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熊本地震と水の備え 地震は地下水の流れをどう変えたか

橋本淳司水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表
地震後に枯れた水前寺公園の池(著者撮影)

消えた地下水、増えた地下水

 熊本地震にともなう地下水の変化に関するシンポジウムが4月14日、熊本市中央区の県民交流館パレアで行われた。

 長崎大環境科学部の利部慎助教は、益城町や菊陽町などで、地下水位が平常時より数メートル高い状態が続いていると報告した。阿蘇外輪山に近い井戸ほど上昇幅が大きく、震動で山の表面近くの水が地下に流れ込んだと考えられるという。

 熊本大大学院先端科学研究部の細野高啓准教授は、熊本市内の水前寺公園の池が一時的に干上がった現象について報告した。地震直後にできた地下の割れ目に水が染み込んで水位が下がったが、割れ目が水でふさがると回復したという。

平時の水前寺公園(著者撮影)
平時の水前寺公園(著者撮影)

 ここでは熊本市を中心に、震災後の水事情を振り返り、今後の教訓が導き出せればと思う。

 振り返ると驚きの連続だった。「まさかこんなことになるとは」と枯れてしまった池を見つめながら、女性が言葉を詰まらせていた。近くに住むこの人は、週2、3度、母親のために出水神社に水くみに来ていたという。

 熊本を代表する名園、水前寺公園(水前寺成趣園)。江戸時代、熊本藩主・細川家の御茶屋として利用され、細川綱利の時代に回遊式庭園が完成した。園内の池からは、阿蘇から流れる清冽な伏流水が湧き出していた。阿蘇山は大火砕流噴火し、水を通しやすい熊本の大地を形成した。だから火の国が水の国の土台をつくったといえる。

 しかし、地震によって水前寺成趣園の池は8割方干上がり白い底が露呈、庭園を管理する職員がそこを歩いていた。地震前、約1ヘクタールの池の水深は最大50センチ程度あったが、4月14日の前震の翌朝、7、8割の水が消えた。地下水をくみ上げて一旦は回復したが、16日の本震後、再び干上がった。

「地震で地下水脈が変わったんだ。市内の湧水がみんな枯れてしまう」とつぶやいた初老の男性がいた。「江津湖はどうなった……」

 江津湖は熊本市東区から中央区にある湖だ。周囲6キロ、水面の面積は約50ヘクタール、1日の湧水量は40万トンを誇る。水前寺成趣園と江津湖は1キロほどの距離にあり、同じく阿蘇から流れる地下水が湧き出しているとされる。

 地震によって水脈に変化があったのであれば、江津湖も影響を受けるのではないかと思われたが、江津湖の水は普段と変わりなかった。

江津湖(著者撮影)
江津湖(著者撮影)

 熊本大学の嶋田純教授は、震災直後、「浅い層の地下水」と「深い層の地下水」を区切っている層に、地震で何らかの変化が起きたのではないかと指摘していた。「浅い層の地下水」と「深い層の地下水」の「しきり」にひびが入り、浅いところを流れていた水が深い流れのほうに落ちてしまったのではないかという。

 水前寺公園の水は「浅い層の地下水」なので、地震の影響を受けて枯渇したが、一方、江津湖の水は「深い層の地下水」なので、地震前後で水位に変化はなかった。江津湖直下の深い層には空洞が多く水を通しやすい「砥川溶岩」があり、上部地層から常に圧力を受けて、噴水のように地下水が噴き上がる。江津湖では地震後も、地下水が湧くときに水底の砂を巻き上げる「砂踊り」現象が確認できた。

 わずか1キロほどの距離にある湧水でも、水の出てくる層によって大きく違う。地下水の複雑さを改めて感じた。

老朽化した水道管が壊滅的な打撃

 切れたのは地下水脈だけではなかった。水道管もである。水豊かな土地であっても、蛇口から水が出るのは水道インフラがあるからだ。

 本震後の4月17日、3県(熊本県、大分県、宮崎県)の20市町村で44万5421戸が断水した。その96パーセントが熊本県で、6市7町3村、42万9591戸で水が止まった。応援に駆けつけた他の自治体の水道職員も協力し、急ピッチで復旧作業が行われたが、被害の大きかった益城町、阿蘇市、南阿蘇村、御船町、西原村などで断水が続いた。

 断水は水道管の損傷や漏水によっておきたが、そこには2つの要因があった。1つは2回の大地震によるインパクト。たとえば、西原村では水道管が布田川断層を横断していたため大破するなど、地震の直接の影響によって水道管が損傷した。

 もう1つの要因は、水道管の老朽化だった。熊本市では、耐震適合性のある基幹管路の割合は、74パーセントに達していた(平成26年度末)。これは全国平均を大きく上回っていた。一方で、管路全体での耐震化率は22パーセント。加えて、昭和40~50年代に整備した管路が、更新時期を迎えることから、老朽管の更新も必要とされていた。

 老朽化した管は衝撃に弱い。

 が、それ以上に内側に鉄錆などが付着していた。

 普段は固定されていて水質に影響を与えることはないが、地震の衝撃で剥がれ落ち、にごり水の原因となった。結局、これが断水が長期化する原因になった。

 熊本地域では個人宅に井戸をもっている人も多く、そうした人は断水になっても水が使えた。ただし、浅い地下水を利用する家庭の井戸は、水質に注意が必要だった。地下水の流れが変わった場合、これまでと同じ水質が保たれているか分からないし、下水管が破損して汚染源が入りこむ可能性もあった。

 実際、熊本市生活衛生課には、家庭の井戸水が濁ったという情報が寄せられていた。熊本市環境総合センターにもちこまれた水のなかには飲用に適さなくなったものもあった。

 水はさまざまな産業の母であるゆえ、あらゆる産業にも大きなインパクトを与えた。ため池や農業用水路が被災し、田植えができない農家もあった。堤防に亀裂が入るなどした池は少なくとも48か所に上り、決壊による2次災害を防ぐため、大半が水をためられない状態になっており、用水路が壊れて水が届かない田畑も多い。そして、この状況は現在でも一部地域で続いている。

地震への備えをどうするか

 各地から応援に来ていた水道職員が驚いたのは浄水設備のないことだった。

 熊本地域では清浄な地下水を簡易消毒のみで給水してた。原水がきれいなので浄水施設はなかった。これはとても恵まれたことだ。

 しかし、地震の際、地下水の汚濁に対し、対抗手段がなかった。水道関係者のなかにはすぐにも浄水設備を備える必要があると声高に叫ぶ人がいた。だが、長い目で見れば水量・水質ともに回復してくる。過剰な設備となって後世の負担となる可能性も高いので、応急的に対応する方法を考えておくことが課題だ。

 人は水がなくては生きていけない。平常時には1日当たり1人約250リットルを使うが、大災害などで水の供給が滞った場合は、より少ない水量で生活する必要性に迫られる。熊本では、水分摂取を抑えがちな女性にエコノミー症候群(肺塞栓症)の症状が多くみられた。

 熊本市内の人が口々に言っていたのは、「トイレが流せず困った」ということである。そして震災後には水をため置くようになったという声も数多く聞いた。

 人が、1日に必要な飲み水は最低2リットルだが、被災するとビスケットや乾パンなど乾燥した食べものが中心になり水分が不足しがちになる(普段は食べものに含まれる水分を1リットル程度吸収している)。だから1日に3リットル程度の飲み水が必要だ。

 また、手や顔を洗うなど、衛生を保つための水が1日に10~15リットル必要。

 支援活動が本格化するまでを3日と考え、

  飲用9リットル

  衛生用30~45リットル

  これを水道水のくみおき、風呂の残り湯で備える。

 風呂の残り湯の量は各家庭で違うが、一般的な浴槽は満杯時に200リットルの水が入るのでその4分の1の50リットルくらいは残っているだろう。このお湯を次に風呂の湯を交換するまで流さずにとっておく。

 水道水でまかなうのは、飲用9リットルと、口すすぎなどの水。ポリタンクなど密閉できる容器に入れて保存する。ポリタンクを選ぶときには以下の点に注意する。

 

 1)口が広い(できれば手が入る)もの

タンク内部が洗いやすい。内部に汚れがあると水は腐敗しやすい。

 2)透明でないもの

  太陽光や温度上昇によって、塩素の殺菌能力が低下するのを抑える。

 3)いっぱいにしたときに自分の力でもてる

  一般的なポリタンクは20リットル入る(満水時の重さ20キロ)が、つかいやすさ、入れ替えの手間を考えると10リットル(満水時の重さ10キロ)、5リットル(満水時の重さ5キロ)のタンクを複数用意するとよいだろう。

ポリタンク(著者撮影)
ポリタンク(著者撮影)

 次に水の入れ方、入れ替え方だ。洗浄したポリタンクをよく乾かしたのち、水道水を少しずつポリタンクに注ぐ。

ゆっくり入れる(著者撮影)
ゆっくり入れる(著者撮影)

 勢いよく水を注ぐと空気が入り、腐敗の原因になるので注意。ポリタンクの口元から少し水が溢れるまで注ぎ、空気が入らないよう注意しながらキャップを閉める。

タグをつける(著者撮影)
タグをつける(著者撮影)

 くみおいた日付をシールやタグなどに書いてポリタンクに付ける。なるべく暗くて涼しい場所におく。

 3日をめどに入れ替えると、そのまま飲用できる。1か月をめどに入れ替えると、煮沸後の飲用となる。ポリタンクに入っていたもとの水は、炊事・掃除などに使う。

 以上のやり方で、日頃から水をためおき、もしものときに災害に備えるとよいだろう。

共助が大切

 もう一つ大切なのが日頃から地域内で協力し合える関係をつくっておくことだ。

 熊本県西原村は、震災で家屋も大きな被害を受けて道路も寸断されたが、区長を中心にリーダーを決め、避難所を管理した。米農家が備蓄している玄米を持ち寄り、有志が自家発電機や精米器を提供。給食調理員が中心となっておにぎりをつくり、震災翌朝から全員が食事をとることができた。

 トイレを清潔に保つことが衛生面でも精神面でも一番重要と、動ける人全員で川から水くみをしてトイレタンクを満タンにし、仮設トイレが必要ない状態にした。

 熊本市内で1200人が避難した熊本工業高校でも、職員や高校生たちが積極的に動いた。定時制の給食用の米を提供したり、高校生たちがプール用の井戸水をバケツリレーで運んでトイレを使えるようにした。

 避難所を運営していた職員の方がこんなことを言っていた。

「県が国に要望して実際に事態が動くまでには最低でも3日かかります。それを事前に予測して「待つだけの避難所」ではなく「自ら動く避難所にする」ことをあらかじめ考えていた」。

 すべての地域への金言だろう。

水ジャーナリスト。アクアスフィア・水教育研究所代表

水問題やその解決方法を調査し、情報発信を行う。また、学校、自治体、企業などと連携し、水をテーマにした探究的な学びを行う。社会課題の解決に貢献した書き手として「Yahoo!ニュース個人オーサーアワード2019」受賞。現在、武蔵野大学客員教授、東京財団政策研究所「未来の水ビジョン」プログラム研究主幹、NPO法人地域水道支援センター理事。著書に『水辺のワンダー〜世界を歩いて未来を考えた』(文研出版)、『水道民営化で水はどうなる』(岩波書店)、『67億人の水』(日本経済新聞出版社)、『日本の地下水が危ない』(幻冬舎新書)、『100年後の水を守る〜水ジャーナリストの20年』(文研出版)などがある。

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