Yahoo!ニュース

大人の日帰りウォーキング 楽しくなければ続かない これからは頑張りすぎずに趣味を楽しむ私のコツ

わか子ライター

もうすぐお昼になろうとしている。
江戸東京日本橋を出発し、東海道を「街道ウォーキング」してきたおばさん3人は、港区の三田を過ぎて歩き進んでいる。そろそろお腹も空いてきた。

品川駅まで頑張って歩こうよ。
明子さんが言った。明子さんは自分の体力を誇るように張り切って歩いており、今日のウォーキングのペースメーカーになっている。そのペースは、運動が苦手な晴美さんにとっては速いので、後を歩き続けるのは大変かもしれない。

明子さんは、晴美さんが糖尿病であり、医師から運動するように言われている事を知っている。だから、自分がペースを保つことは晴美さんの為と思っているようにも感じる。

そうかもしれないけれど、そうじゃないよね。我ながら、人に伝わらない言葉だと反省する。
晴美さんにとって運動は大切。しかし、今日のウォーキングのペースを晴美さんの体力以上に保つことではない。

自分が誰かのためにと思う事は、相手の為になっていない事が多い。

街道ウォーキングは趣味である。趣味は楽しんで行いたいし、楽しむもの。
今日一日のウォーキングを頑張っても、大変だったと思ってしまえば、今後は足が向かなくなる。たとえペースが遅くても、街道ウォーキングが楽しければ、また行きたいと思える。
楽しければ何回も歩きつなぐ街道ウォーキングになり、晴美さんにとって大切な運動習慣を日常生活に取り入れることができる。誰でも楽しいと続けられるし、楽しくなければ続かない。

趣味を楽しんでいたら運動になっていた。
こうしなければならない、こうであるべきと言う努力や我慢は、おばさんになるまで目いっぱい頑張った。だから、もう卒業しても良いじゃないか。

おなかが空いたから、近くのお店に入ろうよ。
そう言う晴美さんは、旧街道を歩く日帰りウォーキングに行こうと言い出した本人である。自身が糖尿病で、運動をしなければならないと自覚はしていると思う。
そして、私もおなかが空いた。早くお昼を食べたい。
あそこに入ろうか。道路の向かいにチェーンのお蕎麦屋さんがあるわよ。
あなたたち二人は濡らしたタオルを首からかけているから。入れそうな店が限られるけれど、ここなら大丈夫でしょ。明子さんが言った。
今日はかなり暑い。私と晴美さんは、公園の水道でタオルを濡らして首からかけていた。涼しくてさっぱりするので気持ちが良いけれど、カフェなどには入りづらい。明子さんの言う通りだ。
すみませんねぇと、心の中でぶつぶつ言いながら、濡れたタオルをリュックの中にしまい込んだ。おばさんは素直さが低下する年代でもある。
晴美さんは「ミニかき揚げ丼セット」、明子さんは「ミニかつ丼セット」を注文し、私は冷たいそばにした。
それで足りるの?
明子さんにそう聞かれ、晴美さんも隣で同じようにうなずく。
もちろん、足りないよ。
体調が悪いとか、ダイエットをしている訳ではない。ちゃんと、リュックの中には大きいおにぎりが二個入っている。二つとも食べると、総摂取カロリーは二人と良い勝負になる。さらに、糖質量では一位獲得で間違いない。自慢する事ではないか。

旧東海道である国道15号(第一京浜)を歩いていると、歩道の真ん中にドンと大きな木が立ちはだかった。
ここが、高輪の大木戸だ。
そうつぶやくと、晴美さんが言う。大木戸ってなに?
関所のようなものかな。ここで江戸への出入りの取り締まりをしたのよ。甲州街道の四谷にもあったけれど、今の四谷には石碑が建てられているだけで他には何も残っていないのよ。

高輪大木戸跡(東京都港区高輪2丁目)
高輪大木戸跡(東京都港区高輪2丁目)

国境を超える訳ではないのに、きびしいよね。
明子さんが言った。
しかし、当時は国境を超えるぐらいの気持ちで、人々は旅に出たのだろう。
大木戸は簡易的な関所と言われるから、箱根や碓井の関所を通るのも大変だっただろうね。入り鉄砲と出女と言われていたから、私たちなら女手形を見せないと通らせてくれないね。
何で、女性の取り調べが厳しかったの?
江戸から出るのを厳しく取り締まられたのは大名の妻子なのよ。人質として、江戸の御屋敷に住むことになっていたからね。

高輪ゲートウェイ駅入り口から見る品川駅方面
高輪ゲートウェイ駅入り口から見る品川駅方面

新しく作られたJR山手線・京浜東北線の「高輪ゲートウエイ駅」のすぐそばを通る。駅前の開発工事と同時に何かの発掘調査もされていて、都心なのに珍しく建物がない空間が広がっていた。
その空間の片隅には古い線路の高架橋が取り壊されているのが見える。
京急か。品川駅周辺の再開発で地上の高架線路を走っていた京急も地下へ引っ越しをしている。街はどんどん進化している。
少し先には品川駅。JRと京急の駅の向こうに建ち並ぶ新しいビルは、まるで屏風のようにも見える。品川駅も変わっていく。変わる前にこの場所で見た今日の景色。今度来るときはどんな景色になっているだろう。

こっち、だよね。
おばさん三人が歩き進む。先頭を歩いていた明子さんは大きな交差点に差し掛かり、この先を確認する。明子さんに引っ張られているように歩いている私たちは、数メートルも後ろを歩いていた。
ペースが速いよ。
晴美さんは、疲れてきたようにみえる。
明子さんに追いついて場所を確認すると、旧東海道はここから国道15号とわかれているようだ。スマフォを取り出しGPSで場所を確認する。
この辺り、ややこしいね。国道15号じゃなくて、左に行って線路の上の橋を渡って…。
渡っている八ツ山橋の下を東海道線が走り抜けた。反対からは山手線が走ってくる。鉄道好きに人気がありそうな景色だ。
あら、晴美さんが電車の写真を撮っている。疲れたように見えていたけれど、大丈夫そうかな。私も写真を撮ろう。
右手の丘のふもと、その一段低く見える谷のようになっている場所を何本もの線路が通っている。丘の上に建っている高いビルも含めて、走ってくる電車と共に写真に収めようと、スマフォを構えてタイミングを待つ。走ってきたのは京浜東北線。東京らしい景色がスマフォの画面に映し出されていた。

橋を渡った先でも道路が分かれており、戸惑いながら確認していると、こっちだよと、明子さんが声をかけてくれる。江戸を意識したような格子柄のデザインの小さな建物があり、先に進んでいた明子さんはその建物の前にいた。小さな建物は公衆トイレのようだ。東屋とベンチもあった。
明子さんと晴美さんは我先にとベンチにすわり、リュックからお茶を取り出して飲んでいる。二人とも疲れているじゃないか。
この辺りでようやく二里(約8km)になる。日本橋から二つ目になる一里塚は残っていなく、一つ目の一里塚と同様に江戸時代からなかったらしい。時間は13時を過ぎているが、ようやく、東海道の最初の宿場である品川宿の端まで来た。

歩きながら首からかけていたタオルは、軽く乾いていた。トイレの近くに水道があり、タオルをすすいで軽く絞る。濡れたタオルは汗をかいた顔を拭くのにもちょうど良い。暑い日に、濡れたタオルを首からかける作戦は有効とする。気化熱、恐るべしだ。

旧東海道は京急の線路を渡ると品川宿に入る。交通量がぐっと減り、時折、自転車や歩行者が行き交う静かな道になった。道幅はそれほど広くないが歩きやすい。
街道の両側に間口を揃えるように建物が建っている風景に宿場であることを感じる。そして、街道脇に多くの真新しい石碑が置かれていた。
古くからの街であることがわかる昭和のような建物を見かけることはあるが、これは、と思うような明治・大正を感じる建物は見当たらない。

品川宿本陣跡(品川区北品川2丁目)
品川宿本陣跡(品川区北品川2丁目)

街道を歩いていると、松が植えられているのに気付く。
東海道が取り持つ縁で、他の宿場から寄贈されていると、説明版に書かれていた。

街道松の広場 浜松宿の街道松
街道松の広場 浜松宿の街道松

浜松宿か、東海道の半分辺りの場所じゃないかな。
そう言えば、晴美さんは静岡県出身だと言っていたのを思い出す。
浜松でも遠いのに、まだそこで半分なの?
明子さんは驚いたように言った。
街道歩きは長いよ。
でも、最初からルールなんて無いし、制覇だってしなくても良いからね。自宅から近い地域を歩いて楽しんでいる人もいるし、自分だけの目標を立てれば楽しめると思うよ。
明子さんは私の話を聞いているけれど、何だか納得出来ていない様子だった。
おばさんになれば、これからを楽しむ。それで良いと思う。

品川宿交流館本宿お休み処(品川区北品川2丁目)
品川宿交流館本宿お休み処(品川区北品川2丁目)
ライター

東京都在住のおばさんです。子育てが落ち着いてきた頃より趣味で登山や街道歩き等を始めました。歩く旅は大変だというイメージがありますが、歩く事で解る楽しみもあります。実際に歩く旅をして、歩く旅の楽しさをお伝えしたいと思っています。

わか子の最近の記事