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木村拓哉主演『レジェンド&バタフライ』入門 織田信長は「甲斐の虎」武田信玄とどのように戦ったのか?

濱田浩一郎歴史家・作家

木村拓哉さん主演の映画『レジェンド&バタフライ』が公開されています。木村さんが演じるのは、戦国武将の織田信長。映画には武田信玄は登場してきませんが、実際には、信長と信玄は元亀3年(1573)12月、三方ヶ原(静岡県浜松市)において激突することになります。とは言っても、信長自らが出陣したわけではありません。

信長の盟友である徳川家康が治める遠江国(静岡県西部)に侵攻した信玄。信長は家康を助けるために、援軍を派遣したのでした。佐久間信盛・平手汎秀・水野信元ら三千の軍勢を遣わし、信玄の西進を食い止めようとしたのです。当時は、越前の朝倉氏、近江の浅井氏、大坂の本願寺など「反信長連合」が形成されており、信長自らが遠江に出陣できるような状況ではありませんでした。

家康は居城・浜松城に籠城せず、打って出て、武田軍と交戦します。三方ヶ原の戦いです。武田軍は、最初、兵士300名ほどに小石を投げさせ、攻撃をしかけてきました(信長の家臣・太田牛一が記した信長の一代記『信長公記』)。この最初の戦で、信長に派遣された平手汎秀(信長の傅役であった平手政秀の子か)が戦死してしまいます。

信長が召し仕っていたが、勘当され、家康のもとに身を潜めていた元・小姓衆(長谷川橋介・佐脇藤八・山口飛騨守・加藤弥三郎)も初戦において、奮戦するも、討死。家康の軍勢も、武田軍に押され、家康は単騎、浜松城に向けて、退却したと言われます。

信玄は家康が籠る浜松城を攻めることなく、越年。野田城(愛知県新城市)を攻略するも、病重く、帰国の途につきます。そして、4月12日、53歳で、信玄は信濃国において死去するのです。

信玄が病に倒れず、そのまま西進していれば、何れは、信長と「正面衝突」していたでしょう。信長と信玄がもし戦っていたら、どうなっていたか?信長は危機的状況に追い込まれていた可能性もあります。そうしたことを考えた時、信長という武将も運が良いというべきでしょう。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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