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無観客で変わる紅白歌合戦「一人頭を下げる松田聖子」「櫻井から始まった嵐」その変容を見届ける

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Shutterstock/アフロ)

紅白歌合戦で歌唱前に頭を下げる松田聖子

2020年大晦日「第71回紅白歌合戦」は無観客でおこなわれた。

松田聖子が出てきたのは終盤、11時すぎだった。

後ろから5本のライトが当てられ、白いドレス姿でハンドマイクを持って立つ松田聖子。

前奏が始まり、カメラが少し近寄ると、松田聖子は少し頭を下げた。

ふと、なにかをおもいださせる姿である。

「瑠璃色の地球」の2020年バージョンを歌い終わり、一礼した。

すぐあとに誰かと目が合ったのか(司会陣の誰かだとおもうが)ちょっと笑って礼をして、後奏も終わると、また深々と頭をさげた。

歌う前と終わりに一礼するのは、いかにも昭和の歌謡スタイルだ、と強くおもいだした。

たくさんの歌手が出ていた昔の歌番組は、一人の持ち時間が短かった。

一礼して、歌って、一礼して去る、という歌唱スタイルをよく見かけた。

いまはあまり見かけなくなった。

40年経ってそのスタイルを守っている松田聖子もすごいが、果たして2020年世界ではどれぐらいの人が歌唱の前後に一礼するのか、「第71回 紅白歌合戦」の出場歌手を眺めてみた。

歌う前に頭を下げていたのは、松田聖子ただ一人

2020年の紅白歌合戦の出場歌手は、48組になる。

「ディズニースペシャル」「『エール』スペシャル」をそれぞれ1チームと数え、GreeeeNも別に1組と数えると、48になる。

松田聖子の歌唱は45番目だった。

そして「前奏が始まってから歌うまでに一礼する」というのは松田聖子、ただ一人だった。

これだけで彼女が紅白歌合戦に出ている意味があるのではないかと、昭和の記憶がある世代からはおもう。

令和2年の紅白歌合戦では、松田聖子以外、誰も前奏中に一礼しない。

演歌歌手はいろんな企画とブッキングされる

演歌系の歌手ならしてもよさそうなのだが、しないのだ。

これはおそらく紅白ならではの事情がある。

演歌系の歌手は、紅白歌合戦では、いろいろ忙しい。

演歌系歌手はいろんな企画を担わされている。

もっともわかりやすいのが「けん玉ギネス記録挑戦」の三山ひろしだろう。

総合司会のウッチャン(内村光良)が「歌が全然はいってこない」と指摘していたように、彼の歌は、連続けん玉のバックミュージックのようである。北の町を彷徨う切々とした女心にまで、深く聞き入ってる人はかなり少ないようにおもえる。

2020年はギネス挑戦が成功したのでよかったが、けん玉がかなりゆっくりと進み、歌が終わっても挑戦が終わらなかった。後奏も終わり、音がまったく消えてからまだ15秒ほどけん玉が続いて、ウッチャンの「がんばれ」「がんばれ」「あと少し」という声以外は無音になった。70年を超える紅白歌合戦でも「もっとも静かな15秒」だったのではないだろうか。

三山ひろしは、間奏のときと歌い終わったときは一礼した。でも歌う前はカメラを睨むように見据えているばかりだ。たぶん、世界記録に挑戦します、というアスリートの顔になっていたのだろう。だから、もっとも前奏の礼が似合いそうな歌手なのに、頭を下げていなかった。

身動きが取れずに一礼できない水森かおりと氷川きよし

水森かおりと氷川きよしにいたっては、とんでもないものを着せられて、自由に動けないようだった。

おそらく、礼をすると、身体と仕掛け全体がぐらつくのだろう。

二人とも、歌う前も、歌い終わっても頭を下げず、ただ手を振るばかりであった。

氷川きよしは私にはときどき西川貴教に見えてしまうのだが、どうなっていくのだろう。

天童よしみは、腹筋太鼓という不思議な存在に囲まれ、櫓の上に仁王立ちで歌っていた。

歌い終わっても拳を天に突き上げ、これはこれでめちゃかっこいい。

坂本冬美は、「ブッダのように私は死んだ」という不思議な楽曲を歌い、その世界の人物になりきっているので、前奏でも後奏でも動かない。

五木ひろしと石川さゆりは、歌唱前に一礼してもおかしくない二人であるが、五木ひろしは前奏のあいだに階段を下りてきて、立ち止まったタイミングで歌い出したので、一礼する時間がなかった。やはり階段を下りるときは慎重に足元を見て歩いたほうがいい。

石川さゆりもまた「天城越え」に向けて前奏の段階から鬼気迫る気配で立っており、会場も独特の空気で包まれていた。凜として立つ石川さゆりは動かなかった。歌う前からすべてを呑み込みそうなこの迫力がなければ、あなたを殺していいですか、という言葉をきちんと人に届けられないのかもしれない。

石川さゆりの歌唱世界は、人の世のぎりぎりを映し出しているような迫力に満ちていて、すっと引き込まれてしまい、目が離せなかった。この調べもののために何回も何回も紅白歌合戦を見返したのだが、石川さゆりの部分になると、見てる場合じゃないとおもいつつ、通常再生にしてしまい、通しで聞いてしまう。たぶん13回は見た。それぐらい引き込む力がすごい。

そういうわけで「前奏での礼」をしそうな演歌の人たちは、誰も前奏で礼をしなかったのだ。

頭を下げるだけで心打たれるのは何故なのか

でも歌い終わったあとはしている。

五木ひろし、石川さゆり、三山ひろしはしている。

演歌歌手でなくても、歌い終わって一礼する歌手はいる。

深々と礼をして印象的だったのはLittle Glee Monster(リトル グリー モンスター)。

アカペラで歌い、歌い終わってすぐ、四人で深々と頭を下げた。

彼女たちが歌った「足跡」は、中止となったNHK合唱コンクール中学生の部の課題曲であり、歌えなかった中学生のおもいを背負って歌う、と彼女たちは宣言していた。

彼女たちが深々と頭を下げたのは、誰に対してというものではなく、歌と歌えることに対する礼のように見えた。

頭を下げているだけの姿なのに、心打たれる。

JUJU(ジュジュ)は、初出場だから初心者ですと言って歌い、歌い終わったらすぐに、深々と頭を下げていた。

あいみょんは、マイクを抱くように歌い、歌唱中はいっさい笑顔を見せてなかったが、歌い終わったとたん、まさに“破顔”という笑顔になり、そのまま頭を下げた。

あ、いい笑顔だと、見てる者も一緒に緊張がほぐれ、あったかい気持ちになる瞬間だった。

司会の内村光良が「とても腰が低い」と紹介したOfficial髭男dism(オフィシャルひげだんディズム)は、楽器の演奏が終わると、すぐに立ち上がってみんなで息を合わせて、カメラ方向に一礼した。ああ、ほんとに、腰の低い人たちだ、としばし感心してしまった。

そして、松田聖子は「歌う前の礼、歌い終わってから礼、後奏が終えての礼」という「聖子の三回の礼」を見せてくれた。これが昭和の歌唱のようにおもう。

頭を下げているだけの姿が、ときに強く心に響いてくるのは、おそらく見てる人たちだけに向けてではなく、もっと広く大きく深いものに対して頭を下げているからだろう。歌の神さまというか、人前に出ることを見守る神さまというか、かなり高みの存在に対する一礼に感じられ、見ている私たちも一緒に頭を下げたくなってしまう。

ほかにも歌い終わったら、まず礼をしていた人たちはさだまさし、ゆず、Mr.Children(ミスターチルドレン)と福山雅治がいた。

一礼の有無はただのスタイルの差にすぎない

べつに一礼する歌手がいい人たちで、一礼しない歌手はよくないと言っているわけではない。まったくそんなことはない。全然ない。

これはスタイルにすぎない。

最初に言ったように、昭和のころは「歌って踊れる歌手」というのがかなり珍しく、歌う前と歌った後は、なんか手持ち無沙汰なので、だったらお辞儀したほうがいい、という様式が存在しただけだとおもう。

そっちが必ず礼儀正しいというわけではない。

「礼をする/礼をしない」には優劣もないし、上下もない。

型の差にすぎない。

NiziU(ニジュー)はきちんと踊りきって静止している姿がとてもかっこいい。

BABYMETAL(ベビーメタル)は歌いきって指さす姿に見とれてしまう。

それぞれ自分たちと歌に合ったスタイルを貫けばいい。

私はただ、事象として、区分けしているにすぎない。

坂グループの一礼の違い

グループでまとまって一礼したのは乃木坂46である。

歌い終わって静止してから、いちどみんなで正面を向いて、そろって一礼した。

多人数全員がそろって礼をするのは、自然にできることではないので、決めてあったのだろう。フルメンバーの一礼というのはさりげないぶん、なかなか美しい。

日向坂46は歌唱後すぐに櫻坂46にひきつぐ役割だったので、ストップモーションになったあとは、すっと退場していく。そこで礼をしたほうが悪目立ちするから、みんなきれいにはけていった。日向坂46はかつて“けやき坂46”(ひらがなけやき)と呼ばれていたな、とおもいだした。

櫻坂46は、日向坂と違って、かなりメッセージ性の強いグループで媚びるところがない。そこは欅坂の時代から変わっていない。ストップモーションになって決め顔で終わる。

ただ司会のウッチャンの「ありがとうございました」の声に、センター森田ひかるだけが反応して軽く頭を下げていた。新グループ櫻坂らしく、すごく初々しかった。

Perfumeは「のっち→かしゆか→あーちゃん」の順

グループだと事前に取り決めてない場合、ばらばらと挨拶してしまうことがある。

Perfume(パフューム)は、歌唱後も踊りつづけて最後は静止して終わる。いつもどおりでかっこいい。その静止時間をすぎると、まず“のっち”が頭を下げて、続いて“かしゆか”、最後に“あーちゃん”が頭を下げた。三人がすこしずつずれて礼をするところがなんかPerfumeらしくて、見ていて微笑ましい。

関ジャニ∞(かんジャニエイト)の五人は、歌い終わったときには、横山、安田、大倉、丸山、村上の順に並んでいた。しばしの静止のあと、真ん中の大倉忠義が深く頭を下げ、続いて村上信五がちょこっと頭を下げた。

二人だけ頭を下げる。

これもとても関ジャニ∞らしくて、見ていて意味なく嬉しくなる。

ちなみに前の年2019年の紅白の映像を確認したところ、歌い終わったあと関ジャニ∞は(一緒に歌った“なにわ男子”も含めて)真ん中に集まり、司会から(2019年もウッチャンです)、「ありがとうございました」と声をかけられて、まず頭を下げたのはやはり村上信五と大倉忠義だった。あと、丸山隆平も下げていた。

こういう役割というのは、グループ内で自然と決まってしまうのだろう。

櫻井翔から始まり二宮和也が続くという「嵐」のパターン

嵐も同じである。

2020年は中継での出演だったが、最後、歌い終わって五人が静止ポーズでおたがい肘をつっつきあっていて、すごく仲がいい。

そして内村のありがとうございますの声に応えて、まず頭を下げたのが櫻井翔だった。

続いて二宮和也が頭を下げた。

その次に相葉雅紀、松本潤の順で頭を下げたあとに、リーダー大野智はカメラが別角度なのに気づいてカメラに向かって一礼した。

これも見ていて楽しくなるシーンである。

バラバラで少しずれつつも、全員が頭を下げるのが、まさに嵐らしいとおもう。

2019年の紅白歌合戦も確認してみたが、この年は全出場歌手のなかでもっとも最後の出番だった。

歌い終わって、やはりまず櫻井が頭を下げていた。

そして二宮が下げた。なんか見ていて微笑んでしまう。

でもこの年は三番目に大野が下げた。

そのあと相葉、松潤の順番だった。

勝手に想像するなら、基本は「櫻井→二宮→相葉→松潤」という順番があって、大野くんは自分のタイミングで入る、というふうに見えた。二例しか確認していないので、ほんとかどうかはわからない。でもそういう想像をしているだけで楽しい。

このグループが見られなくなるのは残念だけれど、逆に、いままでよくこの五人で最前線で活動してくれたもんだと、あらためて「ありがたい存在」だったとおもう。

無観客の代わりを懸命につとめていた大泉洋

いま紹介したのは、歌い終わって、だいたい自分から挨拶した人たちである。

それ以外にも、司会者(内村光良、二階堂ふみ、大泉洋)に「ありがとうございました」と声をかけられ、彼らに向かって頭を下げる、というのも何人もいた。その場合、司会者のほうに向かって、ちょっと横向いて頭を下げたりする。

これもまた、無観客ならではの出来事だろう。

2019年までなら、目の前の客席にお客さんがいて、歌唱終わりには拍手をくれる。そのまま正面にふつうに頭を下げればいい。

でも、2020年はそこに人はいない。

無人の客席に頭を下げるかどうか、迷う人もいるだろう。

そのとき、サイドから大きな声で「ありがとうございました」と声をかけてくれれば、そっちに頭を下げるのは、人として当然のことである。

そのためにわざわざ声の大きい人を司会に選んだのではないかとおもえるくらいだ。

少し大きすぎることがあったにしても(あと違う歌手にほぼ続けざまにブラボーという同じ言葉を使ったのはどうかというのはあったが)、大泉洋はその役割をきちんと果たしていた。

一礼せずが19組 自分たちからの礼が16組 返答礼が11組

まとめて並べておく。

歌唱後は静止したままで終わっていた、ないしは手を振って終わった人たち(お辞儀をしていない人たち)

King & Prince(キング アンド プリンス)、Foorin(フーリン)、山内惠介、日向坂46、SixTONES(ストーンズ)、水森かおり、GENERATIONS(ジェネレーションズ)、純烈、坂本冬美、Kis-My-Ft2(キスマイフットツー)、天童よしみ、NiziU(ニジュー)、BABYMETAL(ベビーメタル)、GreeeeN(グリーン)、東京事変、YOSHIKI(ヨシキ)、氷川きよし、玉置浩二、MISIA(ミーシャ)。以上19組。

歌唱後、自分たちで頭を下げた人たち

Little Glee Monster(リトル グリー モンスター)、さだまさし、乃木坂46、五木ひろし、Perfume(パフューム)、JUJU(ジュジュ)、Official髭男dism(オフィシャルひげだんディズム)、三山ひろし、関ジャニ∞(かんジャニエイト)、ゆず、あいみょん、Mr.Children(ミスターチルドレン)、石川さゆり、松田聖子、福山雅治、松任谷由実(ただしユーミンは立ったままでリトル3の三人だけが礼)。以上16組。

司会陣の「ありがとうございました」に反応して礼を返した人たち。

milet(ミレイ)、櫻坂46、Hey! Say! JUMP(ヘイセイジャンプ)鈴木雅之、瑛人、郷ひろみ、嵐、LiSA(リサ)、YOASOBI(ヨアソビ)、Superfly(スーパーフライ)、星野源。以上11組。

Hey! Say! JUMPは横並びになり、特に深々と頭を下げていたのは有岡大貴と知念侑李。YOASOBIは歌唱後すぐに内村らと会話を交わしたあと、その流れでありがとうございましたと頭を下げた。

繰り返しておくが、それぞれはスタイルの違いにすぎない。

雑煮に入れる餅の、焼くタイプと煮るタイプの差のようなものである。違っているだけで、どっちが偉いわけでもなければ、どっちが礼儀正しいのかの差でさえもない。

また、テレビモニターを見ての確認作業なので、うなずいているだけなのか、礼をしているのか、かなり微妙な部分もあった。大きなのは見落としていないとおもうが、微かな礼は少しわからない部分もあった。またカメラが切り替わったあとの一礼は追えないわけだから、あくまで参考として見ていただきたい。

紅白歌合戦のステージは本来は「ひしめきあう場所」だった

無観客によって、すこし様相は変わったのだとおもう。

観客がいた2019年はどうだったのかと見比べてみた。詳しく数値化してはいないが、たしかにお客さんがいたときのほうが頭を下げる歌手が少し多かったようだ。

ただ、細かい部分が少しわかりにくかった。

それは、2019年の紅白歌合戦の映像では、みんなとても忙しそうだったからだ。

とても多くの人が一緒に映りこんでいる。

歌唱終わりの歌手をずっと追いかけずに、ありがとうございましたと声をかけたときは、司会者のほうにカメラが切り替わっていることが多かった。だからしばらく経ってからの一礼が追えない。そこが2020年と違う。

2019年は司会者のまわりにいつもいろんな人がいて、賑やかで、だからすぐにそっちに画面が変わったのである。

紅白歌合戦は、ステージ上がうるさいぐらいに賑やかなものなのだ。

その変わりように、しばし愕然とした。

2020年の紅白だけを見たときは、そこをおもいだしていなかった。

紅白歌合戦はとても「ひしめきあう」場所なのだ。

2019年は、たとえばオープニング曲の「パプリカ」では出演者がみんなステージにいて、おそらく100人以上がステージにいたとおもう、みんな一緒に踊っていた。

審査員席もステージ上にあって、出演者やゲストが次々とからんでいる。

常に多くの人が一緒にいる。

それが紅白歌合戦だったのだ。

「ありえない歌手の組み合わせ」が消えてしまった2020紅白

紅白でしか見られない風景には、ふだん滅多に一緒にならなさそうな歌手たちが隣合っている、というところにもあった。

それを見るのがものすごく楽しかった。

昭和のころからそうで、令和の元年まではそうだったのだ。

本当なら、天童よしみとあいみょんとPerfumeと椎名林檎とMISIAが一緒になって踊っていたり、星野源とさだまさしと五木ひろしと純烈と福山雅治が一緒にタオルをぐるんぐるん振り回している、そういう風景が見られるはずだったのだ。

それがなかった。

「ありえない歌手の組み合わせ」を目にすることができなかった。

そして、そのことに気づいてもいなかった。

紅白が、見てるだけで楽しくなる「お祭り」だったことを忘れてしまっていた。私は忘れていた。ビッグネームの歌手が次々と出てくるのに満足していた。

世界が変わるということは、実は何かを忘れていくことなのかもしれない。

2019年の映像を見て、胸を締め付けられるようなおもいになりながら、世界を変えるのはただ「意識」の差なのかもしれないと感じてしまった。

変わりゆく世界のなかで歌は歌われる

松田聖子の「三回の礼」を見て、昭和らしいなとおもって、その姿を追い求めたところから始まった。

三回の礼はもうほとんど見られない。あれは昭和の型なのだ。

また、それを令和までつないでいる松田聖子はわれわれにとってのまさに永遠のアイドルそのものである。

そして、2019年までの「ひしめきあって賑やかな祝祭としての紅白歌合戦」を、もうすでに懐かしいものに感じている。

いつか復活するにしても、何年かあいたら、おそらく芯の部分が変わってしまうのではないだろうか。われわれの「意識」が昔のものをそのままで受け入れるかどうか、ちょっとわからなくなっている。

それでも世界は続く。変わりゆく世界のなかで、歌は歌われる。

歌い終わって一礼をする歌手もいれば、かっこよく見得を切ったスタイルで静止している歌手もいる。

それもまた変わっていくだろう。

われわれは変転する世界で、ひたすら生きていくしかない。

【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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