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小池都政の4年を振り返るーー五輪予算問題、豊洲移転、都民ファ、希望の党

上山信一慶應大学名誉教授、経営コンサルタント
出典 都庁HP

 4年前、東京都政は混乱の渦中にあった。猪瀬、舛添の両氏が2代続けて任期途中で辞任した。豊洲市場の建設に普通の県の年間予算に匹敵する5800億円もの大金が費やされてきたと分かった。さらに五輪開催費が招致時の7300億円を大幅に超え、実は2兆円、いや3兆円かかる見込みと報じられた。五輪の準備は森元総理が率いる組織委員会が担っていた。だがエンブレム問題や国立競技場問題等の不手際から都民は五輪の運営体制に関し不安を抱いていた。「このままではどんどん費用が膨らむのではないか」と懸念が募った。こうした事態をチェックするのは、本来は都議会の役割だ。だが音喜多氏、柳ケ瀬氏ら一部議員が問題提起をするのみで主要会派は事実上、沈黙を保っていた。それどころか都議会のドンといわれる人物を巡る様々な疑惑が週刊誌で報じられた(真偽は不詳)。

 そんな中、16年夏の都知事選は行われた。自民党(増田元総務大臣を擁立)といわゆる左翼勢力(鳥越氏を擁立)の戦いになると思われていたところに自民党の反対を押し切って小池百合子氏が飛び出してきた。小池氏は緑のシンボルカラーで選挙戦を戦い、劇的な勝利を収めた。それから4年、現状をどう評価すべきか?

 筆者は16年夏~18年3月末に第1次小池都政の顧問、および都政改革本部の特別顧問として行政改革にかかわった。こうした経験をもとに小池都政の1期目4年間を振り返り、総括してみたい。(注)筆者の専門は自治体の経営改革である。08年以降の大阪府市の改革で大阪府と大阪市の特別顧問を務めている(橋下、松井、吉村の3知事の時代)。また他県についても愛知県(現大村知事)、奈良県(現荒井知事)、岩手県(増田元知事時代)の行政改革のアドバイザー(政策顧問等)を務めてきた。市町村でも堺市、福岡市、横浜市、新潟市等の改革に参画してきた。

〇激動の前半、安定の後半

 小池都政は就任から2018年3月までの前半2年弱とその後2年強の後半で性格が大きく異なる。分かれ目は17年10月の希望の党事件である。それ以前はあちこちに波紋を起こしながら懸案の解決と改革が進んだ。ところが希望の党事件のあとは求心力が低下し、五輪の準備作業が本格化したという事情も相まってよくも悪くも安全運転に転じたといってよいだろう。

 前半には様々な重大事象が続いた。まず就任直後に都政改革本部が発足し、五輪予算の妥当性を検証する調査チームが作業を開始した。同時に築地から豊洲への市場の移転計画の見直し作業も始まった。市場移転問題は17年6月に最終的に豊洲移転を決定するまで約1年弱にわたって検討が続いた。翌7月には都議選があり、都民ファーストが第一党に躍進する。ところがその3か月後、希望の党事件で庁内と議会における求心力が低下、都民の支持率も下がった。そして翌年3月末、都政改革本部を拠点に改革を後押ししていた筆者ら外部委員(特別顧問、特別参与)も退任し、激動の前半は終わった。

 〇後半は五輪準備とICT戦略、そしてコロナ対策

 後半は2018年4月から今日までの約2年強である。政治的には議会運営で苦労が続いた。前期のような大胆な改革案件も掲げにくい。五輪開催を目標にひたすら実務に徹した時期といってよい。だが、都政改革本部では各部局の職員中心の改革が続けられ、前期の行政改革を支えた「2020改革プラン」の改訂(バージョンアップ)も行われた(19年3月)。またいわゆるスマートシティ戦略の推進体制ができ、元ヤフー会長の宮坂氏が当初は参与として、のちに副知事としてICT戦略の推進をリードした。

 以上が4年間の大きな流れだが、以下では激動期であり筆者も直接関わった前半を中心に4つの問いに答える形式で一期目の小池都政を振り返りたい。

 

●問1:小池都政は、前2代の知事辞任に伴う都民の都政に対する不信を払しょくできたのか?

 4年前の都政は、都民の信頼回復が最大の課題だった。そして今、コロナや五輪延期等、外部環境は激変したが都政自体は極めて安定している。都民の知事支持率は高く、都議会の各会派との関係も良好である。

 

 意外にもマスコミ等が混乱と批判する前半の荒療治が功を奏したと思われる。小池知事は就任後2年の間に矢継ぎ早に過去の知事たちが生み出し、あるいは解決を先送りした都庁の3大課題(豊洲移転、五輪予算、議会改革)を処理した。そこで前半2年で石原都政後半以来の都政の膿を出しきった。

 特筆すべきは、小池氏がこの3大課題を選挙戦中から公約に掲げ、抵抗勢力と闘い、正面突破に挑んだことである。知事選で小池氏は有力候補の中で唯一、都庁が既定路線とした五輪予算と豊洲移転の2つを見直すと明言した。市場については、なぜ土壌汚染の疑いがある場所が選ばれたのか、なぜ5800億円も掛かったのか、利権が絡んでいるのではないかという数々の疑惑があった。五輪予算はなんと舛添前知事が最終的に3兆円を超える可能性に言及していた。一方で会場選定の過程や工事計画などの情報公開が足りず、都民は釈然としていなかった。

 そうした空気を読み、小池氏は敢然と火中の栗を拾った。案の定、就任後は随所に混乱が起きた。しかし小池知事は公約と民意を旗印に妥協しない。ぎりぎりのタイミングまで粘る。すると公約に掲げた課題であり庁内組織も議会も民意を無視できず、次第に知事の方針に従った。こうした剛腕な解決手法は、当初は保守的な都庁職員を驚かせ、保守系議員の反発を買った。また、本物の改革を見たことがないメディアは組織に意図的に揺らぎを創出する小池知事の意図が理解できず「混乱だ」「大丈夫か」と報じた。だが、3大課題の解決は最終的に都政に対する都民の信頼を回復させた。ひいては都庁と都議会を前向きに変えていく礎となった。

 

 都庁に限らず、重くて大きな組織の改革は難しい。プライドが高い秀才集団の場合はなおさらだ。なかなか過去のやり方を否定できない。似た例に大阪の橋下改革がある(08年~15年)。大阪の場合も過去をひきずる3大課題があった(大阪市役所の不適切な労使関係、えせ同和問題、関空やWTC等の不良債権)。橋下知事(のちに市長)はこれらに対し、当初から正面突破に挑んだ。その過程では伊丹空港の廃止を唱えるなど様々な戦術を駆使し、はた目には無茶と思える荒療治や混乱が続いた。だが一時の混乱を経て大阪は見違えるように再生しつつある。真の改革には、混乱はつきものである。また抵抗勢力の存在が明らかになる。小池都政の初期の2年間は、まさに大阪の橋下改革に匹敵する大掃除だったといえよう。

●問2:大局的な意味で前期の混乱に意味があったとしても、当初公約に掲げた「五輪予算の見直し」や「豊洲移転の見直し」は達成できたと言えるのか?結局、五輪会場は移転しなかったし、築地は廃止になったではないか?

(1)五輪予算の見直し

 当初は国際オリンピック委員会(IOC)および大会組織委員会との調整が難渋を極めた。特にすでに決めた会場の移転や設計の変更については内外の競技団体等の反発が強かった。筆者は調査チームのリーダーを務めたが、最悪の場合、3兆円超となるリスクを試算し公表した。また都が建設するアリーナ、アクアティックスセンター、ボート会場の3つについて会場移転の可能性や建設予算の縮減計画をたてた。またIOCと組織委員会に対し厳しい予算管理と効率的な大会運営の仕組みづくり(ガバナンス改革)を迫った。

 

 さらに私はこれらを提言した調査チームの報告書(https://www.toseikaikaku.metro.tokyo.lg.jp/kaigisiryou03.html)を英文にして日本外国特派員協会での記者会見で発表した(16年11月)。海外記者からの問い合わせにも積極対応し、広く世界に五輪のガバナンスの危うさと予算膨張のリスクを訴えた。都庁も国内で組織委員会に対し、開催準備状況を広く情報公開することを迫った。さらに都庁は自ら建設する施設の建設費を約400億円削減すると決めた。こうしてIOCと組織委員会は次第に厳しい予算管理を自らに課す方向に追い込まれていった。実は先進国では五輪予算の負担を嫌がる住民の反対で招致を辞退する都市が増えていた(ハンブルク、ローマ、ボストンなど)。そうした素地の上に調査チームのレポートは海外プレスが広く報道し、財政膨張に傾きがちなIOCと組織委員会に対する牽制効果をもたらしたようだ(その後、ブダペストも招致を辞退し、IOCはついに東京の次の開催地はパリ、その次はロサンゼルスと一度に決めて発表するという安全策を講じる事態に追い込まれた)。

 わが国マスコミは会場変更ばかりを期待し知事と調査チームはそれができなかったと批判する。だが本丸はそもそも会場変更ではなかった。開催経費の縮減と厳格な予算管理をIOCと組織委員会に迫ることこそが調査チームの使命であり、それについては海外向けの情報戦が功を奏したと考える。

(注)なお調査チームは、当初ボート会場を長沼に移す等の提案をしたが、結局、規模縮小して当初の東京湾(海の森)での建設となった。宮城県知事をはじめ地元の多くの方にご尽力をいただいたにもかかわらず、時間切れで会場移転が実現できずまことに申し訳なく思っている。

(2)築地市場の豊洲移転問題

 市場の移転については知事は「いったん立ち止まって考える」と宣言していた。それに従い、就任後、早々に豊洲への移転の延期と立地のあり方自体を再検討すると決めた。その直後に豊洲市場の地下に汚染水があることが発覚(16年9月)、移転延期の決断は正解と判明した。さらに調査を進めると過去の知事や職員が立地選定や建設過程で様々な不手際を重ねてきたことが明らかになった。議会のチェックも不十分だった。一方で豊洲移転をいったん白紙に戻し、築地を再整備する計画なども出てきた。そのためすったもんだが続き、豊洲の環境対策工事の入札も遅れた。だがついに17年6月、1年弱にわたる見直し作業を経て、最終的に築地は廃止し、2018年10月に豊洲市場へ移転することが決まった。これについては「結局、もとの案に戻っただけ」との批判がある。だが開場後に汚染地下水が発見されていたら大混乱が起きていたはずだ。既定路線で移転を進めようとする当局と議会にストップをかけ、いったん立ち止まると決めた勇気は評価されるべきだ。結論は豊洲移転となったが非効率かつ不適切な意思決定過程や常識外れの資金の使われ方が明らかになった意味は大きい。このような具体的施設の建設に関する本格的な見直し作業がなければ都政の改革はおぼつかない。選挙のエネルギーをテコに都庁の体質そのものを変えようとした知事の意図は正しかったし、ぎりぎりのタイミングで現実的判断を下した判断力(断念力?)も政治家として一流のものといえる。

(3)移転見直しを阻む厚い壁

 五輪会場も豊洲移転もともに3つの限界を最初からはらんでいた。第1は「時間」の限界だ。なぜなら築地の跡地が五輪の車両基地に使われる予定だった。だから五輪会場の建設も豊洲移転も五輪開催から逆算したスケジュールが組まれていた。加えて、そもそも知事就任時にはともにほぼ着工済み(豊洲市場等は完成済み)の公共事業だった。それをあえて見直すというのはたいへんなチャレンジだった。

 第2に疑惑解明への都民の期待の大きさとは裏腹に実際に知事ができることにはギャップがあった。過去の都庁の意思決定過程の妥当性を調査するにあたっては知事の「権限」の限界があった。目の前の行政執行なら知事は絶大な権限を持つ。しかし市場にしろ、五輪会場にしろ、過去に遡って疑惑解明する手法は限られていた。知事は検事ではないし、職員や外部委員も調査権を持たない。過去の経緯に関する作業は難渋を極めた。

 第3には議会の「反発」だ。特に都議会自民党は知事選に由来する反感に加え、今まで与党として当局と決めてきたことを知事に否定されることへの懸念が強かった。

 それでも小池知事は公約に沿って敢然と見直し作業を始めた。作業には専門家と第三者の視点を入れるべく、私をはじめ数名が民間から加わった(都政改革本部の特別顧問、特別参与として)。

まとめると、小池知事は、就任4カ月後(16年末)には五輪予算問題に決着をつけ、さらにその半年後(17年6月)には豊洲移転問題にも決着をつけた。ともに金額が大きく、過去の都政の業(ごう)を煮詰めたような課題だった。それを小池氏は一気に片づけた。

●問3 ブラックボックスの改革(情報公開)や行政改革は進んだのか?

 4年前、大きな課題となっていたのがいわゆる「のり弁」に象徴される情報公開問題だった。これについては都政改革本部でさっそく見直しがなされ、審議会の傍聴が可能に、各種団体へのヒアリング記録の公開が始まった。また公文書管理条例の制定による情報公開の徹底など都政の「ブラックボックス」を「見える化」するという点についてかなりの成果を成し遂げた。また都政改革本部は各局の主要事業の現況、費用対効果等の見直し点検を行い、結果を広く公表している(https://www.toseikaikaku.metro.tokyo.lg.jp/mierukakaikakuhoukokusyo.html)

 また小池知事は予算原案発表後の都議会各党による政党復活予算枠を廃止した(16年11月)。これは他の道府県に見られない東京都特有の慣例で毎年200億円規模、それまで知事与党だった自民党の要望がほぼ全面的に反映されていた。グレーな既得権益ともみられるこの制度の全廃はブラックボックスの透明化の象徴と言えよう。

 行政改革については驚いたことに都庁には当初、行政改革のプランが存在しなかった。そこでまず私は大阪維新や新潟市(前市長・篠田氏の時代)等の経験をもとに知事直結の都政改革本部の設置を提案した。これは都知事を本部長に各局長をメンバーとする機動的な改革体制だ。本部には外部の視点をいれるべく、弁護士や大学教授、コンサルタント等の有識者の参画を得た(特別顧問、特別参与)。そして専門家の知見、民間経営のノウハウ、都民の視点を都政改革に導入した(都政改革の詳細については都のホームページに詳しいhttps://www.toseikaikaku.metro.tokyo.lg.jp/kakokaigi.html)。そして都政改革本部は「2020改革プラン」を策定し、各部の主要事業の生産性分析やワークライフバランスの見直し、ICT戦略の策定など今まで放置されていた課題に手を付けた。

●問4 都議会の改革や知事と都議会との健全な緊張関係の構築は進んだのか?

 都民が小池知事に期待したのは「五輪予算」「豊洲移転」の見直しにとどまらない。2つの問題の裏には都議会のチェック能力に対する疑問、さらに腐敗の疑いがあった。だが地方議会は国政とは異なり、二元代表制をとっている。知事は議会改革については直接の打ち手を持たない。そこで知事が重視したのは都庁の業務や予算の使途に関する情報公開である。例えば秘密とされていた都庁、IOC、組織委員会の開催都市協定や各種審議会の議事録がオープンにされた。また予算折衝の過程も情報公開することになった。さらに不備があった公益通報制度も拡充された。

 だが議会改革の最大の処方箋は疑惑の対象となるような議員や会派の勢力をそぎ、改革派の知事に協力するフレッシュでやる気のある議員に置き換えていくことである。しかし、知事就任当初の都議会内のサポーターはわずか3人しかいなかった。そのため議会運営は難渋を極めた。しかし16年9月に小池知事は新会派「都民ファースト」を立ち上げ、17年7月の都議選(定数127名)で55名を当選させ、第一党に躍進させた。都民ファーストは若くて優秀な新人を多数、都議会に送り込んだ。おかげで議長交際費や政務活動費のネット公開、議会棟での禁煙などの改革も進んだ。

 しかし都民ファーストの議席は過半数に届かない。そこで知事は公明党(23議席)との連携関係も構築していった。しかしその後、希望の党騒動(17年10月)で知事の求心力は劇的に低下した。前期はここまでだが、3大課題への挑戦をテコに知事選を戦い、それへの取り組み姿勢を都民にアピールし、さらに都議選をも制した。劇場型、ポピュリズムという批判もあるが民意を正面からくみ上げたからこその選挙戦の勝利といえよう。

(注)都民ファーストの先例としては同じく地域政党の「大阪維新の会(2010年~)」がしばしば挙げられる。だが同会は自民党を離脱した松井一郎氏が橋下氏を擁して創設した政党であり、自民党の有力改革派議員が集団離脱してできた。したがって(他地域では理解されにくいが)大阪では維新の会が実質的に“与党自民党”である。さらに同会は初回府議会選挙で過半数を制し議員定数2割削減等の大胆な改革を実施し府民の強力な支持を得た。一方、小池氏は極めて厳しい状況からのスタートだった。自民党を飛び出した経緯もあり、都議会自民党とは激しく対立した。やがて自ら都民ファーストを創り、優秀な新人議員が多数当選したが当然ながら議会経験は浅く、大阪維新の会のような機動力は少なくとも前期においてはなかなか得られなかった。

 後半についての評価は難しい。小池知事は都政に専念し、しだいに都議会各派との対話の体制を整えていく。その過程で改革姿勢の後退に失望した一部議員の離反等もあった。だが今回の都知事選ではこれまで対立してきた都議会自民党が推薦する可能性が垣間見えた(最終的には推薦は受けず)。自民党との宥和は都政の安定を確保する現実策という意味では評価すべき事態だろう。一方で来年の都議選を控える中で知事が自民党の推薦を受ければ都民ファーストは死亡宣告されるに等しく、また都政改革にとってもマイナスである。結果的に自民党からの推薦は受けなかったものの今回の推薦問題は希望の党事件を想起させかねない。一部には「二度あることは三度ある」という見方もあって、政治家としてのしたたかさと指導者としてのインテグリティへの懸念が並びたつ不思議さである。

 

 ともあれ、大きくとらえると小池知事は当初、単騎で都庁に乗り込み、同志3名のところから都民ファーストを創り、外から有能で若い仲間を引き入れた。同時に公明と融和し、最近は自民とも是々非々の協調関係を築きつつある。これは現職の強みに過ぎない、あるいは田舎の自治体のオール与党体制と同じではないかという批判もあろう。だが、出発点から今日までの足取りを見ると剛腕、したたかと言わざるをえない。当代一流の極めて有能な政治家であることは明らかだろう。

〇二期目の課題

 二期目の小池都政はどうなるのか?財政は厳しくなる。東京都の予算は7兆円を超えるがこの数年は他の道府県がうらやむほどの余裕の財政だった。しかし法人税への依存度が高く、都の財政は景気に敏感である。コロナ関連の出費で基金残高は激減し、本年度の税収は大幅減が必至である。加えて五輪は開催されても規模は縮小で経済効果が限定的だ。それどころか中止の場合、IOC、国、組織委員会との費用負担を巡る新たなバトルが発生する。

 賞味期限切れの気配が濃厚な安倍政権のもとで国政も激動期に入るだろう。早ければ今秋の改憲の是非を問う解散総選挙があるかもしれない。安倍政権は延命するかもしれないが、総理が変わる、自公連立の枠組みが変わる可能性もある。また来年は都議選がある。都民ファーストが躍進すれば、迫る財政危機をばねに地下鉄やバスの民営化などの構造改革に着手できる可能性がある。逆に都民ファーストが失速すれば都議会に他に改革政党はいない。すると残念ながら都政はしばし安全運転に終始するだろう。

 いずれにせよ、小池都政の第2期は開催されても規模縮小、もしくは中止される五輪の後処理、財政危機、そして早晩、ポスト安倍政権のもと国政との新たな関係構築(税源配分等)の新たな難題に直面する。こうした厳しい時期に剛腕の二期目の知事を擁する東京都は幸運といえよう。だが2025年以降は人口も減少に転じ、高齢化がますます進む。インフラ老朽化、団地再生等の都市経営課題も山積みである。その意味で小池知事は二期目のうちに優秀な後継チームを都民ファーストの議員らの中に見出しておくべきではないか。今回都知事選は小池氏への信任投票の儀式であり、争点すら成立しておらず、東京の転機とならない。重要な転機は来年の都議選であり、そこで改革与党である都民ファーストがどこまで躍進できるか、そしてその集団の中からポスト小池時代の都政を支える議員チームがどこまで育っていくかがポイントである。小池知事は自らの日本新党時代の経験に照らし、若手の優秀な人材を募り、都民ファーストを創った。その功績は偉大である。だが彼らは民意から生まれた。二期目の小池知事にはさらに都民ファーストを強く大きな政治集団に育てていただきたい。

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慶應大学名誉教授、経営コンサルタント

専門は戦略と改革。国交省(旧運輸省)、マッキンゼー(パートナー)を経て米ジョージタウン大学研究教授、慶應大学総合政策学部教授を歴任。平和堂、スターフライヤー等の社外取締役・監査役、北九州市及び京都市顧問を兼務。東京都・大阪府市・愛知県の3都府県顧問や新潟市都市政策研究所長を歴任。著書に『改革力』『大阪維新』『行政評価の時代』等。京大法、米プリンストン大学院修士卒。これまで世界119か国を旅した。大学院大学至善館特命教授。オンラインサロン「街の未来、日本の未来」主宰 https://lounge.dmm.com/detail/1745/。1957年大阪市生まれ。

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筆者は経営コンサルタント。35年間で100超の企業・政府機関の改革を手掛けた。マッキンゼー時代は大企業の再生・成長戦略・M&A、最近は橋下徹氏や小池百合子氏らのブレーン(大阪府市、東京都、愛知県、新潟市等の特別顧問等)を務めたほか、お寺やNPOの改革を支援(ボランティア)。記事では読者が直面しがちな組織や地域の身近な課題を例に、目の前の現実を変える秘訣や“改革のシェルパ”の日常の仕事と勉強のコツを紹介する。

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