モータースポーツ10大ニュース(4輪)5位〜1位/勝つことこそ正義だと認識した1年
2019年のモータースポーツシーンを彩った話題をまとめる年末企画。4輪モータースポーツ編では10個のニューストピックスを取り上げる。第2弾はいよいよ5位から1位をカウントダウン。
5位:鈴鹿市内で公道パレードが実現
本来はサーキット専用であるはずのレーシングカーが公道をパレード!そんな夢のようなシーンが「モータースポーツ都市宣言」の街、三重県・鈴鹿市で実現した。
これは8月に開催された「鈴鹿10時間耐久レース(SUZUKA 10H)」を前に実施されたもので、鈴木英敬・三重県知事や末松則子・鈴鹿市長らが乗るクラシックカーに続いて、同レースを走るFIA GT3規定のレーシングカー、35台が鈴鹿市内の約7kmをパレード走行。木曜日の午前中という時間帯ながら、沿道やイベント会場のイオンモール鈴鹿には夏休み中の子供達が数多く詰めかけ、歴史的な公道パレードの瞬間を見守った。
実はこのイベントは昨年2018年に開催が予定されていたが、台風の接近でパレード走行直前に暴風警報が発令されたために中止になってしまった。苦渋の決断を経て、2019年の実施に向けて動いた鈴鹿市の末松則子市長はパレードが実現した安堵からか、スピーチで感極まって涙を流した。
レーシングスーツ姿で登場した末松市長の姿にSUZUKA 10Hを含むシリーズを統括する「IGTC」(インターコンチネンタルGTチャレンジ)の広報担当者は「市長のような立場の人がレーシングスーツ姿で登場するなんて、ヨーロッパでは考えられないこと。本当に初めての実施ということが信じられないくらいオーガナイズされていた。モータースポーツに対する深い理解を感じる」とパレードを絶賛。モータースポーツが文化として根付くヨーロッパの人達の心も動かすパレードになった。
サーキットと行政、警察、ボランティアなど街の人々の理解なくしてはできないパレード。来年以降もぜひ実施の継続を期待したい。
4位:ラリージャパンの開催が決定!
ついにWRC(世界ラリー選手権)の日本ラウンド「ラリージャパン」が2020年に愛知県/岐阜県で開催されることが決定した。
待ちに待ったラリージャパン開催決定の吉報が届いたのは9月27日のこと。WRC世界ラリー選手権日本ラウンド招致準備委員会が中心になって様々な調整、キャンペーンを行なってきたラリージャパン。2019年も開催候補となっていたが、カレンダーには落選。しかし、昨年の新城ラリーなどの視察を経て、2020年11月19日〜22日の期間で開催されることになった。愛知県と岐阜県が開催地となり、メイン会場は愛知県・長久手市のモリコロパークとなる。
ラリージャパンは2004年〜2010年まで(2009年は休止)北海道で開催されて人気を博したが、スバルなど日本メーカーのWRC撤退も影響して消滅。2010年代はラリー人気が低迷していたが、2017年からトヨタがヤリスWRCで参戦を開始。ラリージャパン復活への期待が高まっていた。
トヨタがWRCに復帰してから、ラリーに対する関心は徐々に高まりつつある。ファンの年齢層としては40代後半以上のクルマ好き世代が中心になるのは否めないが、プレイベントとして11月に開催された「セントラルラリー愛知・岐阜」の走行映像のインパクトはSNSでも話題になった。
ラリーもかつては多くの少年やクルマファンの心を捉えた競技。今年ワールドカップ開催で盛り上がったラグビーのようにニワカファンが増えることも盛り上がりに不可欠となる。若い世代やラリーの知識皆無の層からの注目が期待されているのが、日本人ドライバーの勝田貴元(かつた・たかもと)だ。トヨタの若手育成プログラムで育てられた勝田は2019年、WRカーのヤリスWRCで2戦にスポット参戦。来季もラリージャパンを含む8戦に参戦を予定している。
また、トヨタはヴィッツをグローバルネームの「ヤリス」として日本でも販売し、4輪駆動モデルの「GRヤリス(GR-4)」もスタンバイ。2020年1月の東京オートサロン(幕張メッセ)で初披露されることになっている。日本でのラリー開催、応援対象となる日本人選手、そしてラリーやドライビングへの興味を誘うクルマと様々な条件が整ってきた。東京オリンピックの後、ラリーは再び新たな関心を集めることになるだろう。
3位:アロンソがインディ500予選落ち
今年はまさかの出来事もあった。F1モナコGP、WECル・マン24時間レースと並んで「世界三大自動車レース」に数えられるアメリカのインディ500に参戦した元F1世界王者のフェルナンド・アロンソ(スペイン)が痛恨の予選落ちを喫したのだ。
モナコGP、ル・マンを制し、世界三大自動車レースの全制覇(トリプルクラウン)を狙ったアロンソは2017年以来2年ぶりにインディ500に参戦。前回はF1でマクラーレン・ホンダに乗っていたため、ホンダエンジンの強豪であるアンドレッティ・オートスポーツからの参戦。優勝目前まで行ったが、F1でマクラーレンとホンダとの関係が悪化したことで、アロンソを抱えるマクラーレンはシボレーエンジンの英国チーム「カーリン」とコラボレーションした。
ただ、「カーリン」は英国の名門と言えども、インディカーでは経験値の少ない弱小チーム。市街地コースや通常のサーキットコースでは何とかドライバーの腕で成績を向上させることができても、高速オーバルサーキットのインディアナポリス・モーター・スピードウェイではデータの積み重ねを含めた特殊なエンジニアリング力が必要になる。また、速さを生み出すエンジニアリング力だけではなく、クラッシュからの修復力などメカニックの技術力も必要。チームの総合力が不足した状態のアロンソはペースを上げられず、屈辱の予選落ちとなった。
彼のモータースポーツキャリアで最大の黒歴史となった今年のインディ500。アロンソのドライビング能力は高い評価を受けており、誰もが彼の才能を信じている。今回の残酷な結果は、改めてクルマという道具を使うモータースポーツは選手の実力だけではなく、マシン、エンジン、タイヤなどのパッケージに加えて、エンジニアリング力、チームの総合力など全てが噛みあわないと頂点に挑むことができないことを認識させられた。体制を変えての再挑戦を期待したい。
2位:佐藤琢磨がシーズン2勝
アロンソとは対照的に最強チームではない体制ながら、インディカーで2勝を飾ったのが佐藤琢磨だ。今季は第3戦・アラバマ(ロードコース)、第15戦ゲートウェイ(オーバルコース)で優勝したほか、アラバマとテキサスで2度のポールポジションを獲得し、インディ500でも3位に入り、ランキング9位を得た。
キャリアベストのランキング8位には届かなかったものの、佐藤琢磨は42歳にして日本人初のポールトゥウインを達成するなど本当に大活躍の1年だった。
レーサーとして円熟味が増し、毎戦ごとに面白いレースを展開する佐藤琢磨はまさにレーサー人生で第二のピークを迎えているといえよう。インディカーのドライバーとして10年目の節目を迎えた今年の活躍は特筆に値するものだ。
第14戦・ポコノではレーサー人生で最大級の大クラッシュも経験。アクシデントから生還後には湾曲したオンボード映像を見たファンや関係者から、多重クラッシュの原因を作ったとバッシングされた。しかし、彼は自分自身のオンボードカメラの映像をチームと共に公開して抗議。SNSはそれでも炎上を続けた。
批判の目が向けられたまま迎えた第15戦ゲートウェイでは誰も文句がつけようのないレース展開で今季2勝目を飾り、バッシングを封じ込めた。佐藤琢磨は自分自身がバッシングに対して真っ向から自分の正当性を主張することに「これからの次の世代のドライバーが海外で戦っていくためにも、レースの結果以上に大事なこと」と語っていた。
佐藤琢磨はSRS(鈴鹿サーキットレーシングスクール)のプリンシパル(校長)にも就任。フォーミュラやカートのスクールで学ぶ生徒たちにも大きな手本を示しながらレースを戦っている。世界のツワモノを相手に勝つことに拘り続ける佐藤琢磨。彼の真髄が見えた1年だった。
1位:レッドブル・ホンダ勝利!
勝てば官軍、という言葉がある通り、全てを変える原動力になる。まさにそれを感じたのがホンダの13年ぶりのF1での優勝だった。
今季、トップチームの「レッドブル」にパワーユニットを供給したホンダは開幕戦のオーストラリアGPからマックス・フェルスタッペンが3位表彰台を獲得。好ダッシュを見せた「レッドブル・ホンダ」は第9戦・オーストリアGPでついにマックス・フェルスタッペンが優勝。第11戦・ドイツGP、第20戦・ブラジルGPでも勝利し、パートナーシップ1年目にシーズン3勝という予想をはるかに超えた結果を残した。
ホンダの好調ぶりにF1に対する関心が高まったのも2019年を象徴することだった。新たな世代のF1ファンが増えたというよりは、離れていったF1ファンがまた戻ってきたというイメージで、2019年のF1日本グランプリ(鈴鹿サーキット)は指定席がほぼ完売状態になるほどに。普段連絡を頻繁に取っているわけではない友人からのチケットの問い合わせが増えたことも、F1への関心が回復傾向にあることを実感した瞬間だった。
とはいえ、かつては16戦15勝という圧倒的な強さを誇ったホンダの栄華を知る世代にとって、チャンピオン争いに絡めていない今季の3勝はまだまだ輝ける成績と映らないのも事実。2020年は現行規定のラストイヤーになるだけに、いよいよ巨人メルセデスに本気で挑む勝負の年。景気の先行き、自動車業界の再編の動きなど、気になる事案も多い2020年だが、ホンダが勝利を重ねていけば、F1人気の復活は起こり得るだろう。
そんな機運が高まった2019年はモータースポーツにとって大きな1年だったと言えるのかもしれない。新しいファンを巻き込むのも、インパクトあるニュースを提供するのも、モータースポーツで必要なのは参加することではなく、勝つことなのだと改めて認識させられた2019年だった。