤字」を抱えた米国経済は問題視され、ブッシュは「レーガノミクス」を「ブードゥー・エコノミー(おまじない経済学)」と言って軽蔑した。
ブッシュは財政を健全化するため増税するが、それが消費を冷やして米国経済は不景気に陥る。その弱点を突いてクリントンは「経済、経済、経済」を連呼した。それがどれほど功を奏したのかは分からない。
それよりロス・ペローというビジネスマンが第三党から出馬してブッシュの票を食い、また中絶反対派を最高裁判事に任命したことが女性たちの反発を招き、結果としてクリントンは奇跡の勝利をものにした。
その頃の記憶を持つ官僚が、岸田総理の所信表明演説を書いたのだろう。演説を聞いた途端にフーテンはクリントンの猿真似を感じた。では猿真似をしたのはなぜか。岸田総理が最優先課題を30年以上続いてきたデフレからの脱却と考えているからだ。
自分が総理に就任してからの2年間は、所得税の税収がそれ以前より伸びた。つまり国民の所得がそれ以前を上回った。ところが物価がそれ以上に上昇したため、実質賃金は下がり続けた。それではデフレは止まらない。
賃金が物価の伸びより上がり、消費が増え、物が売れるから企業が儲かり、儲かるから賃金が上がる。この好循環が生まれない限りデフレは終わらない。来年の春闘で賃上げが物価を上回る水準になれば、デフレからの脱却が見えてくる。
それを必ず実現すると岸田総理は意気込む。そのためそれまで物価上昇で苦しむ国民に耐えてもらうため、所得税収の上昇分を国民に還元すると岸田総理は言い出した。目的はあくまでも来年の春闘での物価上昇を上回る賃上げ実現である。
ところが岸田総理が「最も分かりやすくするため」と言って打ち出した還元策の所得税減税が「最も分かりにくい」。来年の賃上げが重要と言い、所得税収の上昇分をそのために還元すると言うのなら、還元分はまずは賃上げ実現のために支出すべきで所得税減税と結びつかない。
しかし岸田総理は還元分を所得税減税と非課税世帯への一時金給付に充てると言う。「家計を助ける」と言えば耳ざわりは良いが、それでは逆に物価を上回る賃上げを必ず実現するという強い意欲を和らげてしはしまいか。
しかしよく見ると、所得税減税は法改正が必要で、恩恵は来年の春闘が終わった6月頃になる。その前に恩恵を受けるのは非課税世帯だけだ。つまり岸田総理は物価を上回る賃上げが目的と言いながら一兎ではなく三兎を追っている。
非課税の低所得世帯には月7万円の一時金を支給して生活を助ける。そして課税世帯には来年6月頃に1回だけの減税の看板を見せておく。その一方で企業には賃上げに応ずれば税制で優遇措置を講じる。
フーテンはメディアの報道と異なり以前から早期解散はないと書いてきた。解散の条件が整うのは来年の春闘で大幅賃上げを実現し、デフレからの脱却が見えてきてからだと主張してきた。
フーテンの見方によれば、来年の通常国会の終わりごろに解散の条件が整うかもしれない。その時に目の前に所得税減税の看板がぶら下がっていれば、これは選挙を有利にする。今回の所得税減税はそれが狙いではないか。要するに選挙目当てのバラマキだ。
そしてフーテンは、岸田総理が所信表明演説でクリントンの猿真似をするのなら、日本経済がデフレ経済に陥り、そこから脱却できずに「失われた30年」を迎えたのは、冷戦後の日本が米国の言いなりになってしまった結果だという本質を思い出すべきだと思う。
ところがこの30年間の日本は、目先の利益に目を奪われるだけで本質に目をつむり続けてきた。例えば「経済、経済、経済」と連呼するほど経済の重要性を認識しているのなら、日本経済の「生命線」に目を向けなければならない。
我々の世代は「日本経済の生命線は中東にある」と教えられてきた。エネルギーの9割を中東の石油に頼って来たからだ。その中東で50年前に第四次中東戦争が起き、アラブ諸国はイスラエルに味方する国に石油の輸出を禁じた。
米国の従属国である日本は敵性国家に指定され、危うく経済破綻に追い込まれるところだった。当時の田中角栄元総理が米国の要求を断り、親アラブの外交姿勢を採ったため危機は免れたが、それでも国民は節電を強いられ、買い占め騒ぎが起き、タクシー運転手が自殺に追い込まれるなど世上は騒然とした。
その反省から田中は石油の輸入先を中東から世界に広げ、節電技術の開発などで一時は中東への依存度を68%にまで下げた。それが今、福島原発事故やウクライナ戦争の影響で過去最高の95%にまで依存度が上昇した。
そこにハマスとイスラエルの50年ぶりとも言える大規模な戦争が勃発したのである。まだ地上戦闘が始まっていないのでエネルギー危機には至っていないが、日本の安全保障の脆弱性について国民に理解を求める機会が到来した。
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