『鬼滅の刃』で呼吸を整え…前ヤクルト近藤一樹、トライアウトへ「全集中」!
「『竈門炭治郎のうた』が自分と被る」
原作漫画とアニメの大流行により今年の「ユーキャン 新語・流行語大賞」トップテンに選ばれ、現在公開中の映画は国内の興行収入で歴代2位にランクイン。今や1つの社会現象になっているのが『鬼滅の刃』である。
その主人公が竈門炭治郎(かまど・たんじろう)。妹の禰豆子(ねずこ)を除く家族を人食い鬼に殺されながらもその悲しみを乗り越え、鬼になってしまった禰豆子を人間に戻し、家族の仇を討つために、さまざまな困難を経て剣士として成長していく大正時代の少年だ。
「『竈門炭治郎のうた』の歌詞とかあの悲しい感じ。そこからテンションを上げていく感じが自分と被るんです」
今シーズン限りで東京ヤクルトスワローズを戦力外となった近藤一樹(37歳)はそう話す。
「目を閉じて思い出す 過ぎ去りしあの頃の 戻れない帰れない 広がった深い闇」という歌詞から始まる『竈門炭治郎のうた』が流れるのは、アニメ版第19話の終盤からエンディングにかけて。静かなピアノのイントロに続く切ない歌声に始まり、オーケストラが加わって徐々に盛り上がっていくこの曲は、球団に「来季は構想外」と伝えられてからアニメ版を見始めた近藤の心情に、重なるものがあるという。
「一軍に上がれるかもしれない」という矢先の構想外
2018年には42ホールドポイントをマークしてセ・リーグの最優秀中継ぎ投手賞に輝いたこともある近藤が、球団から来シーズンの構想外であると伝えられたのは10月下旬のこと。9月22日から今季2度目のファーム生活が続いていたものの、「(シーズンも)残りちょっとだけど、一軍に上がれるかもしれないという状態で、気持ちを上手く整えながらやっていた」矢先の出来事だった。
「前日まで(ファームの試合で)投げて、次の日に(フロントと)話をするタイミングで構想外って言われて。『で、どうする?』っていう話をされたんですけど、どうするも何も構想外しか言われなかったんで……」
これまでのプロ野球人生で、何人ものチームメイトがクビを切られるのを見てきた。「今年に限らずですけど、前年の契約(更改)の時に『来年ダメだったら(戦力外)』とかそういう話をしていただける方もいる中で、僕にはそういう話もまったくなく、今年もシーズン中の話し合いという場も特にはなかったんで」という中での“宣告”は、まさに寝耳に水だった。
最大の武器は「エクステンション」215センチからのストレート
日大三高のエースとして2001年夏の甲子園で優勝投手となり、ドラフト7巡目で当時の大阪近鉄バファローズに入団したのを皮切りに、オリックス・バファローズ、そしてヤクルトと渡り歩いて19年。オリックス時代には度重なる故障にも泣かされたが「投球スタイルはどの時でも一緒なんですよ。ケガをしてても同じように投げてるんで、その分、負担も大きかったのかもしれないですけど」と、スタイルを変えることはなかった。
最大の武器は、踊るようなダイナミックなフォームから繰り出されるストレート。速球派の代名詞のようにいわれる150キロを出したことは、一時的にサイドスローにしていたオリックス時代の2009年と、ヤクルト移籍後の2018年の2回しかないが、その球の力や勢いは球速では測ることができない。
たとえスピードガンの表示が140キロ台前半だったとしても、打者がストレートに詰まらされるのを、ヤクルトに来てからのこの4年半の間に何度も見てきた。近藤の場合、ピッチャーズプレートからリリースポイントまでの距離、いわゆる「エクステンション」は215センチだという。つまり他の投手と比べても、かなりバッターに近いところでボールを放していることになる。
これができるのは、そのステップ幅によるところが大きい。近藤の登板の際のルーティーンを知る者なら覚えがあるだろうが、彼はマウンドに上がるとプレートからよちよち歩きをするように距離を測り、そこをスパイクで掘る。投球の際に踏み出す足の“着地点”をつくるためだ。
その距離はきっちりスパイク7足分。近藤の足のサイズは28センチだが、スパイクを履けば一足分は30センチ近い。そうなれば7足分のステップ幅は、2メートル以上になる。クロスステップのため“着地点”は左斜め前にはなるものの、人並外れたステップ幅でより打者の近くからリリースされた勢いのあるストレートは、打者にはスピードガンの表示よりもずっと速く感じられるというわけだ。
「ゴルフに例えるなら無理してフェアウエーに乗せてる感じ」
だが、新型コロナウイルス感染拡大により開幕が約3カ月延期された今シーズンは、調整が思うようにいかず、勢いのある本来のストレートがなかなか投げられなかった。
「正直、『気持ち悪さ』がありましたね。なんかしっくりこないっていうか……。そのしっくりこないところを、しっくりくるようにするのが毎年の修正であったり、そういう対応は当たり前のことなんですけど、今年に限ってはそこが上手くいかなったっていうところはありますね」
6月19日の開幕から1カ月近く経ったところで、今季初めての登録抹消。それでもファームでは7試合連続無失点を記録し、ストレートが149キロをマークしたこともあった。8月下旬に一軍復帰すると、そこから6試合連続無失点。ただ、本来の状態にはほど遠かったという。
「結果は整いましたけど、球筋というところでいうとそのしっくりしてない感じは継続したままでした。ゴルフで例えると分かりやすいのかもしれないですけど、なんかスライスしてるというか、引っかけているような感じで、真っすぐボールが飛ばないっていう感覚でした」
四球の割合こそ例年より少なかったものの、それも「無理して、小手先でストライクゾーンに投げてるんで、球としては元気がないというか、相手が怖がるような球にはならないんです」と振り返る。
「ゴルフに例えるなら、無理してフェアウエーに乗せてるような感じで、状態の悪い球筋でずっと打ってるんで距離も伸びないんですよ。だから僕の球筋としても、今までと違うのは分かってるんですけど、それでもやっていかなきゃいけない、結果を出さなければいけないという中で、あと少しっていうところで(感覚を)つかみそこねた感じはあります」
「チャンスがあればボロボロになるまで……」
2016年には当時在籍していたオリックスから「このままだと構想外だから」と伝えられ、同年7月のトレードでヤクルトに移籍。「あの(選手としての余命)宣告から4年、5年は長生きしたんで」と、チャンスを与えてくれた球団に対する感謝は忘れていないが、心の準備もないままに告げられた「構想外」はショック以外の何物でもなかった……。
それから1カ月半。涙は『鬼滅の刃』とともに出し尽くした。出すものを出したら呼吸を整え、テンションを上げるだけ。現役続行を目指し、埼玉・戸田の球団施設などで1人、黙々と練習を重ねてきた。
シーズン中は最後まで「気持ち悪さ」が残ったピッチングも、今は良い感触で投げることができている。あとは今日、12月7日のプロ野球12球団合同トライアウトに「全集中」で臨む。
「チャンスがあれば、ボロボロになるまで投げたいとは思います。正直、そのつもりでずっとやってきたんで。ただ、ユニフォームを着るタイミング、チャンスがなければ、もうこれ以上ボロボロになることはなくなってしまうんで……」
「どんなに悔しくても 前へ 前へ 向かえ 絶望断ち」という『竈門炭治郎のうた』の歌詞ではないが、プロ20年目のシーズンに向けて今は前に進んでいくしかない。おそらくはこれが最後になるヤクルトのユニフォームで、現役続行をかけた近藤の戦いが間もなく始まる──。
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