熊本で4000人の大ヒット!映画「骨なし灯籠」聖地巡り〜人々の心を震わせるグリーフケアの物語
脚本家が監督を務め、頑張って完成させた映画
昨年11月に、映画「骨なし灯籠」の東京試写会の様子を私が運営するMediaBorderでレポートした。
「骨なし灯籠」は新しい郷土映画であり、映画製作の新潮流だと思う
脚本家・木庭有生子氏が精魂込めて書いた脚本の映画製作が、プロデューサーも監督もいなくなって頓挫しかけた。どうしても作りたいと初めて自分で監督に挑戦し、なんとか完成させた映画だ。木庭撫子という監督名で海外の映画祭に出品し、受賞したものの配給会社はつかない。大都市圏で上映したいと、東京と大阪で行った試写会だった。
私は古い友人として、脚本家としての実力は知っているけど監督なんかできるのかよと高を括って試写会で見たら思わず号泣し、なんとか東京で上映できないかと私の人脈を駆使したものの具体化できなかった。
熊本市のミニシアターDenkikanでの3月22日から2週間の上映は元々決まっていたが、それまでの間に熊本の財界人などの思わぬ支援を得て試写会も何度か実施できた。この映画はとにかく見ると誰しも号泣する作品なので、試写で見た人々が感動を広めてくれたようだ。
熊本で公開されたら大ヒット!
フタを開けると大ヒット!初日から三日間はあふれるほどお客さんが来てくれて尋常ではない賑わいとなった。「骨なしフィーバー」と劇場側がうれしい悲鳴をあげたという。
その後も連日お客さんが押し寄せ、見た人の感激が口コミでさらに広がったのか、上映は段階的に延長されていった。5月半ばの今も上映が続いていて、もうすぐ3ヶ月目に入る。少なくとも5月いっぱいは続くそうで、いつまでかわからないようだ。
私はゴールデンウィークに福岡の実家に帰ったのだが、5月5日6日と熊本に行くことにした。Denkikanの盛り上がりを見るためだが、さらに映画の舞台であり監督夫婦が住む山鹿の街を歩きたかったからだ。いわば聖地巡り。映画の話をしたら見てやはり号泣したと言う私の姉も同行した。
まず5日に熊本市に行き2回目の鑑賞。Denkikanは繁華街の中心の好立地で、熊本の人々に文化を発信してきた。
姉と2回目の映画を見て、新たな発見もありつつ、同じシーンで号泣。この日は上映後に監督のサイン会があり、さっそく行列ができていた。お年寄りが多いが若い人もいて、一人一人が感激を監督に伝えていた。
公開から6週間以上経ってもまだサイン会に人が並ぶ。自主制作映画としては異例だと思う。5月15日には観客動員数が4000人を超えたとリリースされた。地方のミニシアターでは1000人を超えれば十分ヒットだ。4000人は、老舗映画館Denkikanも驚愕の数字だという。
地元メディアでも公開前から連日取り上げられている。
- 3/18(月)「とんでるワイド 大田黒浩一のきょうも元気!」RKKラジオ
- 3/19(火)「ゆるるアフタヌーン(政木ゆか)」熊本シティエフエム
- 3/20(水・祝)「poppin’ breakfast(緒方仁深)」エフエム熊本
- 3/21(木)「塚原まきこの福ミミらじお」RKKラジオ
- 3/21(木)「週刊MUSIC PUNCH!」エフエム熊本
- 3/22(金)「TKUライブニュース」18:50~
- 3/28(木)・4/4(木)「ぱじゃまde シネマ」RKK 25:28
- 3/29(金)「シネマインフォメーション」RKK 18:55~
- 3/30(土)「からふる」RKK 17:25~
- 4/23(火)「TKUライブニュース」18:50~
- 4/30(火)「ゆるるアフタヌーン(政木ゆか)」熊本シティエフエム
- 5/2(木)「FMK In Style(森田真奈美)」エフエム熊本
- 5/18(土)「土曜だ!!江越だ!?(江越哲也)」RKKラジオ(放送予定)
もちろん新聞でも何度も記事になり、5月15日もこんな記事が公開されていた。
映画「骨なし灯籠」、異例のロングラン 熊本市のDenkikan、5月末まで延長
ご当地・山鹿で監督の案内による聖地巡り
サイン会の後、山鹿にある監督の家に姉と行った。木庭撫子氏の夫、木庭民夫氏は熊本市育ちだが、父親の実家が山鹿市だった。材木商を営んでいたのを畳んだのはずっと昔で、傷んでいた建物をリフォームして夫婦で住むことにした。映画製作は当初、プロデューサーがいたので民夫氏は関与していなかったが、取り残された撫子氏を助けるべく、撮影が始まってからは民夫氏がプロデューサーを務めた。夫婦二人で必死になって完成させた映画だ。
監督夫婦の案内で、5日から6日にかけて「骨なし灯籠」の聖地ツアーをした。山鹿は不思議な伝統が残る街で、映画にはうまくその魅力が映し出されている。
その際たる存在が、劇場・八千代座だ。明治末期に建てられ、大正期には様々な興行で賑わったという。高度成長期に寂れかけていたのを地元の青年たちが再興し、今に至る。こんなに美しい劇場を今も残してくれた当時の皆さんには感謝だ。
訪れた日は、灯籠踊りが披露された。二人の女性が頭に乗せているのが、映画のタイトルになった骨なし灯籠。和紙と糊だけで、木や竹を使わない独特の製法だ。これを頭に乗せて踊る姿は、他の祭りにはない不思議な風情がある。
夏の灯籠祭りでは、千人の女性が灯籠踊りを踊る。姉によると、昔から憧れの祭りだったそうだ。男性中心で女人禁制を誇る博多の祭りと違って、女性が中心の祭りとして素敵だと思っていた。
大衆浴場、さくら湯も山鹿を象徴する温泉だ。松山の道後温泉と同じ設計者が作ったそうだ。表から見ると、どこか似ている。映画の中では、主人公がポツンと疲れを癒す場面が印象的だが、この日は大勢のお客さんで賑やかだった。
そして山鹿灯籠民芸館は、映画の中で主人公が若き灯籠師と出会う重要な場所だ。和紙と糊だけで作られた様々な作品が飾られている。
2階に並ぶのは、さっき灯籠踊りで女性が頭に乗せていた灯篭。中央にあるのは蒸気機関車だ。周りには五重塔や金閣寺など様々な作品が展示されている。それらも、和紙と糊だけで作られている。近づいてみると、和紙だけで作られたのが信じられないほど精密だ。
八千代座、さくら湯、民芸館などは際立った建物だが、豊前街道沿いには昔ながらの街並みが残っている。昭和というより、明治大正の雰囲気だろうか。この通り沿いだけが独自の時間で動いているような不思議な気持ちにさせられる。
こうした山鹿の魅力を、映画ではこの通りをこう撮ったと監督に解説してもらいながら堪能することができた。映画を見た方は、山鹿の街にも行ってみると、二度感動できるだろう。
「骨なし灯籠」はグリーフケアの物語
それにしても、「骨なし灯籠」がいい映画であるのは確かにしても、正直ここまでのヒットになるとは思わなかった。ご当地映画だから熊本でヒットするのは当たり前だと思うかもしれないが、ご当地でも当たらなかったご当地映画も多い。もちろん山鹿の灯籠祭りがそれなりに有名だったこともあるだろう。だが私は、サイン会で一人一人が熱く監督に語りかける姿に何かがあると思った。中には、目を潤ませて話す人もいた。
この映画は、妻を亡くした男がそのお骨を持って彷徨い、山鹿にたどり着く物語だ。元々美術教師だった男は、灯籠師の修行をしながらも部屋にお骨を置き続け、離そうとしない。やがて男は、幻想的な出来事の末、妻と別れて新たな自分として生きる決意をする。そこに映画的な感動がある。
監督のもとに届いたある観客からの手紙に「もう一度生きていこうと思いました」とあったそうだ。その人に何があったかはわからない。だがこの映画は、グリーフケアの役割を果たす物語なのではないかと思った。
3年前に妻を亡くした男性が、「観るかどうか悩んだけど、観て良かった。ありがとう」と、監督に涙ながらに感謝してくれたこともあったという。2度、3度と来てくれるリピーターが多いのも、自らの経験と映画を重ね合わせるからかもしれない。そんな観客がまた友達・知人を連れてきてくれたり、宣伝してくれて、口コミでの広がりが大きく広がったのだろう。
主人公は妻の喪失から、山鹿の街に受け入れられることで立ち直ることができた。ベタベタと優しくされるわけではなく、距離を置きながらも灯籠祭りを通して男は街に溶け込んでいく。
他所から来た者を、そっと包み込むことで山鹿の街は彼の哀しみを癒すのだ。映画とグリーフケアを結びつけて捉えたことはなかったが、「骨なし灯籠」は山鹿のご当地映画であるだけでなく、むしろそこに核がある物語だからこそ、異例のヒットになりえたのではないか。
いまは、愛する人を失うことが増えていく時代だ。高齢化社会は同時に、多死社会でもある。いま著名人の訃報が次々にニュースになるのと同じように、無名の人々も亡くなっていっているはずだ。グリーフケアが日本中で求められている。
私は友人の作品であるという理由を超えて、この映画ができるだけ多くの場所で公開されるといいと思う。大切な人を失った人にこそ、この映画を見てほしい。きっと、癒しと勇気になるだろう。
映画はまだまだ、熊本のDenkikanで上映中。九州の方は、ぜひ見てください。
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プロデューサー・木庭民夫 tamiokoba0802@gmail.com
(※2024年5月17日付「MediaBorder2.0」より加筆・修正のうえ転載)