「アラブの春」から10年――民主化の「成功国」チュニジアに広がる幻滅
- チュニジアは10年前、中東・北アフリカ一帯に広がった「アラブの春」の成功例として語られてきた
- しかし、ロックダウンへの反発をきっかけにチュニジアでは反政府デモが激化し、警察との衝突で死者も出ている
- チュニジアの騒乱は自由や民主主義への期待が大きいことが招きやすい幻滅を象徴する
「アラブの春」の優等生と評されたチュニジアで広がるデモと衝突は、自由と民主主義への期待が大きすぎたことの反動といえる。
死者を出したチュニジアの衝突
北アフリカのチュニジアでは1月14日、コロナ対策を目的に全土でロックダウンが宣言されたのをきっかけに、これに反発するデモ隊の抗議活動が激化。連日、警官隊と衝突が繰り返され、数百人の逮捕者を出していたが、1月25日にはとうとうデモ隊から1名の死者が出るに至った。
犠牲者の家族によると、死亡したデモ参加者は頭部に催涙弾が直撃したという。政府は当時の状況を調査するため、警察への聞き取りを開始したと発表しているが、犠牲者が出たことでデモ隊の怒りはエスカレートし、警官隊との衝突はさらに激化している。
デモ隊は政治家の汚職や警官の横暴などにも抗議し、逮捕されたデモ参加者の釈放も要求している。あるデモ参加者はフランスメディアのインタビューに「政治家は腐敗している。政府やシステムの変化が必要だ」と述べている。
例外的な優等生
こうした騒乱の広がるチュニジアだが、決して自由や民主主義のない国ではない。むしろ、独裁や内戦の目立つ中東・北アフリカにあってチュニジアは、例外的に民主的な国と目される国の一つだ。
2010年から2011年にかけて中東・北アフリカ一帯に広がった政変「アラブの春」で、チュニジアでは「独裁者」が失脚した。当時20年以上にわたって支配していたベン・アリ大統領は2011年11月、抗議デモの高まりで軍が離反した結果、サウジアラビアに亡命した。
「独裁者」退場後のチュニジアでは、選挙が実施され、新たな憲法も成立したものの、各党派の間の派閥抗争が激化し、議会政治の存続も危ぶまれた。しかし、人権団体や弁護士協会などの働きかけで政党間の対話が促された結果、2014年には平和的な政権交代も実現した。
その結果、政党間の対話を働きかけた民間団体の連合体「国民対話カルテット」が2015年にノーベル平和賞を受賞するなど、チュニジアは欧米諸国から高く評価されてきた。
中東・北アフリカの多くの国で、「アラブの春」の後も政府の交代がほとんど発生しなかったことや、政変をきっかけにリビアやシリアのように全面的な戦闘に陥った国さえあることを思えば、チュニジアはむしろ民主化の「成功国」と呼ぶことさえできる。
食えない「成功国」の不満
その「成功国」で再びデモと衝突が拡大するのは、ほとんどの人にとって政治よりパンの方がはるかに重要だからという当然の理由による。
いくら選挙が行われていても、チュニジアではコロナ感染拡大の以前から物価が高騰しており、その水準は「アラブの春」発生直前の時期を上回る。その一方で、失業率は高止まりしており、とりわけデモの中心にいる若年層の失業率は約35%にのぼるほか、高等教育を受けていても失業する割合は30%に迫る(世界銀行)。
チュニジアを含む中東・北アフリカ一帯では2014年に原油価格が急落して以来、景気の低迷が続いてきた。そこにやってきたコロナは、決定的なダメージを与えたといえる。
カイロにあるアメリカン大学のサイード・サデック教授はアメリカメディアに「欧米メディアが宣伝する『成功』のイメージとは裏腹に、チュニジアの人々には『成功』の感覚はない。食糧も、水も、安全もないからだ」と語っている。
生活苦による不満が高まるなか、チュニジア政府が「汚職撲滅」を叫びながらも効果をあげられず、その一方で10月に「警官が暴徒を取り締まる権限」が強化されたことは、政府への不満をさらに強める悪循環となった。
生活苦が政治を動かす
歴史上ほとんどの政治変動は、貧困や格差といった生活への不満を大きな原動力にしてきた。
1789年のフランス革命後、反対派を次々と粛清したことで知られるロベスピエールは王政を廃し、共和制を導入した中心人物の一人だったが、飢えた群衆とともに「共和制? 王政? 私が知っているのは社会問題だけだ」と叫んだといわれる。これを踏まえて、20世紀を代表する政治哲学者の一人ハンナ・アレントはフランス革命の目的が自由ではなく生活の満足感にあったと示唆する。
現代でも、自由で民主的な政治体制であろうがなかろうが、衣食住が十分でなく、身の安全も保障されていないと感じる人々が多ければ、政府が正当性や権威を認められることはない。香港やタイの反政府活動、フランスで広がったイエローベスト運動、さらに黒人差別に反対するデモ(BLM)なども、それぞれ自由や民主主義、人権といったイデオロギーに彩られていても、生活苦を大きな背景にしている点では基本的に全て同じだ。
中東・北アフリカでも事情は同じだ。
10年前にチュニジアで「アラブの春」の引き金となった大規模な抗議デモが発生したのは、2008年のリーマンショックで物価が乱高下し、人々の生活が極度に悪化していたことを大きな原因とした。さらにその後、原油価格の急落を受けた景気悪化で、2年ほど前からは周辺のスーダンやエジプトでも抗議デモが拡大しており、このうちスーダンでは2019年4月、この国を30年以上にわたって支配したバシール大統領が失脚している。
自由で民主的であるがゆえの幻滅
ただし、周辺国と比べてもチュニジアでは政府への不満が大きくなりやすい。
実際、世界価値観調査によると、政府を「あまり」「全く」信頼しないと回答した割合はチュニジアで80%を超えた。これは「独裁者」エルドアン大統領によってSNSなどが制限されているトルコや、アメリカがことさら敵視するイランなどをはじめ、多くの周辺国をしのぐ。
自由で民主的な国ほど政府への信頼が低くなりやすいことは、世界全体にも共通するパターンだ。
自由で民主的であることは、「政府が国民のことを考えて当たり前」と思いやすくする。しかし、政治体制と経済パフォーマンスが一致するとは限らない。言い換えると、自由で民主的な国の方が経済成長に適しているという証拠はない(独裁的であれば国民生活がよくなるとも断定できないが)。
逆に、自由でも民主的でもない中国などで「政府をあまり(あるいは全く)信頼していない」という回答が少ないのは、監視の目を恐れてという理由もあるだろうが、 最初から「政府が国民のことを考えて当たり前」と思っていなければ、少しでも政府から恩恵があった時に、先進国では考えられないほど政府を高く評価しても不思議ではない。
確かなことは、期待が高いほど、それが実現しなかった時の幻滅が大きいということだ。期待ほどの利益が得られない状態は「相対的剥奪」と呼ばれるが、最初から利益を期待できない場合より不満が募りやすい。つまり、自由で民主的であることは、政府への期待を抱きやすいがゆえに裏切られた感覚も強くなりやすい。
10年前、生活苦への不満を背景に自由で民主的な体制を勝ち取ったチュニジアでは、「独裁から解放されたのだから自分の生活はよくなって当たり前」という期待が大きかっただけに、「裏切られた」幻滅が大きいといえる。「アラブの春」の優等生チュニジアが陥った騒乱は、自由と民主主義がグローバルスタンダードになった現代に現れやすい反動の一つなのである。