アフガニスタン:続・ターリバーンと暮らす清く正しく美しい生活
2021年8月31日、世界中の月刊誌の中で現在一番待望されていた(?)雑誌がついに刊行された。それは、ターリバーンのアラビア語機関誌の『スムード』誌である。この雑誌、かつては「反体制武装勢力」なり「イスラム原理主義組織」なり「テロ組織」なりの世迷言を連ね、堅気の「専門家」や「報道機関」の皆様がご覧になるにはなんだか「あれ」なクズ雑誌だったようで、そこで示された世界観・情勢認識・政策的示唆は全く顧みられなかった。しかし、ターリバーンは今やアフガンのほぼ全土を制圧するご立派な「イスラム主義組織」であり、その機関誌で表明される政策的な言辞は、政府の広報誌、或いは与党の機関誌に掲載されるものと同様の価値・情報を持つものへと大出世を遂げたのではないだろうか。もっとも、長年この雑誌を観察する筆者をイライラさせ通してきたダメ編集っぷりも健在で、アフガンの首都の綴りが同一の雑誌の中で複数混在する状態のままだった。単一の冊子の中で固有名詞の表記が統一できないという事態は、筆者のようなザコ執筆者が関与する媒体では決して起きてはならないことである。こんな編集になるのは、編集部がどうしようもなくダメなのか、個々の記事の執筆者が編集部よりも圧倒的にえらい(と思い込んでいる)場合かのどれかのように思われる。この一事を見るだに、ターリバーンの広報部門は同派の中であんまりえらくはなさそうだということがよくわかる。
そんな雑誌に、「イスラーム首長国の構造」なる、今後のアフガニスタンの新政府とその内政・外交政策に関心を持つ(はずの)「専門家」や「報道機関」にとって必読の(?)記事が掲載された。この記事は、ソ連との闘いのころからのアフガンのジハードの大ベテランであり、政治・戦略問題の研究者・著述家を称するアブー・ワリード・ミスリー(ムスタファー・ハーミド)が著したものだ。記事は、「新体制作りに際して誤りや欠陥があることは問題ではなく、それを繰り返さないことが大切だ」との半ば居直りのような書き出しから、要旨以下の通り主張した。
*国家の力は、宗教の原則とその教育に存する。
*農業、工業、技術、商業が経済の礎であり、経済活動を宗教的信条から分けないことが重要である。
*教育は諸共同体の復興の基礎であり、精神面・物質面での復興は宗教教育と結びついている。宗教教育を近代的教育に組み込まなくてはならない。これを怠ると、社会は宗教的な社会と世俗主義者とに分断される。この20年間、アメリカは(アフガン社会を)ムジャーヒドゥーンと占領者に与する世俗主義者とに分断することに注力してきた。
*報道は思想と心情を変える道具である。イスラーム首長国に対する報道の挑戦はかつてなく大きく、代替報道機関が必要である。イスラームに敵対的な国際報道のメッセージを国民に届けてはならないし、これらの報道機関の職員がいつでもどこでも活動するのを放置してはならない。
*社会の中での力の源泉の配分に際し、農業、工業、商業の資源の鍵をイスラームの敵や堕落した者たちに渡してはならない。植民地主義による破壊と殺戮に与した者の財産は没収すべきだ。全ての天然資源は「バイト・マール」との名称の役所の下、全人民の公有とする。
この記事は、過日紹介した「アフガニスタンにおけるイスラーム経済」なる論考に比べると若干具体的になったように見えるかもしれない。しかし、具体的になった点は、報道機関や教育に対する監視・管理志向であり、そうすることによるとなぜ人民の生活水準が向上するのかは相変わらずさっぱりわからない。また、これも国際的な重大関心事項である外国軍・政府・国際機関などへの協力者、及び旧アフガン政府の公務員の末路について、「植民地主義による破壊と殺戮に与した者の財産は没収すべきだ。」という刺激的な提言がある。個々のアフガン人の身体・財産の安全はもちろん、旧政府の要人や官僚の「政権参加」についても陰鬱な展望を示すと言えよう。なお、今般紹介した記事では女性や人権の問題に触れていないのだが、これは『スムード』最新号にはこの問題を(ターリバーンが勝利するであろう)次なる戦いと位置付ける論考が掲載されているので、そちらを読め、ということだろう。
ターリバーンをはじめとするイスラーム過激派諸派が発信する文書・声明類を観察する目的は、「犯行声明を早く見つける競争」に勝利することではない。個々の団体や活動家の微細な情報についてうんちくをたれることでもない。諸派の世界観・情勢認識・関心事項を把握し、彼らに起因する害悪の被害を最小化することだ。最近のアフガン情勢について、各国政府の失敗への批判的記事が満ち溢れているが、敢えて失敗の原因を探すのならば、それは日常的な観察の欠如、観察と分析の成果を踏まえた行動の欠如のどこかにあるような気がしてならない。