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『哀しき獣』が見つめる現実は、決して日本映画の代替にはならない──韓国映画から学ぶべきこと

松谷創一郎ジャーナリスト
Amazonより。

 2012年に公開された映画『哀しき獣』は、単純化できない東アジアの状況における個人を描く作品として、現在にこそ見直されるべき作品だ。経済的困難や道徳的ジレンマに直面する登場人物の描写は、現在の観賞者にはより強い関心を呼び起こすだろう。とくに、グローバル化や経済格差が広がる現代社会において、この映画が提供する深い洞察と社会批判はますます重要だ。ここに当時の作品レビューを再掲する(初出:朝日新聞社『論座』2012年1月14日)。

日本と異なる韓国社会

 派手なアクションや過激な暴力描写を盛り込んだ韓国映画は、昨今日本でも高く評価されている。2011年であれば『悪魔を見た』や『アジョシ』、『ビー・デビル』などがそうだ。いまや、韓国映画はハリウッドに次ぐクオリティだと言っても過言ではない。それらと同様に、デビュー作『チェイサー』が全世界で絶賛されたナ・ホンジン監督の新作『哀しき獣』も、韓国映画史に残る作品となるだろう。

 そうした韓国映画が日本で評価される際、頻繁に見られるのが日本映画との比較だ。曰く「日本映画のように生ぬるくない」、「日本映画と違ってリアリティがある」等々。優れたアクション映画があまり創られない日本で、そうした気持ちを抱くのはわからなくもない。

 しかし、そうした物言いに強い違和感も感じることも多い。なぜなら、日本映画の足りない部分を韓国映画で埋め合わせるかのようなニュアンスが、しばしばそこに含まれているからだ。

 日本と韓国は、文化や言語は似たところはあるが、社会状況や国際関係は大きく異なる。昨今はK-POPや韓流ドラマで明るいイメージも強いが、当然のことながら明るいことばかりではない。とくに1997年のIMF危機とそれにともなう新自由主義経済への転換は、韓国社会を大きく変えた。経済格差は日本とは比較にならないほど拡大し、競争はより激化した。結果、自殺率はOECD加盟34カ国中最悪の数字となり、凶悪犯罪も増加した。

 さらに、北朝鮮との緊張関係を常に抱えており、近年も軍艦沈没事件やヨンピョン島砲撃事件など軍事衝突が相次いでいる。そうした背景を持つ韓国映画に対し、安穏と日本映画の代替的役割を見出すのは、作品を観誤る可能性を導く。

主人公は朝鮮族

 『哀しき獣』も、韓国独自の社会背景をベースとしている。主人公の男は韓国人ではなく、中国の朝鮮族だ。物語も中国の北東・延辺朝鮮族自治州から始まる。東はロシア、南は北朝鮮に接するこの地域に住む約80万人の朝鮮族は、延辺の人口の40%にも満たない。朝鮮族の自治州とはいえ、朝鮮族はマイノリティなのだ。

 主人公・グナム(ハ・ジョンウ)は、多額の借金を背負い、妻は韓国に出稼ぎに行ったまま音信不通の状態だ。ひとり娘も母親に預けている。そんな彼に、犬商人のミョン(キム・ユンソク)が、借金の帳消しを条件に韓国である人物の殺害を依頼する。悩みながらも引き受けたグナムは、船に乗って黄海から韓国に密入国し、殺害ターゲットを調査するのと同時に、妻の行方も探す。

 このミッションの行方を描く物語かと思いきや、そこから話は二転三転する。約束の期日が迫りグナムが殺害に向かうと、標的である大学教授のキム・スンヒョンは、他の男たちによって殺されてしまう。それは、バス会社社長のキム・テウォン(チョ・ソンハ)によるものだった。グナムは、殺した証明としてキム教授の指を切り取ってその場から逃げるが、警察とキム社長から追われることになる──。

母語が通じる異国

 日本語を公用語とする国は日本以外には存在しないが、世界に目を向ければそれは少数だ。東アジアにおいても稀有なことではない。中国語は台湾やシンガポール、マレーシアでも話され、韓国/朝鮮語は、韓国と北朝鮮だけでなく、中国の朝鮮自治州でも使われる。文化的には類似性のある日中韓だが、言葉の汎用性の面では、日本(語)だけが他国とは異なる状況だ。

 言葉の汎用性は、人的流動性を高めることにも繋がる。それは、韓国の在留外国人数を見ても明らかだ。2011年、韓国にいる31.8万人の中国人就労者のうち、29.6万人は朝鮮族である。つまり、韓国にいる中国人の多くは、韓国語のネイティブな話者なのである。

 そして、朝鮮族が出稼ぎで韓国に渡るのにも理由がある。急激な経済成長を遂げる中国において、朝鮮族自治州はとても貧しい地域だからだ。ひとりあたりのGDPは、上海や北京の四分の一から五分の一ほどでしかない。ナ監督が朝鮮族を主人公としたのも、実際に韓国で朝鮮族による事件が起きたからだった。

 グナムにとっての韓国とは、「母語が通じる異国」だ。会話はできるが、母国ではない。日本人が決して知りえないこの感覚こそが、グナムの孤独を際立たせる。

 たとえばそれを物語るちょっとしたシーンが前半に出てくる。殺害標的のマンションを調べていたグナムが、バッタリその大学教授と出くわすところだ。キム教授は、グナムを即座に朝鮮族だと見抜き、その貧しさを察して「これで何か食べろ」と金を渡す。言葉は通じても、グナムが確実に異者であることを、このシーンは強烈に浮かび上がらせる。

 中盤から後半にかけて、チェイスはヒートアップしていく。ナ・ホンジンが『チェイサー』でも執拗に描いたこの関係は、今作ではさらに複雑で執拗に、かつ派手なアクションシーンも含んだダイナミックな展開を見せる。

 唯一の希望である妻を探しながら、異国で必死に逃げるグナムに対し、彼を騙し、混乱した状況を逆手に取ってさらに金のためにグナムを追うミョン──この映画がサスペンスとして一級品なのは、さまざまな人物の欲望が入り乱れ、複雑なプロセスを経て緊迫し続けるこの展開にこそある。

韓国映画から学ばなければならないこと

 本作の原題は『黄海(ファンヘ)』という。(北朝鮮があるために)陸路で移動することが困難な両国にとって、その間に横たわるのが黄海だ。実際、グナムは船に乗り、黄海を渡って韓国に密入国し、最後も海上のシーンで幕を閉じる。

 そんな黄海は、朝鮮自治州にも韓国にも居場所を持つことができないグナムの孤独な存在性を象徴する。この点において、韓国映画は決して日本映画の足りない部分を埋めることはない。

 日本映画が韓国映画から学ばなければならないこと──それは、演出や脚本のクオリティだけでなく、自らの置かれている社会状況や現実を精緻に見つめ直すことにほかならない。日本映画に足りないのは、そうした社会性だからだ。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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