北島康介引退に思う「能力のピークと稼ぐ力のピーク」のバランスの取り方
北島康介氏の引退は時代の区切りを感じさせる
北島康介選手が、リオデジャネイロオリンピック代表選考会を兼ねた日本選手権で、5大会連続のオリンピック出場を逃したことを受け、4月10日に現役引退を表明しました。
引退を惜しむ声、過去の業績への賞賛の声、また世代交代した新しい選手への期待など、いろんな話題がメディアを飛び交いましたが、やはり時代の区切りを感じずにはいられません。
私はスポーツマンやミュージシャンの引退ニュースをみるたび、会社員の「能力と稼ぎ」のバランスについて考えてしまいます。
ファイナンシャル・プランナーが北島康介選手の引退報道から感じた「普通の人の能力とお金の稼ぎ方の関係」について少しお話ししてみたいと思います。
スポーツマンやミュージシャンの「能力と稼ぎ」は必ずしも一致しない不思議
スポーツマンやミュージシャンというのは、能力がなければ稼げない立場にありますが、だからといって能力のピークと稼ぎのピークが一致するとは限らない不思議な職業です。
最近のプロアスリートは、賞金を自ら獲得できるようになりましたが、会社員として働きながらオリンピックを目指す選手もたくさんいます。また、アマチュアリズムが尊重される競技については得られる賞金は少ないままで、むしろ引退後のテレビ等で稼ぐことのほうが多い、という人もいます。
ミュージシャンもちょっと不思議な職業で、若くてヒットソングを飛ばしているときが必ずしも能力のピークとは限りません。作曲技術が円熟の域に達したとしてもヒットソングには恵まれなくなる、ということもあります(長年のファンは名曲が発表されるうれしさと世間に評価されないもどかしさの中応援し続ける)。
かと思えば、一生モノのヒットソングを手にしたのでカラオケ等の印税収入だけで一生困らないという人もいます。
アスリートやミュージシャンに言えるのは、能力と年収が必ずしも比例する関係にはない、ということです。また、若くして巨万の富を得たのち、収入が激減する可能性もあります。
ビジネスマンにおける能力のピークアウトは年収ダウンを意味するがダイナミックではないことが救い
会社員の「稼ぐ力」を考えてみると、「能力はおおむね年齢の上昇に伴い高まる」「能力が20代を最後にピークアウトするようなことはまずない」「同じ会社にいる限りは極端に年収が上下動することはあまりない」という特徴があります。
これは会社員の立場からすれば当たり前のように思えますが、とてもありがたい話です。文字通りリアルタイムで能力評価をして年収が上下動したら、これは人生の生活設計が成り立ちません。年収600万円まで増やしてきたけれど、ある月の業績が低迷したら年収が一気に400万円になっては住宅ローンも返せなくなります。
また、20歳代で能力のピークにならない、というのも助かる話です。家を買ったり子育てをすることを考えれば40~50歳代にお金が多く必要になりますし、生活水準を考えれば徐々に豊かな暮らしをしたくなるはずです。しかし稼ぐ力は20代が年収800万円で、40~50歳代は年収400万円になるような関係があったとすれば、これはやりくりができないでしょう。
会社員の不満として、本当の能力と年収が一致しない、ということはよくありますが、それでも会社員というのは普通の人のマネープラン的には合っている仕組みなのです。
とあるリクルート出身者は「自分のピークは40代と考える。だから日々焦る」と語っていた
しかし、ここまでの話にはいくつかの前提があります。「定年までの雇用が安定的に保証されていること」と「必要な出費の増加に年収増が連動していくこと」がなければ、能力と収入のギャップに齟齬が生じるからです。
かつては終身雇用かつ年功序列型の賃金制度が主流で、「若い頃は能力より年収が低く、中高齢になったときは能力以上の年収をもらえる」というような調整機能が働きました。しかし、「若いうちは安くこき使われ」「年をとったら能力相当の年収しかもらえない」ということになったら、これは会社に能力を安く買いたたかれた、ということになり最悪です。
よくあるパターンは年齢が高くなったとき会社の業績が悪化したため給料が伸びなくなった、というようなケースです。この場合、退職金も半減していたりしますので、まさに泣きっ面に蜂、ということになります。
一方で、そのときの能力に見合った給料を出すようなドライな制度に完全に切り替えると、個人にとっては厳しいことになります。リクルート出身のある知人が「自分の仕事能力のピークは40代前半で、その後は下り坂だと考えている。だから今がむしゃらに稼いで、45歳以降の年収ダウンに備えている」と語っていました。もちろん彼は必死に稼いだお金を可能な限り貯め、将来の収入減の可能性に備えていました。
しかし、そこまで計画的に10年後、20年後のマネープランまで見通すことは簡単ではないでしょう。
自分の能力と自分の年収のバランスについては常に意識し続けることが必要
アスリートやミュージシャンとまでいかなくても、普通の会社員も「自分の能力がどれくらいあり、自分の年収はどれくらいか」、というバランスについては常に意識していくべきです。
年収と能力のミスマッチは看過すべきものではありません。それが将来回収可能なものであるのか常に考えるべきですし、その期待は裏切られる可能性も頭に入れておくべきです。
(筆者は退職金・企業年金の専門家ですが、能力と賃金のミスマッチが解消できなかった場合でも、せめて退職金・企業年金の受給権カットは禁止すべきと思います。確定拠出年金の場合、それは完全に禁止される仕組みであり、もっと利用されるべきと思います)。
なお、能力と年収のミスマッチがあり今後の解消の見込みも薄いのであれば、これを解消できる働き方(転職するとか独立するとか)を模索するべきです。変な義理人情で沈みかけた船にとどまるべきではありません。特に能力が高まっても賃金が上がる見込みがない場合ほど、違う船に乗り移るべきでしょう。
「そんな簡単にいかないよ」という人ほど何かしてみよう。チャレンジし尽くした北島康介氏のすがすがしさに近づけるように
北島康介氏の引退報道から、普通の会社員の稼ぎと能力のバランスについて話を広げてきましたが、こういう話をすると「そんな簡単にはいかないよ」という声がよく上がります。
簡単な話ではないのは当然です。あなたの能力が少しずつ若かった頃より高まってくるとしても、何もせず自動的に年収が増えるほど世の中は親切ではないからです。
能力を高める努力と同じくらい、能力を周囲に評価してもらう努力が必要です。社内的にはまず、人事評価シートの記入や上司との面談を適当にしないところからはじめてみてはどうでしょうか。
何もせず「そんなこと簡単にいかないよ」と、軽く言うのではなく、何年か何か取り組んでみてください。「やっぱり簡単ではないよ」というのは何かをやった人がいう言葉であるはずです。
北島康介氏の引退した姿がすがすがしく見えるのは、それが失敗したチャレンジであったとしても、もう無理だと周囲から指摘されながらも、限界のところまで挑み続けたからです。
トップアスリートの努力の1万分の1でもいいのです。時にはそれが、私たちにとっては大きな前進になり、能力と収入のミスマッチを将来にわたって改善することになるかもしれません。