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被爆証言を絶えることなく世界に伝え続けた、被団協ノーベル平和賞受賞 #専門家のまとめ

宮本聖二立教大学 特任教授 / 日本ファクトチェックセンター副編集長
79年前この広島上空で原爆が炸裂し夥しい命を奪い、被爆者の苦しみが始まった(写真:イメージマート)

日本被団協がノーベル平和賞を受賞しました。発足当初(原爆投下後から11年の1956年)から、東西冷戦の中水爆実験へ強く抗議し、再び核兵器が使用されることへの危機感から核兵器に反対し、廃絶を求める運動を続けました。また、戦後苦しみ、孤立していた被爆者の連帯と救済にも力を入れました。

ではノーベル平和賞が贈られたのはなぜか。核廃絶を訴える運動を世界に向けて諦めることなく続けたこと。そして、冷戦以来再び核兵器が使用されるという恐怖、危機感が世界で広がっていることだと思います。

ココがポイント

非人道的な被害を世界へ告発し、「ふたたび被爆者をつくるな」と、核兵器廃絶を訴え続けてきた活動が評価された。
出典:中国新聞デジタル 2024/10/11(金)

核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを証言で示してきたことが受賞理由。
出典:NHK 2024/10/11(金)

ノルウェーのノーベル賞委員会は被団協について「核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示した」とたたえた。
出典:長崎新聞 2024/10/11(金)

原爆が投下された直後、巨大なきのこ雲の下で何が起きていたのか。その惨状を記録した写真が、世界でたった2枚残されています。
出典:NHK戦争証言アーカイブス

エキスパートの補足・見解

ニュースが伝えているように、その評価は、被団協が核廃絶へ揺らぐことなく世界に働きかけ続けたことでした。戦後、被爆者は孤立し、差別され、後遺症や経済的に困窮しました。まず、団結すること、原爆の非道を訴え、救済を強く求める道に進みました。同時に、冷戦の最中、核開発競争は熾烈になり、60年代にはキューバ危機で再び核兵器が使われる目前に迫りました。また、第二次世界大戦後、世界で紛争が絶えることがありませんでしたが、それでも核兵器が使用されなかったのは、被団協、被爆者の方々の、原爆がどれだけの被害と苦しみがもたらしたのかの”証言”が世界に届いたからではないでしょうか。

発表のコメントの中に「Testimony(証言)」という言葉がありました。そう、被団協の皆さんが想像を超える体験を言語化して国内外で語り続けたことが評価されたのです。

これで一層、核廃絶の機運は高まるはずです。もちろんロシアのウクライナ侵攻、ガザでの武力衝突、世界で起きている”戦争”がおさまる気配がありません。

だからこそ、何があっても武力を行使しない、人々が平穏な中で暮らせる平和、人類最大の価値がこのことにあるということを再確認する受賞ではないでしょうか。原爆投下があった日本だからこそ、核廃絶の旗を高く掲げ、核兵器禁止条約参加に一歩進むきっかけになればと願います。

立教大学 特任教授 / 日本ファクトチェックセンター副編集長

早稲田大学法学部卒業後NHK入社 沖縄放送局で沖縄戦や基地問題のドキュメンタリーなどを制作。アジアセンター、報道局チーフプロデューサーをへて、「戦争証言プロジェクト」・「東日本大震災証言プロジェクト」編集責任者として番組とデジタルアーカイブを連携させる取り組みで、第37回、39回の放送文化基金賞受賞。その後、Yahoo!ニュースプロデューサーとして全国の戦争体験を収集する「未来に残す戦争の記憶」の制作にあたる。2023年から日本ファクトチェックセンター副編集長として、ファクトチェックとリテラシー教育に取り組む。立教大学大学院 特任教授 デジタルアーカイブ学会理事 及び 地域アーカイブ部会会長

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