「駅の乗降客や送迎の人を威嚇しない」 関東の駅百選の「下仁田駅」で見つけた物々しい注意書き…
筆者はこの年末年始、一部の乗り鉄界隈では年末年始の恒例行事となっている首都圏での年越し大回り乗車に挑戦していたことは、これまでの記事(2025年「年越し大回り」参加者は200人超え? 駅ナカ消費や現地への交通費でJRの売上にも貢献!)などでも詳しく触れたが、その翌日となる1月2日には群馬県の高崎駅と下仁田駅を結ぶ上信電鉄がワンコイン500円で乗り放題となることから、高崎市在住の友人の案内でその沿線を巡ったことも記事(国鉄形に西武の中古車も走る群馬県の「上信電鉄」 沿線は下仁田カツ丼や初詣など「楽しさ」いっぱい!)で紹介した。
上信電鉄の終点となる下仁田駅の開業は1897年(明治30年)と古く、駅を含めた周辺はレトロな佇まいを残している。上信電鉄は、最終的に現在の群馬県高崎市と長野県佐久市を結ぶ計画だったことから、群馬県の旧国名である「上野」と長野県の旧国名である「信濃」から1文字ずつ取って上信電鉄と名付けられている。しかし、下仁田駅の線路の先には急峻な山々が鉄道のこの先の延伸をはばむかのように立ちはだかっており、結果、上信電鉄の延伸は実現することはなかった。
なお、下仁田駅は、国土交通省関東運輸局管内の特徴のある駅を認定する関東の駅百選にも選ばれている。下仁田駅はレトロな木造駅舎で、窓口では硬券タイプのきっぷの販売も行われている。下仁田駅構内は貨物列車の運行を行っていたときの名残で構内は広く、袋詰め生石灰運搬用貨車であったテム1形貨車が3両留置されていた。当時の貨物ホームに隣接した場所には、木造やレンガ作りの立派な倉庫が立ち並んでおり、活況だった往年の貨物輸送の姿を感じとることができた。
また、下仁田駅横には昭和のヤンキー文化の様子が垣間見える遺構も残されていた。「駅前環境美化委員会」の名義での「お願い」というレトロな看板には「駅の乗降客や送迎の人に出して威嚇し恐怖を与える行為をしない」など物々しい注意書きが並んでいたが、現在ではこのような状況があることは考えにくく、往年の下仁田町の若者文化の一端を垣間見ることができたと感じている。
(了)