NHKが民放の真似をしても、誰も見なくなるだけだと思う
この春の改編でNHKは明らかに民放を意識している
番組改編の時期を迎え、フジテレビの大幅改編が話題になっているが、NHKもかなり編成を変えてきた。これまで19:30だった『クローズアップ現代』を22:00に移して『クローズアップ現代プラス』とし、それに伴い時間を動かしたり新番組を開始したり、かなりの変化だ。
そのこと自体を気に留めるつもりもなかったのだが、先日街を歩いていてこんな駅貼りポスターを見てがく然とした。
ふだんはそれなりのレベルのポスターを制作しているNHKが、どうしてしまったのかと驚愕した。私は長年広告制作に携わってきたし、民放各局のポスターも制作していたのでいろいろ考えてしまう。このポスターの完成までにあったであろう不条理な展開は想像がつくが、何しろ想像なのでここでは書かないでおこう。
とにかく、このポスターは奇妙キテレツで、いまどきなかなかないものになっていると私は感じた。どこがどうと細かく言うつもりはないが、ひとつだけ言うとこの21世紀に「見参!」って言葉もないだろう。
そしてここから私が感じとったのは、NHKが“軽く“なりたい、と思っているらしいことだ。もともとマジメな人が、無理に軽くなろう、楽しい人に見られようと、やりなれないことをやった結果がこれだと感じられる。
同じ時期に新番組『ニュースチェック11』のポスターも駅で展開されていて、これがまた強烈な空気を放っている。無理やりカジュアルな感じを出そうとしているのが見え見えで痛々しい。連貼りでキャスター陣が様々なポーズをとっているのだが、その中には「ダチョー倶楽部かよ!」とツッコミたくなるものもある。
NHKは若年層に見られていない危機感があるらしい
私は決してNHKをdisりたくてこの記事を書いているわけではない。それより、NHKは自分のポジションを再認識したほうがいい、そうじゃないとあとあと取り返しのつかないことになるぞ、と警告を発したいのだ。
NHKがこのところ、若年層に見られていないことを強く気にしているらしいことは、なんとなく伝わってきていた。NHKの視聴率を支えているのは、我々の想像以上に年配層、もっとはっきり言えばお年寄りで、50代以下に絞った視聴率を見ると悲惨な状況が露見するそうだ。
世代を横軸に、視聴率を縦軸にとったグラフを作ると、NHKはきれいに正比例する。年齢とともに視聴率が高まるからだ。いつの時代もそうなら問題ないわけだが、今後は、そのグラフがそのまま横移動しかねない。つまり、いつの日か視聴者がいなくなってしまうのでは。これから先、受信料収入を得られなくなる、という危機感を募らせているらしいのだ。
だからいま、民放を真似ようとしている。視聴率がいい番組の真似をしろと、上からの指令がマジで下りてくるとの噂もある。その強引さ、無理やりさが、さっきのポスターに滲んでしまった、ということだろうと推察している。
若者の"テレビ離れ"とは、“放送離れ“だと認識すべき
NHKに限らず、若者のテレビ離れは間違いなく起きている現象だ。ただそのことは、番組の内容や質が原因と必ずしも言えない。よく言う、テレビがつまらなくなったから若者が離れている、というのは印象論かもしれないのだ。それよりも、“放送”という形態が若者に合わなくなっていることのほうが大きいと私は考えている。
先日私が企画したセミナーで、博報堂DYメディアパートナーズのメディア環境研究所所属、加藤薫氏が私に示してくれた分析をここで紹介したい。加藤氏は、こういう図をセミナーで示した。
加藤氏の分析は以下のようなものだ。
ポイントは、スマートフォンの普及以前と以後で、人びとのメディア接触の姿が大きく変わってしまったことにある。
スマートフォン以前では、テレビも新聞雑誌も、似た時間感覚で接していた。スマートフォンを持つようになってからは、「もっとはやく」という気分で、ものすごく“ファストな”メディア接触をする。ところがある時点で急に「もっとゆっくり」観たいという接触態度にチェンジする。同じコンテンツをずーっと見続けるのだ。それが終わるとまたシフトチェンジが起こり、スマートフォンで次々にメディアをむさぼるように見て回る。
さらに重要なのは、スピードを自分で調節して観ようとする傾向だ。「情報環境を最適化したい」とあるように、自分にとっていちばん都合のいいメディア接触をする。スマートフォンで自分の思うように矢継ぎ早にメディアを切り替えていく。「ゆっくり」モードでも、自分が観たい時にドラマやマンガを観る。(このレポートのフルバージョンは、PDFでじっくり見ることができる→メディア環境研究所の該当ページ)
この、基本的に慌ただしく、気分次第で突然じっくり何かに浸り、自分で調節したがる傾向に、“放送”は圧倒的に不利だ。決まった時刻にテレビ受像機の前にいなければならない。そんなメディアは、不都合で仕方ない。つまりいま、若年層のテレビ離れは新たな局面に入っているのだ。
NHKがいま取り組むべきなのは、民放の真似ではない。若年層の視聴が減っているなら、若年層の生活スタイルに寄っていくしかない。“放送“が合わなくなっているのだから、それ以外の手段、つまり“通信“を使って若者たちにアプローチできるかに取り組む必要がある。
具体的に言うと、民放がとっくにやっている無料の番組ネット配信をやるべきだ。この領域ではNHKだけ取り残されている。有料のNHKオンデマンドがせっかく好調なのにと思うだろうが、有料でも見たいなんてそれこそ年配層だけだろう。
放送と同じ内容をネットで送信する同時再送信も、せっかく実証実験をはじめたのならもっと強く推進すべきだ。民業圧迫の批判を浴びたとしても、民放とは違うルールで運営しているのだと、胸を張って進んでいけばいい。
公共放送の矜持で、存在価値を認識すべき
先にあげたポスターに私がつっかかったことを書くのは、あの表現から、公共放送の矜持を失いかけた志の低さを感じてしまったからだ。何をおもねっているのかと。
NHKは視聴率を気にする必要がないテレビ局のはずだ。視聴率より大事なのは、“信頼“ではないだろうか。若者であっても信頼できるメディアの筆頭にあげるのはNHKだろう。災害や事故が起こった時、通常の編成を曲げてしっかり情報発信してくれる。きちんとした情報を知りたい時、頼りにするのがNHK。そのポジションの重要性を認識し、守っていくことがいちばんの存在意義のはずだ。
そのポジションは、ネット上でも作れる。いやいまいちばんNHKがやるべきことこそ、ネット上での公共放送の新しい像を確立することなのだ。それができれば、世代が移っても、受信料制度がどう変わっても、存在を認めてもらえるにちがいない。
逆に視聴率に走り、民放と同じような番組づくりをしてしまっては、不要な存在になってしまうだろう。娯楽番組を作るなというのではない。『真田丸』のような大型時代劇や、『LIFE!』のような純粋コント番組や、『おやすみ日本』のような実験番組は、NHKならではの企画だと思う。そうしたものも含めて、公共放送だからできることを追求してほしい。
公共放送NHKが、ネットも含めた横断的な“公共メディア“になることを、ひとりの視聴者として望んでいる。それはいまよりさらに、ステップアップし唯一の存在になることだ。今後のメディア環境全体にとっても、それはいよいよ重要なことだと私は考えている。