【大河ドラマ鎌倉殿の13人】殺人犯を処罰する!北条泰時の決断に大江広元が涙した訳
正治2年(1200)3月29日の昼、都で1つの殺人事件が発生します。事の発端は、前若狭守・藤原保季が、吉田親清(中原親能の郎等)の妻を犯したことにありました。怒った親清は、保季を追いかけて、保季を刀で斬り殺してしまいます。その後、親清は馬で逃亡、鎌倉に逃れてくるのです。
しかし、殺された保季の父・藤原定長は、息子を殺された恨みから、親清の処罰を求めてきます。この問題に鎌倉の首脳部はどのような決断を下すのでしょうか。同年4月10日、中原親能と大江広元は、北条義時に次のように伝えます。「先月、若狭前司保季を殺害した男が自首しております。如何いたしましょうか?」と。
それに対し、義時は「白黒付けてください」と回答。自分の考えというものを示しませんでした。この問題に余り関心がなかったのかもしれません。しかし、このやり取りを側で聞いてきた「江間太郎」(北条泰時)は違いました。
「郎従の身(吉田親清のこと)でありながら、昇殿の人(藤原保季)を殺害するとは、武士の本意ではない。また白昼の所業は、重罪。すぐに役所(検非違使庁)に突き出して、死罪にすべきでしょう」と堂々と意見を述べたのです。
これを聞いた大江広元は、感嘆し、涙を流したといいます。武士の本分を弁え、朝廷への尊崇厚い泰時の心に感激したのでしょう。