大胆な判例変更、党派性、民意に反する判決。米国の司法政治の特徴とは?
大胆な判例変更、党派性、民意に反する判決
毎年6月末から7月にかけて、米国の連邦最高裁判所の下した判決に関するニュースが世界の多くの国で報道される。米国の最高裁判所の会期は10月に始まり、翌年の6月末か7月初めに終わる。大規模な判例変更を伴うなどインパクトの大きな判決がある場合、通常会期末に公表される。連邦最高裁判所の判例は大きな影響力を持つため、世界中の報道機関が注目するのである。
今年注目を集めたのは、連邦最高裁判所がニューヨーク州の銃規制法に違憲判決を出したことと、人工妊娠中絶の権利を保障してきた1973年のロウ判決を覆したことである。
両判決に共通する点はいくつかある。第一に、覆された法律や判例に長い伝統があったことである。ニューヨーク州法は100年以上前に制定されたものであり、中絶に関する判例は50年にわたって中絶の権利を保障してきたものである。第二に、両判決に賛成した判事と反対した判事が一致していることが指摘できる。連邦最高裁の判事は9名から構成されているが、両判決共に、共和党大統領によって指名された保守派判事6名が判決を支持し、民主党大統領によって指名されたリベラル派判事3名が判決に反対している。第三に、両判決は、米国の世論や連邦議会の動向に反する内容の判決を下した点でも共通している。
ニューヨーク州の銃規制法違憲判決
連邦最高裁判所は6月23日に、ニューヨーク州の銃規制に違憲判決を出した。問題となった州法は、同州の住民が、自己防衛のために公の場で銃を隠して携帯する許可証を取得するためには、「もっともな理由」か「実際に必要であること」を証明しなければならないと定めていた。同法は今から108年も前に制定されたものであり、これまで幾度となく訴訟が提起されてきたものの、違憲判決が下されたことはなかった。
だが今回、連邦最高裁判所は、同法が銃の個人的所有権を定める合衆国憲法修正第二条に反するとし、自衛のために人々が銃を携帯することが権利として認められていると判示した(なお同判決は、学校や裁判所、行政庁舎などへの持ち込みを制限することは可能だとしている)。各種報道によれば、カリフォルニア、ハワイ、メリーランド、マサチューセッツ、ニュージャージーの5州とコロンビア特別区(ワシントンDC)はニューヨークと同様の法律を持っているため、本判決から直接的な影響を受けると予想されている。
米国では銃規制の是非について大きな論争があるが、リベラル派の影響力が強いニューヨーク州では、銃規制推進派が存在感を示している。実際、今年5月にスーパーで銃乱射事件が起こったのを受けて銃規制強化を求める声が強まっており、6月には銃規制を強化する法律が通ったばかりである。半自動小銃を購入・所持できる年齢を18歳から21歳に引き上げるとともに(興味深いことに同州では拳銃を所持できる年齢は以前から21歳である)、防護服や防弾チョッキの購入を法執行機関と関連業務従事者にのみ認めると定めている。
また、日本でも報道されているように、連邦でも銃規制を強化する画期的な法律が成立した(上記判決が出た後に法案が上下両院を通過し、バイデン大統領による署名を得て成立した)。同法では、銃の販売に際し若年購入者の身元調査を強化したり、ドメスティック・バイオレンスの前科がある人物への銃販売を制限したりしている。また、自身や他人に危害を加える恐れのある人物から銃を一時的に没収する法律(レッドフラッグ法)を州政府が成立させた場合、その州政府に財政支援する仕組みを整えた。銃の購入許可を持たない人物に代わっての代理購入の取り締まりや、密売抑制にも大きな予算が割り当てられた。学校における治安対策も強化された。殺傷力が高い銃の購入可能年齢の引き上げや大容量弾倉の禁止は共和党の反発が強く見送られたとはいえ、勢力が拮抗する上院で共和党から14名もの賛成者を得て超党派で法案を可決したのは、分極化と二大政党の対立激化を特徴とする近年にあっては画期的である。
もちろん、ニューヨーク州や連邦政府で通った法律と今回の最高裁判決で扱っているのは、銃規制に関するものの中でも異なった争点であるため、その判断にズレがあること自体はおかしくない。だが、民主的正統性が高いと一般に考えられている立法部門が銃規制を強化する中で、その方向性に反する判断を連邦最高裁判所が下したことを興味深く思う人も多いだろう。
人工妊娠中絶の権利の否定
人工妊娠中絶の権利が否定されたことは、とりわけ日本でも大きく報道された。1973年のロウ判決は、望まぬ妊娠をした女性が人工妊娠中絶を行うことをプライバシー権の一環として認めた。ニューディール以後、民主党とリベラル派は米国の進歩を体現すると自己認識し、共和党と保守派がその行き過ぎに歯止めをかけようとする構図が見られた。その進歩を象徴したのが、福祉国家の確立、マイノリティに対する公民権の確立、そして、人工妊娠中絶の権利だった。
人工妊娠中絶については、世論調査でもほぼ一貫して多数の支持が示されてきた。ピューリサーチセンターが今年三月に行った世論調査でも、61%の人が全ての、あるいは大半の事例で中絶を認めるべきだと回答している。
だが、共和党の宗教右派は、胎児を人間と見なすとともに、旧約聖書内の「生めよ、増えよ」という神の言葉や「汝殺すなかれ」というモーゼの十戒を重視する観点から、中絶の禁止を重要課題と位置付けてきた。そして、ロウ判決の破棄を宣言する人物を判事に任命すると公約する人物を大統領候補として当選させようと積極的に活動してきた。共和党と保守派が優位する州政府も、あえてロウ判決に反する法律を通過させて争点化するなどして、ロウ判決破棄を目指してきた。
第二次世界大戦以後の米国では、リベラル派が保守派に勝利できることを当然の前提として内部対立を繰り広げる一方で、劣勢を自覚する保守派は大同団結して共闘してきた。今回の判決で中絶の権利が否定されたのは、その結果だといえるだろう。
なお、中絶の権利が否定されたというのは、中絶が完全に禁止されたという意味ではない。中絶が権利として認められている場合にはそれを禁止・制限するのには相当な理由が必要になるが、権利性が否定されると制限や禁止が比較的容易になるということである。具体的に述べれば、中絶が権利として認められている場合には原則として全ての州で中絶を行うことが可能でなければならないが(ただし、保守的な州の多くは中絶を実施しにくくするための法律を様々な形で制定してきた)、今回の判決は中絶を容認するか否かの判断を州政府に委ねたため、中絶を禁止することのできる州政府が登場するということである。その結果、今後は中絶を禁止した州で中絶手術を受けることはできなくなるが、中絶を容認する州で中絶手術を受けることは可能である。
この結果として、人工妊娠中絶を望む人が、経済的余裕があり、周囲の理解があるなどして州外や外国(メキシコ、日本、スウェーデンなど)で中絶手術を受けることが可能な場合は、その選択肢を選ぶことになるだろう。他方、そのような選択をすることが、経済的理由や、家族やコミュニティからの圧力などによって困難な人々は、中絶を断念しない場合には、自己流、あるいは闇医者の利用などの危険な方法で中絶を行う可能性が高くなる。このように、同判決は極めて論争的な性格を持っているため、世論の意向と反する判決を出すことに驚く人がいるのも不思議ではない。
判決に一貫性はある?
両判決に関する詳細な法的分析は、以後様々な法律学者によって行われるだろう。両判決は共和党や保守派が望むものであるという点について共通している。
また、両判決共に合衆国憲法に明文の根拠規定があるかどうかを重視している点でも共通している。銃規制については、銃を所有することを個人の権利として認める合衆国憲法修正第二条に反しているというのが論拠となっている(もっとも、常備軍や警察が組織されておらず、民兵が治安維持を担っていた18世紀に定められた規定を今日どう解釈するべきかについては議論がある)。人工妊娠中絶については合衆国憲法で言及されていないので、それを権利として認めるのは適切でないというのが判例の根拠である(そのロジックでは、憲法制定時に共有されていなかった価値観に基づく利益を権利として認めるためには明文の憲法修正が必要ということになるので、環境権なども否定されることになる)。このように両判決は、現在の価値観ではなく立憲者の意思に基づいて憲法の規定を解釈するのが適切だという保守派の論理に則っているといえる。
だが、両判決には矛盾する内容もあるように思われる。例えば、連邦政府と州政府の権限の分担について、連邦最高裁判所がどのような立場をとっているかは必ずしも明確ではない。連邦制を採用する米国では、州政府が基本となって様々な決定を行い、州政府が中心となって決定するのが不可能あるいは妥当性に欠ける事柄と合衆国憲法で明示的に規定された事柄(のみ)を連邦政府が管轄するというのが伝統的な考え方だとされてきた。だが、とりわけニューディール期以降、連邦政府の権限を増大させようという動きが強化されてきた。
ただし、その動きも複雑で、党派によって恣意的な方針がとられているようにも見える。一般論としては民主党とリベラル派は連邦政府の役割を増大させようとしている。保守的な州が州の主権を根拠として奴隷制を正当化してきたことへの反発もあり、マイノリティや貧困者の権利を拡充するために、連邦レベルでの法制化を目指したり、連邦最高裁判所に様々な訴訟を提起したりしてきた。他方、共和党と保守派は、民主党とリベラル派のそのような動きに反発し、様々な決定を州政府の自律的判断に任せるべきとの立場をとってきた。
だが最近では、そのパターンとは異なる行動もとられている。民主党とリベラル派は、銃については連邦レベルでの規制強化は求めているが、今回の連邦最高裁の判決には反対し、州政府が独自に規制を強化するのを認めるべきだと主張している。他方、共和党と保守派は州政府による銃規制強化の試みを連邦の次元で否定しようとしている。また、人工妊娠中絶については州レベルで中絶を事実上不可能にすることを州の自律性強化だと評価する一方で、究極的には連邦レベルで中絶を禁止することを目指して活動している。
利益集団やイデオロギー団体は自己利益を追求するために組織された団体である。政党や政治家は、より多くの人(選挙民)の支持を獲得して勝利すれば存在が保証されるというのが民主政治の基本原則である。従って、政治家や利益集団が論理的に一貫した行動をとる必要は必ずしもないともいえよう。
だが、司法部門に属する裁判所の判断にはある程度の一貫性が求められるというのが一般的な認識ではないだろうか。今回の判決では、銃規制については州政府の自律性を否定する一方で、人工妊娠中絶については州政府の自律性を支持する立場をとっている。連邦制の問題について連邦最高裁判所がどのような認識を持っているかは、必ずしも明確ではないように思われる。
連邦最高裁の政治的性格と複雑さ
このような複雑さは、米国の裁判所が政治的性格を強く持っていることの表れだともいえる。連邦裁判所の判事に欠員が生じた場合、大統領が指名した人物を連邦議会上院が承認すれば、その人物が後任となる。そのため、判事の任命時の政治状況によって、異なるタイプの判事が就任することになるのである。
9名で構成される連邦最高裁判所判事は、長らく保守派4名、リベラル派4名、保守寄り中道派1名という状況が続いてきた。だが、2016年2月に保守派判事が死亡した際には、上院を支配していた共和党が、同年11月に行われる大統領選挙で勝利した人物が後任を指名するべきだと主張し、民主党のオバマ大統領が指名した人物についての審議を拒否した。にもかかわらず、2020年の9月にリベラル派の判事が死亡した際には、同じく上院を支配していた共和党はトランプ大統領が指名した保守派判事を直ちに承認した。トランプ政権期中に保守寄り中道派とされた判事も自ら職を辞したため、トランプが保守派判事を指名し共和党が多数を占める上院がそれを承認した。この結果、連邦最高裁判所の判事の構成が保守派6名、リベラル派3名と変わったことが、今回の両判決につながったのである。このように考えれば、米国の裁判所判事には不可避的に政治的性格を伴っているともいえよう。
米国の連邦裁判所は、時に民意に反する方向で、党派的な観点から大胆な判例変更を行っているように見える。だが、これが米国の司法政治のダイナミズムなのである。