米国によるイラン制裁の限界と危険性―UAEの暴走が示すもの
- トランプ大統領のイラン核合意の破棄は、スンニ派諸国との協力を念頭に置いたもの
- しかし、スンニ派諸国を率いるサウジアラビアのリーダーシップには限界があり、各国は個別の利益を追求する傾向を強めている
- スンニ派諸国の結束の形骸化は、米国―サウジアラビア―イスラエルの三角同盟による一方的な行動をむしろ生みやすい
米国トランプ政権は現地時間8日、イラン核合意の破棄を発表。イランへの制裁が再開されます。これに対してイランは核合意に残留する方針ですが、国内では穏健派ロウハニ大統領に対する強硬派の批判も高まっており、核開発が加速する懸念が高まっています。
ただし、トランプ政権が制裁を再開しても、イラン包囲網が成功するかは疑問です。イスラエルやサウジアラビアは米国を支持する立場ですが、核合意に署名した欧米諸国やロシアは破棄に反対しています。のみならず、サウジが主導し、米国が協力を期待するスンニ派諸国の間にも、一致した協力より各国の利益を優先させる動きが広がっています。
とりわけ、サウジとともにスンニ派諸国の結束を主導してきたアラブ首長国連邦(UAE)が、他のスンニ派の利益を脅かしてでも自国の利益を優先させ始めたことは、この亀裂を象徴します。スンニ派諸国に対するサウジのリーダーシップの限界は、米国によるイラン包囲網が穴だらけになる可能性を示唆します。
UAEの「暴走」
UAEは5月5日、イエメン南部のソコトラ島で部隊を展開し、この地を掌握しました。ソコトラ島は人口6万人あまりの小島で「インド洋のガラパゴス諸島」とも呼ばれる独特な生態系や、古い城壁都市シバムなどがUNESCOの世界遺産に指定されています。
UAEの行動をイエメン政府は「侵略(aggression)」と強く非難しており、サウジアラビア政府が仲介に乗り出していますが、交渉は難航しています。
UAEはしばしば「スンニ派の盟主」サウジアラビアの最も信頼できるパートナーとして振る舞ってきました。そのUAEの暴走は、スンニ派諸国の結束のもろさを浮き彫りにしたといえます。
イエメン内戦とUAE
UAEの暴走は、イエメン内戦のなかで発生しました。
イエメンでは2015年1月、シーア派組織「フーシ派」が首都サヌアを制圧。ハーディ大統領をはじめ、スンニ派中心の政府はアデンに移動しました。これを機に、サウジアラビアをはじめとするスンニ派諸国の有志連合は、イエメン政府を支援してフーシ派への攻撃を開始したのです。
フーシ派はサウジの最大の敵、イランに支援されています。そのため、この軍事介入を主導したサウジのサルマン国防大臣(現・皇太子)は、有志連合への参加をスンニ派諸国に対する「踏み絵」としてきました。部隊を派遣しなかったパキスタンに経済制裁が敷かれたことは、その象徴です。
その結果、イエメン内戦は「スンニ派とシーア派の宗派対立」、「サウジとイランの代理戦争」の様相を濃くしていったのです。
サウジにとって最も重要な「足場」は、ペルシャ湾岸の君主国家の集まり湾岸協力会議(GCC)加盟国(サウジ、UAE、カタール、クウェート、バーレーン、オマーン)です。そのなかでもUAEは、サウジとともに有志連合の中核を担ってきました。さらに、イランとの関係などを理由に、2017年6月にサウジがGCC加盟国カタールと断交した際、真っ先にこれに同調した国の一つがUAEでした。
こうしてUAEは、サウジというビッグブラザーを支える忠実な弟分として、いわばスンニ派諸国の主流としての立ち位置を得たのです。また、リゾート地ドバイを抱えるUAEには、トランプ大統領の名を冠したゴルフ場もオープンしています。
サウジとUAEの不協和音
ところが、UAEとサウジの間には、徐々に不協和音が目立つようになりました。その焦点は、フーシ派と対立するハーディ大統領が、イエメンのスンニ派政党「アル・イスラーハ」と協力していることでした。
アル・イスラーハは、20世紀初頭にエジプトで生まれたイスラーム組織「ムスリム同胞団」をルーツにもちます。しかし、ムスリム同胞団は米国を含む西側諸国だけでなく、イスラーム圏のいくつかの国でも「テロ組織」に指定されてきました。とりわけUAEは、独立以来、ムスリム同胞団への警戒が最も強い国の一つです。
これに対して、サウジアラビアはムスリム同胞団をテロ組織に指定しておらず、イエメン内戦でもフーシ派への対抗上、アル・イスラーハへの支援を強化。これは長年国内でムスリム同胞団を脅威として捉えてきたUAEにとって、受け入れがたいものでした。
そのため、UAEはアル・イスラーハとつながるイエメン政府だけでなく、サウジ政府ともしばしば対立。2017年3月には「ハーディ政権を支持するなら有志連合から撤兵する」とサウジに通告しています。
これを受けて、サウジはアル・イスラーハと距離を置き始め、アル・イスラーハもムスリム同胞団との関係を絶つと宣言。イエメン内戦は、単純な「宗派対立」でも「サウジとイランの代理戦争」でもない側面を大きくしていったのです。
南部部族連合への支援
これと並行して、UAEは徐々にイエメンの南部諸部族への支援を強化するようになりました。
もともとイエメンは、北部をオスマン帝国に、南部を大英帝国に、それぞれ支配されていましたが、双方が1962年に別々の国として独立。冷戦時代は西側に近い北イエメンと、東側に近い南イエメンはしばしば衝突を繰り返し、1990年にようやく統合されました。このような経緯もあり、イエメンは一つの国としての一体性が乏しく、南部諸部族の間には分離独立を求める動きもあります。
その南部では、UAEがイエメン内戦のなかでアル・イスラーハ系組織を攻撃し、アデンの空港などを実質的に掌握。ハーディ政権と距離を置く周辺の諸部族への支援を強化することで、イエメン政府の頭ごしに同国南部での影響力を強めていったのです。
これはイエメン政府に「UAEが混乱に乗じて南部を独立させ、傀儡政権を打ち立てようとしている」という警戒を抱かせるには十分でした。2017年3月にハーディ大統領は「UAE軍がイエメン解放のための軍隊というより、占領軍のように振る舞っている」と批判しています。
ソコトラ島の制圧
UAEにとってイエメン南部を切りとることは、フーシ派やアル・イスラーハを追い詰めるという戦略的な利益だけでなく、経済的な利益にも結びつきます。
今回、UAEが部隊を展開させたソコトラ島は、各国の商船を狙う海賊が頻繁に出没するソマリア沖に浮かんでいます。近年UAEはソマリアの港湾整備などを手掛けています。つまり、イエメン南部だけでなくソコトラ島を支配下に置くことで、UAEはアラビア半島とソマリアを結ぶ海上ルートを確保できるのです。
この背景のもと、UAE政府はハーディ大統領がフーシ派の攻撃に直面し、首都から落ちる前に、ソコトラ島を99年間リースする契約を結んでいたと報じられています。
最近ではUAEが軍事施設、港、通信施設などの整備を行い、住民登録なども進めていました。さらにアル・ジャズィーラによると、UAE軍が展開するや、官公庁にはUAEの国旗が翻り、同国のナヒヤーン皇太子の肖像画が掲げられ、数百人の住民が部隊の歓迎のために集まってきたといいます。
サウジの求心力の限界
ただし、ソコトラ島での軍事展開がUAEの国益を反映したものであることは確かですが、これがイエメン政府のいう「侵略」に当たるかは疑問です。少なくとも公式に確認される限り、UAE、イエメンの両政府は、ソコトラ島のリース契約を明確に肯定も否定もしていません。
合法的な契約でも、領土の長期リースや売却は、売却国で国内の反発を招きがちですが、買収国にとっても外聞が悪いものです。例えば、スリランカやモルディブの港湾部を長期リースする中国は、反対派から「土地収奪」と批判されます。
そのため、当事者がリース契約をグレーにしていることは、逆にリース契約の存在を示唆します。仮にリース契約があるにもかかわらずイエメン政府がUAEの行動を「侵略」と批判するなら、国内向けの煙幕に過ぎないといえます。
むしろ、ここで重要なことは、これまでの関係からソコトラ島に部隊を進めればイエメン政府から不満が噴出することは目に見えていたはずなのに、あえてUAEがそれを行なったことです。
そこには、トランプ政権によるイラン核合意の破棄が目前に迫るなか、スンニ派の結束を強めたいサウジアラビアが自国に譲歩するはずというUAEの目算をうかがえます。言い換えると、UAEはイラン核合意の破棄という外の大きなショックを利用してビッグブラザーに揺さぶりをかけているといえます。
それはスンニ派諸国の間でのサウジアラビアのリーダーシップが限定的であることをも示します。サウジの限界は、スンニ派諸国との関係をテコにイラン包囲網を強化したい米国にとってもアキレス腱になるでしょう。
ただし、スンニ派諸国の結束が形骸化することは、米国によるイラン核合意破棄の後の中東が平穏であることを意味しません。むしろ、スンニ派諸国の協力が限定的になれば、米国はこれをあてにせず、イランへの敵対心が強いサウジやイスラエルとだけでも、より直接的な軍事活動に向かいかねません。これらに鑑みれば、米朝首脳会談に先立って米国がイランで、直接的な攻撃でないとしても、何らかのアクションを起こす可能性は大きいといえるでしょう。