30年前のソ連崩壊は日本経済没落の始まりでもあった
フーテン老人世直し録(625)
極月某日
30年前の12月25日、超大国ソビエト社会主義共和国連邦が消滅した。第二次大戦後の世界を二分した米ソ冷戦は、その2年前にソ連のゴルバチョフ書記長と米国のブッシュ(父)大統領によって終結宣言されていたが、世界の約半分を支配した超大国の崩壊は想像を絶する出来事だった。
その頃フーテンは、米国のワシントンに事務所を置き、米議会情報を日本に送る仕事をしながら、日本の政治改革の一環として国会をより透明にするため、米国のケーブルテレビに誕生した議会専門チャンネルC-SPANを真似て、日本にも「国会TV」を実現しようと考えていた。
なぜそんなことを考えたかと言えば、政治記者となって権力の中枢を取材するうち、新聞やテレビが伝える「与野党激突」の構図が、国民に対する「目くらまし」に思えてきたからである。
NHKが放送する「国会中継」では野党議員が激しく政府与党を追及して審議を中断させ、法案の廃止や撤回に追い込もうとするが、実は審議が中断するとその裏側で与野党が秘かに取引を行っていることを知ったのだ。
しかしその事実はごく限られた人間しか知らず、大方の与野党議員は何も知らずに「激突」させられている。そして民主主義政治の主役である国民も、新聞とテレビによって実像とはかけ離れた「虚構の政治」を見せられていた。
フーテンは先輩から「メディアの使命は、万年与党の自民党政権を終わらせ、政治のバランスを取り戻すことだ」と教えられたが、そもそも社会党は過半数を超える候補者を選挙で擁立せず、共産党は逆に全選挙区に候補者を立てて社会党の足を引っ張り、自民党を万年与党にしていたのは野党の方だった。
何のためかと言えば、吉田茂が敷いた保守本流の「軽武装・経済重視路線」に協力するためである。軍事に金も人も使わず、持てる力を経済に集中させて復興を果たす。そのため吉田は憲法9条を錦の御旗として、米国からの軍事的要求に抵抗する体制を作った。
日本は朝鮮戦争にもベトナム戦争にも出兵せず、後方支援をすることで戦争特需にありつき、それが日本の工業力を高めたが、それを可能にしたのは社会党や共産党による護憲運動で、それを国民の多くが賛同するようメディアが誘導していた。
日本人に浸透した平和主義を米国に見せつけ、米国が過大な軍事要求をすれば、たちまち政権交代が起きて、ソ連に融和的な政権が誕生すると米国に思わせた。しかし前述したように野党は政権交代など考えていない。それを知らない米国は、ソ連の存在がある限り日本の「軽武装・経済重視路線」を覆すことができなかった。
この体制が日本に高度経済成長をもたらした。それは家電製品や自動車の対米輸出によって可能となった。日本の輸出攻勢で米国の製造業は大打撃を受け、同時にベトナム戦争の長期化が米国に財政赤字をもたらす。米国は貿易赤字と財政赤字の双子の赤字に苦しむようになる。
フーテンが米議会を取材し始めた1990年、米国の敵はソ連から日本に移っていた。世論調査で米国民が最も脅威を感じるのはソ連の核ではなく日本経済という結果が出て、米議会の上下両院合同経済委員会は「日本の経済的挑戦」と題する公聴会を開いた。
そこでは日本経済の実態が分析され、企業系列の仕組み、メインバンクに象徴される金融機関と企業との関係、また年功序列賃金や終身雇用制など労働市場の特殊性、欧米の資本主義とは異質な日本経済の仕組みに、米国では「日本異質論」が声高に言われるようになった。
そうした中で90年夏にイラクがクウェートに侵攻し「湾岸危機」が起きた。ブッシュ(父)大統領は国連軍に準ずる多国籍軍を結成するが、日本は憲法9条によって自衛隊を参加させることができず、資金協力しかしなかったことで国際的非難を浴びることになった。フーテンは吉田茂が敷いた「軽武装・経済重視路線」が曲がり角に来たと思った。
91年1月に始まる「湾岸戦争」で米国は原水爆に代表される大量破壊兵器とは異なる精密誘導兵器の威力を見せつけて世界を驚かせる。ジェームズ・ベーカー元米国務長官はそれがソ連崩壊の一因という見解を示した。核競争にのみ目を奪われていたソ連がこれで自らの無力を感じたのだという。
その是非は分からないが、91年にはソ連邦の中から独立する国家が出てきて、12月にソ連は独立国家共同体(CIS)に移行する。こうして12月25日にゴルバチョフ大統領が辞任を表明、超大国ソ連は消滅した。この時、ワシントンには高揚感が漂い、歴史の転換点の現場を体験しようと議員たちは相次いでモスクワに向かった。
ところが日本の議員でこの時モスクワを訪れたのは1人しかいない。日本人にとってソ連崩壊はまるで対岸の火事で、誰も関心を抱かなかったようにフーテンには見えた。日本政治の関心はもっぱら「政治とカネ」の不祥事だった。
東京地検特捜部が鉄骨加工メーカー「共和」の汚職事件で阿部文雄元北海道開発長官を逮捕し、次いで東京佐川急便事件の摘発に乗り出し、捜査の矛先が政界のドンと呼ばれた金丸信に向かっていったからだ。
一方、米議会では冷戦の勝利を祝うと同時に、ソ連が消滅したことで唯一の超大国となった米国が世界を支配する準備に取りかかった。それまでソ連が支配してきた東側諸国を米国の支配下に置くためと、ソ連に代わり最大の脅威となった日本経済を解体する準備である。
ソ連崩壊を受けて宮沢総理は「これで平和の配当が受けられる」と発言した。ソ連がなくなり米国が唯一の超大国になったことで世界に平和が訪れるという意味だろう。なんと楽観的な考えか、むしろ戦後の日本が国家戦略としてきた「軽武装・経済重視路線」も破たんの時を迎えたと考えるべきではないか。フーテンはそう思った。
社会党や共産党に護憲運動をやらせ、国民にも平和主義を植え付けてきたのは、米国からの軍事要求をけん制するためではなかったか。それが日本の経済成長を後押しする知恵ではなかったか。それは東西冷戦を利用した国家戦略だから、ソ連の消滅はその国家戦略の消滅をも意味する。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2021年12月
税込550円(記事5本)
2021年12月号の有料記事一覧
※すでに購入済みの方はログインしてください。