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上白石萌音の圧倒する魅力はその声にある 『カムカムエヴリバディ』で気づかされる彼女の底力

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:アフロ)

過酷な展開を見せる『カムカムエヴリバディ』

11月1日から始まった『カムカムエヴリバディ』はまる一ヵ月経って、物語はとても厳しいところにいたっている。

(以下、『カムカムエヴリバディ』22話までネタバレします)。

ヒロインの安子(上白石萌音)は故郷を捨て、幼な子を抱え、誰ひとり知り合いのいない大阪で暮らし始めた。過酷な状況である。

素直でまっすぐなヒロインを演じて上白石萌音がみごと

彼女は大正14年に岡山の和菓子屋に生まれ、そこですくすく育った。

じつにのびやかで、明るい娘さんであった。

人としてとても風通しがよく、恨みを抱かず、人を羨まず、親切で明るく、生きてきた。

岡山の大きな会社の長男の稔さんと出会い、お付き合いをして、彼の出征を前に結婚する。

素直でまっすぐな少女を演じて、上白石萌音があまりにもみごとである。

あらためて最初の三週「1925年から1943年」を見返すと、楽しくそして美しい昭和初年が描かれて、胸をつかれてしまう。

戦争でいろんなものが変わってしまったから、小さいながらも和菓子店をしっかり営業していたころが、夢まぼろしのような風景に見える。

ヒロインの同級生・勇は野球の夢をかなえる

ヒロイン安子の小学校の同級生・勇(村上虹郎)は、彼女の結婚相手・稔さんの弟である。

小さいころから野球がうまく「甲子園に出場して、六大学で野球をやることが夢」と語っている。(当時、かなり下に見られていた職業野球をめざす野球少年はあまりいなかった)。

戦況悪化により「全国中等学校優勝野球大会(いわゆる夏の甲子園)」は中止となり、甲子園には出られなかった。

ただ、六大学には進学できたようで「早明」という白いユニフォームを着て、大学野球には出ている。

夢はかなったようである。

(「早明大学」のユニフォームは、ほとんど早稲田大学のユニフォームのように見えるし、戦っている相手のユニフォームは慶應義塾大学のユニフォームにしか見えなかった)

「夢をもっていないヒロイン」の素晴らしさ

ヒロイン安子には、夢はない。

第二話のナレーションではっきりそう説明されていた。

「安子にはこれと言って夢と呼べるものはありません。

安子はただ、大好きな町で大好きな人たちと暮らす日々が続けばいいとおもっていました」

これを聞いたときに、すばらしいとおもった。叫びたいくらいにすごいとおもった。

すごくいいドラマになりそうだと感じたのだ。

「夢を追いかけるヒロイン」というのは勇ましいところはいいのだけれど、長丁場のドラマではどうしても同調しにくいところが出てきて、見ていて困ることがある。つまり、ヒロインの空回りを見続けているのがつらいことがよくあるのだ。

夢はないけど、無限にやさしい

『カムカムエヴリバディ』の安子は夢は追っていないが、だからこそやさしい。無限にやさしい。

夢を追ってないから、ここまでやさしくできるのではないか、とふとおもってしまう。

こういう生き方が似合っている人というのは現実にもいて、そういう人は、夢を持てとか言われなければいいのにな、と余計なことも想像してしまう。

このヒロインは、ただひたすら「まわりをやさしさに満たそう」としているかのようであった。

穏やかに生きたいという選択だからこそ、そういう可能性が見られるのだろう。

夢はともかく、「しっかり生きること」が大事である。

上白石萌音が演じると、圧倒的な説得力がある。

セリフがすばらしい。

声に「やさしさ」がとんでもなく詰まっている。

上白石萌音の声と言い回しがいいのだ。心地いい。

彼女の声質がたぶんすごくいいのだとおもう。

ふつうにやさしく喋るのを聞いているだけで、深く、深く、胸に沁みこんでくる。

上白石萌音の声で、世界が動く

たとえば6話。安子14歳のとき、勇ちゃんと街で会い、彼は「来年こそは甲子園いくで」と力強く安子に宣言する。

勇は安子のことが好きなのだが、安子は同級生であったという以上の何の感情も抱いてない。

そこで「うん、がんばられえよ」と声をかける。

この声が、ただただ、やさしさだけで作られた声、のように聞こえる。

すっと聞き流すようなセリフだけれど、セリフの中身を超えて、声が響いてくる。上白石萌音のやさしさに包まれているようで、忘れられない。

簡単な言葉が、ずっと胸に残る感じがする。

それが、上白石萌音の力である。

何でもないような力だからこそ、ものすごい存在におもえる。

大好きな人とか特別な人ではなく、ふつうの知り合いに道で行き違ったときにかける何でもないひと声。

その声が地上の慈愛に満ちているように聞こえるのだ。

上白石萌音の声だけで、世界が動く気がする。

あったかい声が胸に沁みる

また10話では、甲子園大会が中止になり、神社でぼんやりしている勇を見かけて、安子は声をかける。

「勇ちゃん、どげえしたん? こげなところで一人で」

何でもない言葉である。

何気ない言葉なのに、でも、胸つかれる響きがある。

あとはたとえば、戦時中に遠くまで買い出しにいったとき、母の持っていた荷物を見て「お母さん、それ持てんやろう、私が持つわ」といったときのまなざしと声。

家で祖父が寝込んでいるのを見て、「おばあちゃん、おじいちゃんにお汁粉つくったげて」と祖母に頼むときの声。

声があったかい。

岩にも沁み入りそうなくらいだ。

安子のやさしさが世界を動かす。

その安子の自然なやさしさが全開だったのが、14話。

おはぎが食べとうなって、と店を訪れた客に、もう作られんようになりまして、と申し訳なさそうに断るも、ちょっと待っとってくださいと奥へ入っていく。

家族の法要のために作ったお汁粉を「召し上がってください」と出してくれる。

「早う、お元気になってください」と声をかける。

彼女は知らなかったが、その客は「結婚したいが諦めた相手・稔さん」の父であった。彼女の立ち居振る舞いを見て、父は息子との結婚を認める。

誰にでもやさしくする姿が、世界を少し動かした。

上白石萌音の持つ圧倒的な存在

この立ち居振る舞いは、製作者側の意図したキャラクターである。

でも、それを予想を超える力に変えたのは、上白石萌音の身体である。

とくに声だ。

ふだんの「がんばられえよ」「どげんしたん?」という、何でもないセリフだけで人を暖かくするその力量によるものだ。

「やさしさで包み込む存在」となり、喋っているだけで心揺さぶられるのは、上白石萌音の力によるものである。

やさしさで世界を変えられるという、かつてない存在となっている。

すごいテンポで幸せと不幸が入れ替わるドラマ

この「のちの舅とは知らずにやさしくした回」とその次の回(14話と15話)が、前半のひとつのピークである。

わかってはいたが、この幸せな時期は短かった。

次週の第4週の16話から20話で、世界はまるっきり変わってしまった。

16話からあと、ずっと「やさしさで包み込むような音」が発せられていない。

あの声が聞きたいとおもって見ているが、まだ少し先なのだろう。

「がんばられえよ」「どげんしたん」というやさしい声は、本人が自分がどん底にいると感じているときには、出せない言葉のようである。

幸せな時期と、不幸な時期が、すごいテンポで入れ替わるドラマである。

このあとの「戦後日本の復興の底力」によって、ヒロインの「やさしさで包み込む声」が復活することを切に待っている。

ひさしぶりに心からヒロインを応援しながら、朝ドラを見続けている。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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