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空の非常時 七五三のときに上陸した台風

饒村曜気象予報士
昭和7年11月15日6時の地上天気図

台風の定義と台風統計

 気象庁では、台風の定義として北西太平洋(東経180度以西で南シナ海を含む)の熱帯低気圧のうち、最大風速が17.2メートル以上のものとしています。

 そして、このような基準が適用された昭和26年(1951年)以降について、台風統計を行っています

 昭和25年(1950年)以前については、このような定義がなく、「この頃がこの台風の最盛期で、最大風速は10メートルであった」というように、日本の南海上で発生した低気圧を台風と呼んでいました。

 また、熱帯低気圧と温帯低気圧の区別がはっきりしておらず、天気図に前線を引くこともありませんでした。このため、台風が温帯低気圧に変わるということは考えておらず、台風で発生したら、最後まで台風でした。

 気象庁で用いている「台風の上陸」の定義は、「本州、四国、九州及び北海道の陸上に台風の中心 (気圧の一番低い所)が達したもの」です。沖縄本島など島の上を通過した場合は上陸とは数えていません。

 台風統計が行われている昭和26年(1951)以降では、11月の上陸台風は、平成2年(1990年)11月30日に和歌山県白浜町の南に上陸した台風28号だけです(表)。

表 上陸日時が遅い台風
表 上陸日時が遅い台風

 日本から遠く離れた熱帯域に積乱雲の雲の塊、台風の卵が出来ています(図1)。

図1 気象衛星画像(11月13日12時)
図1 気象衛星画像(11月13日12時)

 台風の卵が発生したとしても、11月の台風の多くがそうであるように、そのまま西へ進み、フィリピンに上陸する可能性が高く、日本には接近しないと考えられます。

 しかし、11月でも台風が北上して接近し、大きな被害が発生することが希にあります。11月になれば、台風被害がゼロになるというものではありません。

11月以降に上陸されたとされる台風

 昭和25年以前の台風上陸がどうだったのかというと、これは難しい問題です。

 というのは、現在と定義が異なっていることに加えて、解析方法が異なっていることなどから、当時、上陸として扱っている台風でも、現在の基準からみれば、上陸時にはすでに「熱帯低気圧」に衰えていたり、温帯低気圧に変っていたりするものが含まれています。

 また、逆に当時の乏しい観測貸料では、上陸した台風を見逃している場合も十分に考えられるからです。

 以上のことを承知で古い資料、例えば昭和19年(1944年)に中央気象台が作った「日本颱風資料」や、昭和15年(1940年)から毎年、中央気象台(現在の気象庁)で作られている「台風経路図」などで調べると、4個の台風が11月、12月に上陸したことになっています。

明治25年(1892年)11月24日に東海地方に上陸した台風

明治27年(1894年)12月10日に九州南部か11日に関東地方に上陸した台風(図2)

昭和7年(1932年)11月15日に房総半島に上陸した台風

昭和23年(1948年)11月19日に紀伊半島に上陸した台風

図2 明治27年(1894年)12月の台風の経路
図2 明治27年(1894年)12月の台風の経路

 ただ、いずれも上陸時には温帯低気圧に変わっていた可能性が高く、11月以降の台風上陸は、平成2年(1990年)の台風28号のみである可能性もあります。

 しかし、このことは、11月以降に台風による被害がないという意味ではありません。

 昭和7年(1932年)11月15日に房総半島に上陸した台風、七五三の日に上陸したことから「七五三台風」と呼ばれた台風では、大きな被害が発生しています(図3)。

図3 七五三台風の経路(図中の白丸は6時の位置)と昭和7年11月14日18時の天気図
図3 七五三台風の経路(図中の白丸は6時の位置)と昭和7年11月14日18時の天気図

 

七五三台風

 昭和7年(昭和32年)11月7日にフィリピンの東海上で発生した台風は、ルソン島をかすめて北上した後、向きを北東に変え、発達しながら15日0時に千葉県房総半島に上陸しています(図4)。

図4 昭和7年(1932年)11月14日18時の天気図
図4 昭和7年(1932年)11月14日18時の天気図

 七五三台風により、最大風速は、横浜で毎秒36.3メートルを観測するなど、東海地方から関東地方の沿岸沿いの地方で30メートルを超えています。

 また、伊豆半島や関東南部~福島県の太平洋側では、ところにより総雨量が200ミリを超える豪雨となって、死者・行方不明者257名という大きな被害が発生しています。

 中央気象台が毎月発行していた「気象要覧」によると、「中心から延びる不連続線」など、現在の基準から見れば、上陸時には前線を伴っていた(温帯低気圧に変わっていた)と思えるような記述もあります。

 ただ、当時は前線の概念は一般化しておらず、日本の天気図には前線が記入されていません。

関東付近まで進行し来った台風域内には北東風、北西風、南風の三気流系があるらしく、第一と第三は気温の差が最も大であるために、その間に顕著なる不連続線を生じたものの如くである。中心より進行方向に向かって延びるこの不連続線は…

出典:気象要覧(昭和7年11月号)

空の非常時

 昭和7年(1932年)という年は1月に上海事変、3月に満州国建国宣言があり、その後日中戦争の激化などがあり、戦時体制が強化されていった年です。

 そのせいか、昭和7年(1932年)11月15日の朝日新聞夕刊では、七五三台風を「空の非常時を演出した」と記しています。そして、「お天気博士あきれる 先例や経験だけでは駄目になって来たよ」という、藤原咲平博士の談話を載せています。

 ちなみに、この藤原咲平博士は、自身の名がついた「藤原の効果(台風が複数ある時の相互作用)」を解明した人で、後に中央気象台長に就任します。

 最近の気象は、極端な現象が観測されるようになり、荒っぽくなってきたと言われています。「どうも先例や経験で推せなくなって来た」という藤原博士の嘆きは、現在もあてはまりそうです。

図1の出典:ウェザーマップ提供。

図2の出典:気象庁資料。

図3の出典:饒村曜(1993)、続・台風物語、日本気象協会。

図4の出典:デジタル台風(国立情報学研究所ホームページ)より

表の出典:気象庁ホームページ。

気象予報士

1951年新潟県生まれ。新潟大学理学部卒業後に気象庁に入り、予報官などを経て、1995年阪神大震災のときは神戸海洋気象台予報課長。その後、福井・和歌山・静岡・東京航空地方気象台長など、防災対策先進県で勤務しました。自然災害に対しては、ちょっとした知恵があれば軽減できるのではないかと感じ、台風進路予報の予報円表示など防災情報の発表やその改善のかたわら、わかりやすい著作などを積み重ねてきました。2024年9月新刊『防災気象情報等で使われる100の用語』(近代消防社)という本を出版しました。

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