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交通事故で頚髄損傷 今なお重度後遺障害と闘う女性が訴える「安全運転の重要さ」

柳原三佳ノンフィクション作家・ジャーナリスト
交通事故……、一瞬の気の緩みが、被害者とその家族の人生を大きく変えてしまいます(写真:GYRO PHOTOGRAPHY/アフロイメージマート)

「突然のご連絡すみません。『交通事故で意識不明の重体だった小学生回復! 母親からの涙のメッセージ』という柳原さんの記事を読みました。男の子の命が助かって本当によかった、そう思うと同時に、交通事故の恐ろしさを一人でも多くの人に知ってもらいたいという気持ちが沸き上がってきました」

 このようなメールが私のもとに届いたのは、上記記事が配信された直後のことでした。

 差出人は関東地方に住む川上洋子さん(47・仮名)です。

「実は、私も一命をとりとめた交通事故被害者のひとりです。3年前、頚髄損傷の重傷を負い、四肢麻痺、膀胱直腸障害という後遺障害が残りました。今も全身の痛みや痺れと闘いながらリハビリに励んでいます。コロナ禍の今、重大事故の報道をよく目にしますが、私の体験もぜひみなさんに伝えていただければと思ったのです」

 メールには、事故の状況や後遺障害について詳しく記され、また入院中の写真も貼付されていました。

 一瞬の気の緩みが、いかに大きな被害をもたらし、当事者の人生を変えてしまうのか……。

 洋子さんの体験をご紹介したいと思います。

■突然の事故で頚髄損傷。四肢麻痺・膀胱直腸障害を負って

 洋子さんは3年前、乗用車の助手席に乗車中、事故に遭いました。

 ハンドルを握っていたのは、洋子さんの夫でした。

「その日、夫は過労気味でしたので、『私が運転を交代するわ』と言って、車を停められる場所を探していました。でもなかなか適当な場所が見つかりません。その矢先、時速約50キロ、ノーブレーキのまま、道路沿いの空き家に激突してしまったのです。一瞬、何が起こったのかわかりませんでした。ただし意識ははっきりしていたので、そのときのことは鮮明に覚えています。とにかく、歩行者や他車を巻き込まなかったことだけは、本当に幸運だった……、そう思いました」

 救急搬送された病院で「頚髄損傷」と診断された洋子さんは、首が動かないよう、頭蓋骨に穴を開け、装具で固定する処置を受けました。

事故当日、頚髄損傷と診断され、首を固定する処置を受けた川上さん(川上さん提供)
事故当日、頚髄損傷と診断され、首を固定する処置を受けた川上さん(川上さん提供)

 そして翌日、約50キロ離れた大学病院へ移送され、首にボルトを入れて固定する緊急手術を受けることになったのです。

 運転していた夫は、幸いかすり傷程度の受傷で済んだそうです。

「ドリルで頭蓋骨に固定用の穴を開けられているとき、私は自分に何が起こっているのかわかりませんでした。首の手術は成功しましたが、しばらくは首から下が麻痺して全く動かず、自分で涙をぬぐうことすらできませんでした。このまま生きていてどうなるのだろうと絶望的になり、あの頃は自殺することしか考えられませんでした。でも、それすら自分ではどうすることもできないのです」

■事故の加害者が「身内」であることの辛さ

 洋子さんにとってさらに辛かったのは、この事故の「加害者」が、夫であったという現実でした。

 しかし、夫が睡眠不足の状態でハンドルを握っていたことを知らなかったわけではなく、自分自身を責める気持ちもあったといいます。

「後から看護師さんに聞いたのですが、手術の間、夫は号泣していたそうです。身内に被害者と加害者がいるというのは、本当に苦しいものですね。彼もとても辛かったと思います。夫は事故から一か月間仕事を休み、毎日病院に来て、朝から晩まで私のそばに寄り添ってくれました。でも、あの事故が、もし今起こっていたら、記事にあった小学生の男の子のように、新型コロナの影響で面会もできなかったでしょう。それ以前に、手術もすぐに対応していただけたかどうかわかりません。それを思うと本当に恐ろしいです」

 手術後、大学病院に約1か月間入院した洋子さんは、その後、リハビリ病院へ転院し、そこでさらに、5か月半の入院生活を過ごすことになりました。

「私は頚髄をやられていたため、両手両足には重い麻痺が残りました。当初は両手とも握力がゼロでしたが、すこしでも機能を回復させるため、凄絶な痛みや痺れと闘いながら、一生懸命リハビリを続けました」

頚髄損傷で麻痺し、握力がゼロだった手は、事故から3年経って少し回復してきましたが、家事などは以前の用にはできないといいます(川上さん提供)
頚髄損傷で麻痺し、握力がゼロだった手は、事故から3年経って少し回復してきましたが、家事などは以前の用にはできないといいます(川上さん提供)

■半身麻痺、凄絶な痛み、排便・排尿障害の苦しみにも耐えて……

 しかし、事故前には考えも及ばなかった障害が、入院中の洋子さんを苦しめました。

「特に、排尿と排便障害は屈辱的でした。直腸も麻痺しているため、事故後は自分の力で便を排泄することができなくなってしまったのです。二十歳を過ぎたばかりの若い看護師さんに指で便を掻き出してもらったり、便意をコントロールできずオムツに漏らしてしまったり……、こうしたことは当時44歳だった私にとって耐えられないことで、本当に気が滅入りました。でも、退院前にトレーニングを積み、排尿はカテーテルを入れての自己導尿、排便は日にちを決めて自分で浣腸をするようにし、なんとかコントロールできるようになりました。こうした障害は個々に症状が異なります」

 退院できたのは事故から6か月半後のことでした。

 みぞおちから下は通常の30%しか感覚がないため、暑さや痛さが感じられず、やけどや外傷には特に気をつけなければならないのだといいます。

 また、外出時には多目的トイレの位置確認が不可欠となりました。

 しかし、現在は車椅子を使わず、なんとか杖をついて歩けるまでになりました。

 主治医やナース、理学療法士の方々からは、洋子さんのレベルの頚髄損傷患者が歩けるようになるのは奇跡的だと言われているそうです。

「でも、歩くからこその痛みや痺れは酷く、痛み止めの薬を服用して耐える日々です。その痛みをたとえるなら、全身に唐辛子を塗りたくって、強烈な電気風呂に入れられたような、そんな感じでしょうか……。痛みは外からは見えないので、同じ後遺障害でもなかなか理解してもらえない、そして、これが一生続く……。それが辛いんですよね。私自身、事故前とはすっかり人生観が変わってしまいました」

■今は「緊急事態」、どうか車の運転を軽く見ないで

 現在、洋子さんは日常の家事などを実母に手伝ってもらいながら、夫と共に自宅で暮らしています。

 事故から3年という歳月を経た今、ご自身の辛い体験を公表しようと思った理由について、改めてこう語ってくださいました。

「最近、死亡事故やひき逃げ事故の報道がとても増えているような気がします。新型コロナウイルスの影響で交通量が減っている分、速度が上がっているのでしょうね。また、心が落ち着かないことや過労も影響しているのかもしれません。交通事故は一瞬で人生を変えてしまいます。被害者になっても、加害者になっても、これほど苦しいことはありません。特にコロナ禍の今、救急病院はひっ迫しています。緊急事態です。みなさん、どうか自分の運転を過信せず、体調には十分気を配り、細心の注意を払ってください。私の体験が少しでもみなさんの心のブレーキにつながればと願っています」

ノンフィクション作家・ジャーナリスト

交通事故、冤罪、死因究明制度等をテーマに執筆。著書に「真冬の虹 コロナ禍の交通事故被害者たち」「開成をつくった男、佐野鼎」「コレラを防いだ男 関寛斉」「私は虐待していない 検証 揺さぶられっ子症候群」「コレラを防いだ男 関寛斎」「自動車保険の落とし穴」「柴犬マイちゃんへの手紙」「泥だらけのカルテ」「焼かれる前に語れ」「家族のもとへ、あなたを帰す」「交通事故被害者は二度泣かされる」「遺品 あなたを失った代わりに」「死因究明」「裁判官を信じるな」など多数。「巻子の言霊~愛と命を紡いだある夫婦の物語」はNHKで、「示談交渉人裏ファイル」はTBSでドラマ化。書道師範。趣味が高じて自宅に古民家を移築。

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