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セルフで自らのヌード撮影に臨むときの心境は?女優で写真家の花澄「覚悟を決めないと取り組めない」

水上賢治映画ライター
写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より

 女優、ナレーターとして活躍する花澄(かずみ)。

 映画、舞台、テレビ、ラジオなど幅広いフィールドを活動の場にする彼女だが、実はもうひとつ、写真家という顔がある。

 ある日、カメラを手にしてファインダーを覗いた瞬間から「見える世界がかわった」と語る彼女。

 そこから「撮られる側」から「撮る側」へ。写真家としての歩みを始めた。

 そして、先日、2年間撮り続けたセルフポートレートから厳選した作品をまとめた写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)が完成。これは、女優自らが写真家として、自らのヌードを撮り、ひとつの作品にまとめた、これまで例のないかもしれない写真集になる。

 この写真集の完成とともに先月23日(金)からは、こちらも自身で手掛ける写真展<「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)>の開催がスタート。10月には初の主演映画「百合の雨音」の公開も控える花澄に、カメラを手にしたきっかけから、今回の写真集発表と写真展開催までを訊く。(全五回)

写真集を完成させるとともに写真展を開催する花澄
写真集を完成させるとともに写真展を開催する花澄

1枚の写真を撮るにも3時間ぐらいかかってしまうのがざら

 前回(第三回はこちら)は、当初は自身のヌードを自らの手で撮り続けることは考えていなかったこと、コロナ禍ですべての仕事がストップしたことをきっかけに、2年間、自身を撮り続けることになったことが明かされた。

 それにしても、自らのカメラで、自らをモデルに、しかもヌードも含む作品を生み出すというのはあまり聞いたことがない。

 撮影はどのような形でされていたのだろうか?

「前回も少しお話ししたのですが、なにからなにまでひとりでやるのでかなり大変なんです(苦笑)。

 まず、これも話しましたが、わたしが愛用しているLeica M10-P は、オートフォーカスがついてないので、ピントを合わせるだけでも相当大変で。

 マニュアルカメラなので、ピント合わせも、自分の立ち位置で調整するしかないんです。

 さらにふわっとした感じで写るオールドレンズなので、ほんとうにピントが合っているのか判別しづらい。

 なので、1枚の写真を撮るにも3時間ぐらいかかってしまうのがざらで、果てしない時間がかかってしまう。

 根気のいる作業なので、そうそうできるものではない。

 『明日、ちょっと時間があるからやってみよう』みたいに気軽に取り組むことはできない。

 ひとつ覚悟を決めて、心して挑まないとダメなんです」

写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より
写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より

自分と自分のセッションみたいな感覚。自分という人間を丸裸にして、

自分という人間を主観でみたり、客観でみて、対峙していく

 このように、セッティングから撮影まですべての作業をたったひとりでで完結させ、自撮りの撮影を続けていったという。

 この撮影に臨んでいる時間というのはどういう感覚でいるのだろうか?

「なかなか言葉で説明するのは難しいですね。

 別の世界へ誘われるといいますか。

 まず、『今日撮ろう』と心を決めたら、『どういうふうに撮ろうかな』と自分の中にわいてきたイメージに沿ってセッティングはすることはする。

 でも、通常の写真撮影のように、たとえば被写体に、わたしの場合はわたしになりますけど、『こんなポーズを』とか求めるわけではない。誰かの求めに応じるスタイルの撮影ではないんですね。

 自分と自分のセッションみたいな感覚があって。

 ある意味、自分という人間を丸裸にして、自分という人間を主観でみたり、客観でみて、対峙していく。

 すると、おぼろげながらなにか自分が作品に『収めたい』と思う瞬間や場面のようなものが生まれる。

 このような感じで構図がだいたいみえると、もう自分の位置がカメラと1センチ違うだけ、いや数ミリ違うだけでもピントがずれてしまう世界なので、もうゾーンに入るというか。カメラマンとしても、被写体としても集中して、心身ともに研ぎ澄まされていく。

 すると、邪念のようなものが一切なくなる。

 カメラがあって、わたしがいて、その空間が存在するだけで、ほかへの意識が一切消えるんです。

 たとえば誰かに撮られるとなると、少なからず相手の要求に応えなければいけないような意識が働く。いろいろなところに気を配らないといけない。

 でも、わたしのこの自分で自分を撮る時間というのは、ほんとうに最後は『無』の境地に達するようなところがある。

 撮影している間は無心で集中して作品作りに没頭している感じ。でも、終わるともう疲労困憊なので、そうそうはできないんです。

 ただ、この撮影に臨んでいる間というのは、わたしにとっては幸せな時間で。

 自分の中からピュアなものが生まれて、それを形にしていくようなモノづくりの原点、創作の喜びを感じる瞬間になっている。

 すべてが自発から生まれて、それがすべて自分のもとに返ってくる。

 そのときにしか撮れない、そのときに生きてる自分にしか撮れない、そのときにしかできない表現をしている感触がある。

 ですから、ひとつ言えるのは、この撮影に臨んでいる間というのは、わたしにとって大切でかけがえのない時間であることは間違いないです」

写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より
写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より

自分がちょっと弱っていたりするときは無理なんです

 この話をきくと、心技体が整っていないと挑むことが難しい撮影といっていいかもしれない。

「そうなんですよ。

 まず実際問題として時間があるときでないとまず無理ではあるんですけど、片手間では決してできない。

 どこか意を決して挑むところはあって、自分がちょっと弱っていたりするときは無理なんです。

 元気がないときはカメラを向けられない、撮る気になれないんです。

 ほんとうに撮れないときがあったんですよ。自分が疲弊していて。

 だから、この撮影は、自分の心と体の健康状態のバロメータになっていて(笑)。

 たとえば自分が弱っていると何も沸き起こってこなくて、写真を撮る気も起こらない。

 逆に撮りたい気持ちが出てくると、『わたしちょっと生気がみなぎってきたかも』と感じる。

 ただ、撮影先行のときもありました。

 これは2年間のなかでも後半の方ですが、辛いとき、今の顔こそ残しておこう、と気分を変換することができました。

 撮ることによって、(自分の気持ちを)昇華できた部分もあります。

 いずれにしても撮影できるか否かは自分の心と体のバロメーターでもあり、創作に注ぐ情熱のバロメーターにもなっている気がします」

ほとんど自宅で撮ったものになります!

 写真を見るとにわかに信じられないのだが、訊くと、撮影はその多くが自宅で行われたという。

「ロケ先のホテルで撮ったものもあるんですけど、ほとんど自宅で撮ったものになります。世間が緊急事態の真っ只中だったこともありましたし。

 照明や小物も自分で用意してセッティングして撮影しています。

 作品によってはかなり異世界に見えるものもあるんですけど、基本は自宅で撮ったものになります(笑)」

(※第五回に続く)

【花澄インタビュー第一回はこちら】

【花澄インタビュー第二回はこちら】

【花澄インタビュー第三回はこちら】

写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より
写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)より

写真集「Scent of a...」(セント・オブ・ア...)

A4変形ハードカバー64頁

価格:5500円(税込)

写真展会場とオンラインショップで販売

オンラインショップはこちら → https://kazumiphoto.base.shop/

写真集や写真展に関する最新情報はこちら

→ https://kazumi-photo.com/news/

<花澄写真展「Scent of a…」(セント・オブ・ア)〜わたしが、わたしを、うつす〜>より
<花澄写真展「Scent of a…」(セント・オブ・ア)〜わたしが、わたしを、うつす〜>より

<花澄写真展「Scent of a…」(セント・オブ・ア)

〜わたしが、わたしを、うつす〜>

期間:10月23日(日)まで

時間:10:00~21:00(※店舗営業時間に準ずる)

入場無料

場所:新宿 北村写真機店 6F Space Lucida

写真はすべて(C)2022 KAZUMI PHOTOGRAPHY. All Rights Reserved.

映画ライター

レコード会社、雑誌編集などを経てフリーのライターに。 現在、テレビ雑誌やウェブ媒体で、監督や俳優などのインタビューおよび作品レビュー記事を執筆中。2010~13年、<PFF(ぴあフィルムフェスティバル)>のセレクション・メンバー、2015、2017年には<山形国際ドキュメンタリー映画祭>コンペティション部門の予備選考委員、2018年、2019年と<SSFF&ASIA>のノンフィクション部門の審査委員を務めた。

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