沖縄の民意の行方は〜玉城知事の承認拒否をめぐって〜
沖縄代執行訴訟:私たちに問われている”民意”と”公益”
沖縄県宜野湾市にある米海兵隊普天間飛行場(以下普天間基地)の名護市辺野古への移設計画で、防衛省が申請した設計変更を承認するよう沖縄県に命じた福岡高裁那覇支部判決が2023年12月20日に出ました。沖縄県敗訴でした。
そして承認の期限とされた25日、玉城デニー知事は改めて承認拒否を表明しました。翌26日には、国は、県に代わって承認を代執行する旨県に通知して、28日に承認の代執行を行いました。
年明けの1月には、軟弱地盤のある大浦湾側の埋立工事を始めるとしています。
ここに至るまで、玉城知事は苦悩したことと思います。
普天間基地の返還は、その機能を沖縄本島北部の名護市辺野古沖の海を埋め立てて作る滑走路などに移設することが条件になっています。
これまで普天間基地の県内移設を争点にした多くの国政選挙や県知事選では反対する候補が当選しているほか、2013年の埋め立ての賛否を問う県民投票でも反対が7割以上を占めました。玉城知事は、そうした県民の声を背景にこれまでどの局面でも埋め立てを進める国に対して反対を表明し続けてきました。
苦悩というのは、知事が反対し続ければ普天間基地の返還が進まないという状況が続くかもしれないからです。
さらに「いつまで国に逆らい続けるのか」「中国の海洋進出を前に国家の安全保障を顧みない姿勢だ」「反対は沖縄の経済振興を阻害する」などの厳しい批判が県内外から寄せられます。
玉城知事は、そうした批判的な声を日々意識しており、だからこそ苦悩し続けているはずです。
20日に判決の出た「設計変更をめぐる代執行訴訟」で、沖縄県は、国が主張する安全保障としての「公益」に対して、県民の反対の民意こそ「公益」であると主張していました。
地方自治法では、都道府県知事が執行を怠り「放置することで著しく公益を害することが明らかな場合国が代わって執行できる」という規定があります。高裁は「法律論では県の主張は公益とみなされない」として県に敗訴を言い渡しました。
地域の自己決定権と国家の安全保障。
この大きな命題は、戦後78年にわたって沖縄の人々を翻弄し続けてきました。本土に暮らす人々も含めてその時間軸を振り返りながら考えていく必要があると思うのです。
本土とは異なる沖縄の近代史
日本とは異なる「琉球王国」(現在の沖縄県の県域)は、1879年に琉球処分によって廃止、日本に併合されて沖縄県になりました。
その後急速に同化政策が進められて、行き着いたのが沖縄戦でした。人々は軍への動員、協力、土地の提供を躊躇なく行いましたが、沖縄守備軍と称した三十二軍は住民を巻き込んだ地上戦を最終盤まで戦い続けて、結果県民の4人に一人の犠牲者が出ました。
沖縄県は消滅して、それまでの県域は奄美群島と共に米軍の施政下におかれました(奄美群島は、1953年12月25日に日本に復帰)。
生き残った沖縄県民全てが収容所に入れられている間、米軍は必要だとする土地を基地に変えました。そのうちの一つが今の普天間基地です。
「銃剣とブルドーザー」と島ぐるみ闘争
その後、沖縄の人々が住宅や田畑など復興させた土地を、新たに基地に接収するために「銃剣とブルドーザー」と呼ばれる暴力的な手段で米軍は強制収用していきました。
さらに当時の米国民政府は、土地を半永久的に基地にするための方針を次々に打ち出しました。沖縄の人々は、島ぐるみ闘争と呼ぶ反対運動を全島で展開して、その方針を覆します。
これが成功体験となり、その後の自治権拡大、復帰運動に繋がりました。
これらの運動は、自然発生的で、草の根から大きく育ったものです。
住民蜂起「コザ暴動」
また、復帰2年前の1970年に起きた「コザ暴動」も、組織的な騒乱ではなく、自然発生のものでした。コザ(現沖縄市)のメインストリートでの米軍関係者が起こした交通事故をきっかけに、周辺住民が怒りを爆発させて、米軍関係車両のみを焼き、破壊したものでした。
背景としては、米兵、米軍属が事件を起こしてもろくに罪に問われない、毒ガス兵器を住宅近くに備蓄する、一時1000発を超える大量の核兵器を配備していたなどが、コザ暴動の頃の沖縄の置かれた状況でした。
さらにその以前にも米国民政府は、市民の圧倒的な支持で当選した瀬長亀次郎那覇市長を反米を掲げる沖縄人民党書記長だっだからと追放するなど、沖縄の人々が決めたことが覆される事態も起きていました。
このように沖縄の人々は、人権を顧みない植民地支配のような米統治に対して、依存する国家がない中で戦い続けた、その歴史を強く記憶に刻んでいることと思います。
こうした孤軍奮闘の、決定権を踏み躙られてきた本土とは異なる戦後を歩んだことを踏まえての「民意」であることを意識する必要があるのではと思います。
沖縄をめぐるフェイクとヘイト〜深まる本土との溝〜
沖縄をめぐって近年私たちの社会でもう一つ厄介な問題が出てきています。今回のように沖縄の米軍基地をめぐる大きなニュースが流れるたびに、SNSなど情報空間には「普天間は何もないところに基地ができて、お金になるからと沖縄人が住み始めた」「沖縄の人は基地で食べている」「反対しているのは本土や半島から来た活動家だ」「知事は中国にすり寄り沖縄を中国に隷属させる」など、誤った言説や誹謗中傷が溢れるのです。
こうした言説は、本土と沖縄を分断させてしまいます。2017年にNHKが行った世論調査「復帰45年の沖縄」では、「本土の人は沖縄の人の気持ちを理解していない」と答えた沖縄の人が70%もいました。さらに「5年ほどの間に沖縄に対する誹謗中傷が増えたと感じる」とする沖縄県民が60%近くになり、沖縄と本土との間の溝がかつてないほど深まっていたことがわかりました。
これは、沖縄の基地負担の軽減という課題の解決を阻むことになりかねません。
課題解決のために共有したいこと
「代執行訴訟」は即日結審となり、県の主張が十分なされる機会がなく裁判所は沖縄の民意を受け止めたのか、という批判がありました。
予想された通りの沖縄県敗訴でしたが、判決の中で福岡高裁那覇支部の三浦隆志裁判長は、「沖縄県側が指摘する歴史的経緯などを踏まえれば埋立事業に対する県民の心情は十分に理解できる。国としても県民の心情に寄り添った政策実現が求められ、国と県が相互理解に向けて対話を重ねることを通じて抜本的解決が図られることが強く望まれている」と指摘して、「沖縄のたどった歴史と心情への理解」に言及しました。
国は、かつてなかった先島(宮古、石垣、与那国)に自衛隊基地を作り、中国の海洋進出や台湾有事を睨んで地対空誘導弾PAC3などミサイルの配備をはじめ基地機能を強めようとしています。
一方、沖縄の人は、軍事基地は攻撃の危険を招き、自軍といえども守ってくれるわけではないという沖縄戦の記憶を繋いできています。島嶼戦になれば逃げ場がなくなるという恐怖もあります。
また、復帰後わずかでも米軍基地は減ってきたのに、新たな巨大な”基地”が沖縄本島北部にできる、そのことは沖縄の人々にふるさとがさらに半永久的に基地の島であり続けると強く感じさせるものです。
こうした記憶を踏まえ、人々の感情を知った上での課題解決の道筋を本土の人々も含めて考える、対話する、これからも一層求められるのではないでしょうか。
政府から聞こえるのは、辺野古への移設が危険な普天間基地を返還する唯一の解決策だという主張です。また、丁寧に説明して県民の理解を得たい、という言葉も聞きます。
では、そうした理解を得る努力は本当に行われてきたでしょうか。
世界一危険な基地と言われる普天間基地を即時返還できないのはなぜか、その機能を同じ沖縄県内に移設しなければならないのはなぜか、日本の安全保障のために強襲部隊の海兵隊がなぜ沖縄にいなくてはならないのかなど。こうした問いはいまだに宙に浮いたままに見えます。
課題の共有、解決のためには、真に丁寧な説明と互いに前を向いての意見交換の営みが一層求められると思うのです。
反対と賛成、沖縄と本土、分断して視線が交錯しないままでは不毛な時間が続くだけではないでしょうか。
今回の知事の不承認を受けて、国は「承認」を代執行した上で、県が認めていない区域での埋め立てに向けての工事を年明けの24年1月にも開始するとしています。
(※12月30日午前9時に、国が代執行を行ったことなどを追記しました。)