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過去最多メダル27個のデフリンピック日本選手団。知名度UPでさらなる強豪へ

瀬長あすか障がい者スポーツライター/健康系編集ライター
日本選手団山根団長、粟野達人総監督、主将の早瀬久美選手らが表彰式に出席

日本障がい者スポーツ協会は8月30日、7月にトルコのサムスンで開催された「第23回夏季デフリンピック競技大会」で過去最多となる27個のメダル(金6、銀9、銅12)を獲得した日本選手団の特別表彰式を行った。デフリンピック選手団の特別表彰は初めて。

デフリンピックは聴覚障がいのある選手たちによる世界最高峰の大会。パラリンピックと同様に夏と冬それぞれ4年に1度開催される。日本は1965年の夏季ワシントン大会から出場しており、ブルガリアのソフィアで開催された前回大会のメダル獲得数は金2個を含む21個だった。

表彰式で日本障がい者スポーツ協会の鳥原光憲会長は、手話を交えた挨拶のあと「デフリンピック日本選手団の活躍は、2020を迎える日本の気運を高め、多くのアスリートの励みになった」と話し、賞状と副賞500万円を贈呈した。

副賞はメダルを獲った選手の報奨金として充てられ、金メダルに10万円、銀メダルに7万円、銅メダルに5万円、金メダルを獲得した団体に10万円が贈られるという。

式で挨拶に立った日本選手団の山根昭治団長は、「目標を超える過去最多のメダルを獲得できたのは、デフリンピックの認知度が低く、周囲の理解を得られにくい中で頑張り続けてきた選手たちのおかげ。今後とも国民の皆様へのデフリンピックの理解促進と、デフスポーツアスリートの競技環境の改善に取り組みます」と話し、選手をたたえた。

なお、パラリンピックでは2008年の北京大会から国内の報奨金制度が始まっており、デフリンピックもようやく一歩近づいた格好だ。

世界7位の活躍。その背景は?

日本のメダル獲得数ランキングは7位(1位はロシア、2位はウクライナ、3位は韓国)で16位だった前回を大きく上回った。

粟野達人総監督は「各競技団体から、世界大会4位以上、アジア大会2位以上の選手を推薦してもらい、メダルを獲れる選手を選考した」と言い、レベルの高い選手を集められたことが躍進につながったと話す。

さらに「金メダルを獲得した女子バレーボールは、ろう学校ではなく普通学級や難聴学級でがんばっている選手を積極的に選考してチームに貢献できるように育てた」とし、サッカーやバスケットボールなども、デフスポーツに関わる人たちや支える企業のネットワークを駆使して選手をリクルートし、全国の学生の中から選考することができたという。

現に一般の高校や大学で活動する選手も多い。日本選手団が獲得した6個の金メダルのうち3個の金メダルを獲った水泳の藤原慧(ふじはらさとい)は、強豪で知られる日本大学の水泳部に所属。高校総体でも活躍した経歴のある「一般校出身」の選手で、今回が初出場。健常者アスリートとしのぎを削ってきた。

また、北京オリンピックなどに出場した元全日本選手の狩野美雪氏が監督を務めたことで(関係者のなかで)注目されていた女子バレーボールは、決勝を含む全7試合をストレート勝ち。前回銀メダルの悔しさを晴らし、2001年ローマ大会以来16年ぶりとなる金メダルを手にした。狩野の人脈もあり、開幕前にプロチームと練習試合を重ねるなどして強化を積んだ成果が表れたそうだ。

一方、マウンテンバイクのクロスカントリー・オリンピックで銅メダルに輝いた早瀬久美は「競技人口の少ない自転車競技の場合、聞こえる人と一緒に練習し、大会に出場するのが常」と話し、出場する一般のレースでは、たとえばリオパラリンピックの自転車(ロードTT)で銀メダルを獲った両足義足の藤田征樹らさまざまな選手と一緒に走ることもあるという。

普段は大学病院で薬剤師として働き、休日や就業後などにトレーニングに励む。

「(デフの)大会が少ないなか、今回のデフリンピックに向けてじっくり練習してきた」と早瀬。今大会の活躍は、あくまでも技術やパフォーマンスが成熟した結果だったと分析した。

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そんな早瀬はデフスポーツの知名度アップについても手ごたえを語る。

「トルコに出発する前からいろんなメディアからの取材を受け、デフリンピックという言葉が広がりつつあるなと思った。現地でも取材がありましたし、競技結果がリアルタイムでネットにアップされた。そのおかげで日本にいる方々にも、デフリンピックってこういうものだと知ってもらえた。帰国後、職場に行ったら、新聞記事のコピーが掲示してあったくらいです」

山根団長は「地域の学校に通う隠れた選手も多くいると思う。そういう人たちにデフリンピックを伝えていかなくてはならないと思う」と話し、東京2020開催決定を機に盛り上がるパラリンピックや知的障がい者のスペシャルオリンピックスと同様の認知度向上に向けて取り組むとしている。

確かにパラリンピックの陰に隠れがちかもしれないが、比較的競技に専念できる「障がい者アスリート雇用」で企業に勤めるデフアスリートも出てくるなど、競技環境も改善されつつあると聞く。

「2年後には冬のデフリンピックがある。できるだけ短い間隔で『聞こえない人の国際大会』もあるんだということをアピールしていく必要がある」

そう早瀬主将が言う通り、デフスポーツのさらなる競技力アップには、パラリンピックと同じく継続した報道と支援が必要なのだ。

障がい者スポーツライター/健康系編集ライター

1980年、東京都江東区生まれ。大学時代に毎日新聞で記事を書き、記者活動を開始。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、2004年のアテネパラリンピックから本格的に障がい者スポーツ取材をスタート。以後、パラリンピックや世界選手権、国内のリーグ戦などに継続的に足を運び、そのスポーツとしての魅力を発信している。一方で、健康関連情報のエディター&ライターとして、フィットネスクラブの会報誌、健康雑誌などに携わる活動も。現場主義をモットーに、国内外の現場を駆け回っている。

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