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交通事故死をチャイルド・デス・レビュー(CDR)で検討する

山中龍宏小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長
(写真:アフロ)

はじめに

 チャイルド・デス・レビュー(Child Death Review:以下、CDRと略す)とは、日本語で表記すると「予防のための子どもの死亡検討制度」となる。予防が可能な子どもの死を減らすことを目的として、多職種の専門家が連携し、系統的に死因調査を実施して登録・検証し、効果的な予防策を講じて介入を行おうとする制度である。こう表記すれば、子どもたちの安全、健康のために当然設置されるべきシステムと思われるが、具体的に何をするのかよくわからない。欧米ではCDRが法制化されている国が多いが、わが国では、2020年4月からCDRの体制整備モデル事業が7府県で始まった。

 WHO(世界保健機関)は、「事故死の90-95%は予防可能である」と指摘しているが、事故にはいろいろな種類があり、具体的にどう取り組むのかよくわからない。そこで、CDRで予期せぬ事故によって起こった死を検討することについて考えてみたい。

CDRとは

 人が死亡した場合、死亡した原因や機序が医学的に検討され、死亡診断書が作成される。事故死の場合には、医療機関から警察に報告することが義務付けられており、警察によって現場検証が行われる。これらは、死に関する事実を明らかにする作業で、「死因究明」と言われている。死因究明の目的は、死因が不明であることによって生ずる社会不安を解消し、医学的には診断や治療法の改善が検討されて医学の発展に貢献し、また、死に関与した責任や程度を明らかにして社会正義を実現することである。個別のケースが死亡するまでの時間の「事実」のみが検討され、次に同じことが起こらないようにする「予防」は重視されない。

 一方、CDRは、死因究明で明らかにされた事実をもとに、「このような対策、対応をしていれば、死ななかったのではないか」という仮説を立てて「予防可能性」を検討する作業である。多職種の人が、それぞれの立場から予防策を提示し、それを実現するための方法を検討して社会全体で共有し、さらに予防措置の有効性を検証することも、CDRには求められている。ヒューマンエラーを見つけるのではなく、システムエラーを見つけるための情報収集や検討がCDRなのである。時間軸としては未来に重点が置かれ、空間的には全国で予防を実現することが重視される。死因究明とCDRをほぼ同じものと考えている人がいるが、CDRは詳細で正確な死因究明がなされた上での検討となる。このCDRの基本的な考え方をよく理解しておく必要がある。

最近起きた交通事故死のニュース

 2021年2月21日午前4時50分ごろ、岐阜県大垣市の国道417号で、男女4人の乗った軽自動車が田んぼに転落、後部座席に乗っていた2人が頭や胸を強く打つなどし、搬送先の病院で死亡した。

 県警大垣署によると、亡くなったのはいずれも同県の高校生の少女(18)と、少年(17)。運転していたとび職の少年(18)と助手席の少女(17)もけがをしたが、意識はあるという。現場は右カーブで、車は沿道のガードパイプを突き破り、2メートル下の田んぼに転落。「夜景を見た帰りだった」と説明しているという。署が詳しい事故原因を調べている。

【参照】軽自動車が田んぼに転落、高校生2人死亡 岐阜の国道(2021年2月21日 朝日新聞デジタル)

事故死と具体的なCDR

 上記のニュースを読んで、2年前に参加したシンポジウムのワークショップを思い出した。それを紹介したい。

シンポジウムのチラシ(筆者撮影)
シンポジウムのチラシ(筆者撮影)

 2019年2月、東京都港区の東海大学高輪キャンパスで、厚生労働科学研究費助成「小児死亡事例に関する登録・検証システムの確立に向けた実現可能性の検証に関する研究」班の主催で、CDRに関する国際シンポジウムが開かれた。2日目のワークショップで、アメリカから来られたCovington氏が事例を提出された。

事例:15歳の女児。車の後部座席に座っていて、その車は、お兄さんとその友人が運転していたのですが、日中なので、本来でしたら学校にいるべき時間でした。少し郊外の道を運転していて、カーブを高速で走っていたためにコントロールがきかなくなり、溝に落ちてしまいました。それによって、彼女はシートベルトをしていなかったので死亡してしまいました。2人の男児はシートベルトをしていたので助かりました。

 このケースについて、グループで予防策を話し合った。

グループ員:「シートベルトさえしていれば助かったはず」、「後部座席でもシートベルトをする必要性を教える。法制化する必要がある」

Covington:「警察からの情報では、そのカーブで何度も事故が起きていて、死亡事故も起こっていたが、改善されることはなかった」

グループ員:「標識もないようなので設置する。そのカーブを舗装したり、直したらよいのではないか」

 これで、予防のための検討は終わりになると思ったが、話は続いた。

Covington:「別の人が質問しました。なんで学校に行っている時間に、その場所にいたのでしょうね、と。学校代表の人もCDRの場にいて、この問題についてちょっと掘り下げて検討しました。すると、事故が起こった前日、その女児は性的暴行を受けたため、そのままでは恥ずかしくて学校に行けない。そこで、兄が彼女を連れていろいろなところを走り回っていたということがわかりました。スクールカウンセラーの話によると、高校にいる10代の子どもたちは、何か性的な暴行を受けたとしても、地元の病院に行くと警察や病院のスタッフにすごく嫌な扱いを受けるので、そういうところに行かない方がいいと考えていることがわかりました。検察は、10代の子どもたちがそういう態度を取っていることに非常に驚きました。その後、検討して委員会を設置しました。その委員会には、学生と病院と警察とメンタルヘルスの人たちが関わっていて、病院において、性的暴行を受けた人がどういったプロセスで治療を受けるのか、高校においては、そういったことが問題となったときに、どういう対応をしたらよいかという研修会を行いました。

 最初はシンプルな10代のドライバーの事故として、シートベルトをしていれば防げるという問題であったものが、実際には10代のドライバーに対してシートベルトの教育をし、カーブの部分を直し、また性的暴行を受けた10代の人に対して新しいプロセスを生むという形になりました。CDRをしていなければ、こんな話にはならなかったと思います」

 私がこの例を検討すると、シートベルトの使用と、道路の構造の問題として片付けてしまうところであったが、「なぜ、そうしたのだろうか?」と問い続けた結果、新たな課題の解決につながった。このワークショップに参加してCDR の具体例を示してもらい、死因究明とCDRの違いをよく理解することができた。40年の歴史があるアメリカのCDRから学ぶことがたくさんあると認識した。

岐阜県の交通事故死を仮想CDRで検討すると

 さて、岐阜県のニュースに戻ろう。このニュースを見た限りでは、ワークショップで紹介されたケースと似ていると思い、仮想CDRとして知りたいことを挙げてみた。CDRの対象は18歳未満とされているが、記事の年齢からは高校3年生と思われるので対象範囲と考えた。

 2月21日は日曜日で、その日の早朝の事故である。夜景を見た帰りとのことであるが、事故は午前4時50分に起こっており、夜景を見ただけという説明では理解できない。時間から推測すると、前日の夜から4人で行動していたのではないか。

 運転者は18歳とのこと。無免許でなければ、免許を取って1年以内である。これまで、どれくらいの運転経験があったのか?事故歴の有無、居眠り運転の可能性、酒や薬物の摂取の可能性は?スピードの出しすぎの可能性が指摘されているが、スピードを上げたのはなぜか?運転免許を取得して1年以内の事故の発生率は?1年以内には、どういう事故が多いのか?免許を取るときに、免許取得後の1年間に起こりやすい事故とその予防策の教育はなされたか?自動車に問題はなかったか?自動車は定期的に整備されていたか。自動車に、これまでの事故歴があるか?

 道路の状況では、事故が起こった場所で、これまでに同様な事故が起こっていたか否か。起こっていなければ、運転者の検討を中心に行い、何度か事故が起こっていれば、道路の構造を変えたり、信号や標識の整備を検討する必要がある。

 運転席と助手席はシートベルトをしていたが、後部座席の2人はシートベルトをしていなかったために死亡したと思われる。なぜ後部座席でシートベルトをしなかったのか? 

…などなど、検討する課題はたくさんある。これらについて検討し、具体的な予防策を提言することがCDRなのである。

再発予防から入る必要性

 子どもが死亡した場合、遺族の、

①何故、死ななければならなかったのか、その理由を知りたい

②同じ事故死が、二度と起こらないようにしてほしい

という2つの要望に対応するのが検証を行う第三者委員会の役割と認識していた。第三者委員会の委員を務めてわかったことは、この2つの要望は同じ重みづけではなく、①に9割くらいの重みづけがなされ、①がはっきりすれば必然的に②が導き出されると考えられていたようだ。この考え方でいくと、①の原因究明からは必然的に「責任追及」になり、責任は個人に収れんしていく。「責任追及は予防にはつながらない」といくら指摘しても、遺族には受け入れられないことが多い。

 第三者委員会は「公平、中立、客観性」の組織であるとされているが、「公平」「中立」「客観性」を並列で並べることもトラブルの原因となるように思われる。「公平・中立」と「客観性」は次元が異なっている。

 医療事故調査制度について解説したある記事(下記「資料」)では、「医療安全は科学であり、紛争はそうではない。科学に、公正も中立も誠意も納得もない。人間は確率的にエラーを起こすから、それがアクシデントに繋がらないようシステムを構築する、それだけである。エラーをいくら非難しても再発防止は出来ない」、「厚労省が再三明言しているように、今般の制度の目的は医療安全・再発防止であって、紛争解決でも責任追及でも説明責任を果たすことでもない」、「ドライに聞こえるかもしれないが、この制度は事故で亡くなった人やその遺族のためのものではないということだ。事故情報は再発防止、つまりこれから医療を受ける国民のためにのみ利用される、これが制度の趣旨である」と述べられている。医療事故調査制度もCDRも、死からの学びを社会の共有財産にするという理念に基づいているのである。

おわりに

 一定の頻度で子どもの事故死が起こり続けている。これまで、担当部署でそれぞれ行われていた死亡検証が、CDRによって一か所で網羅的に検証することが可能となり、検証結果は社会で共有されることになった。多職種の人が、それぞれの視点で再発予防を検討する場ができたことはたいへん大きな進歩である。

 これから、いろいろなところでCDRが行われると思われるが、CDRの大前提の設定を間違えないこと、すなわち、必ず「再発予防」から議論をスタートする、いつも「再発予防」に議論を戻して「再発予防のための会議」であることを確認しつつ議論を進める必要があると考えている。

資 料

満岡渉:「ついに始まった医療事故調査制度~自分の身は自分で守ろう~」2015年12月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会

小児科医/NPO法人 Safe Kids Japan 理事長

1974年東京大学医学部卒業。1987年同大学医学部小児科講師。1989年焼津市立総合病院小児科科長。1995年こどもの城小児保健部長を経て、1999年緑園こどもクリニック(横浜市泉区)院長。1985年、プールの排水口に吸い込まれた中学2年生女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在、NPO法人Safe Kids Japan理事長、こども家庭庁教育・保育施設等における重大事故防止策を考える有識者会議委員、国民生活センター商品テスト分析・評価委員会委員、日本スポーツ振興センター学校災害防止調査研究委員会委員。

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