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地元待望の橋上化計画が始動した築76年の木造駅舎 東海道本線 愛知御津駅(愛知県豊川市)

清水要鉄道・旅行ライター
愛知御津駅

 平成20(2008)年1月15日の合併で豊川市の一部となった旧:宝飯郡御津町は古くより水上交通の要衝として栄えたところで、持統天皇が「三河行幸」で訪れたとの記録も残る。江戸時代には東三河の天領から江戸に向けての年貢米の積出港として栄えた。そんな御津町の玄関口が東海道本線の愛知御津(あいちみと)駅だ。普通・区間快速のみが停まる小さな駅で、快速・新快速・特別快速は通過する。

駅舎
駅舎

 愛知御津駅は明治21(1888)年9月1日、官設鉄道が浜松から大府までを開通させた際に「御油(ごゆ)」駅として開業した。駅名の由来は東海道35番目の宿場町・御油宿のあった宝飯郡御油村(現:豊川市)である。当初の計画では鉄道は東海道に沿って敷かれる予定で、宝飯郡役所が置かれて栄えていた御油に駅が設置されるはずであった。

 しかしながら当時は勾配に弱い汽車の時代。官設鉄道は勾配を避けて海側を通ることとなり、御油に駅はできなかった。代わりに駅の設置場所として選ばれたのが御油より海寄りの御津(当時は宝飯郡西方村)であったが、駅名には計画通りの「御油」がそのまま採用された。

 御油には後に勾配の強い電車を採用した愛知電気鉄道(現:名鉄名古屋本線)が通っているが、既に御油駅が存在することから駅名は「本御油」を名乗ることに。町の中心から外れた国鉄や幹線の駅が町名を名乗り、中心に近い私鉄や私鉄の駅が「本〇〇」を名乗る例は全国的に多く見られる。

改札口と駅名標
改札口と駅名標

 御油駅は昭和20(1945)年8月7日に豊川周辺を襲った空襲により駅舎を焼失、3年後の昭和23(1948)年4月に現在の駅舎が再建されている。同年8月1日には駅名も「御油」から「愛知御津」に改称されて現在の駅名となった。新しい駅名は所在地の御津町から命名されたが、単に「御津(みと)」駅とすると茨城県の水戸駅と音が同じでややこしいことから、県名の「愛知」を冠することとなった。国名の「三河」を冠さなかったのは「三河三谷」など「三河」のつく駅名が既に多かったからだとされている。当駅の改称から7か月後の昭和24(1949)年3月1日には名鉄の「本御油」駅が改称されて二代目の「御油」駅となった。

橋上化を求める看板
橋上化を求める看板

 愛知御津駅の駅舎は平成3(1991)年3月16日に改装されて新築同然の姿になったものの、線路によって駅の南北が分断されているという問題は解消されなかった。駅の南北を行き来するには西側の御油踏切(旧駅名をとどめている)か東側の線路を潜るガードを潜らねばならず、駅の出口がない南側からの利用者にとっては負担が大きい。また、ガードの方は小中学校の通学路になっているものの、狭く危険であることが問題視されてきた。

 これらの問題を解決するべく令和10(2028)年度の完成を目指して始動したのが愛知御津駅の橋上化計画だ。駅の南北を結ぶ自由通路を建設し、その通路に直結する形で橋上に改札口を設置する。現在の駅にはエレベーターもないが、橋上駅舎には設置され、これによりバリアフリー化も実現される予定だ。

改札口
改札口

 現在の駅舎は戦後再建されたもので、平成初期に改装されているものの、今年で築76年。メルヘンチックな外観はあまり古さを感じさせないが、老朽化も進んでいることだろう。橋上化工事にあたっては仮駅舎が設置される予定で、スケジュールから見るに早ければ年内にも仮駅舎に移行して木造駅舎は役目を終えることだろう。

ホーム
ホーム

 愛知御津駅のホームは2面3線。駅舎側の1番線が豊橋方面、真ん中の2番線が待避・折り返し用、反対側の3番線が名古屋方面だ。ホーム上には歴史を感じさせる木造上屋が立ち、ホーム間は跨線橋で結ばれているが、これらも橋上化で見納めとなる。橋上化によって大きく姿を変える愛知御津駅の現在の姿を目に焼き付けるなら早めに行っておいた方がよいだろう。

JR愛知御津駅周辺まちづくり整備事業 - 豊川市

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鉄道・旅行ライター

駅に降りることが好きな「降り鉄」で、全駅訪問目指して全国の駅を巡る日々。

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