河井事件で一転起訴した検察と検察審査会との微妙な関係。大岡裁きか出来レースか
河井克行元法務大臣の公職選挙法違反(買収)事件(=実刑確定=)で検察審査会(検審)が「起訴相当」と議決した被買収(買収された)側の広島県議会議員ら検察がいったん不起訴とした34人を一転して起訴した出来事。背景に「事実上の司法取引があったのでは」や「検審制度を巧みに利用したのでは」といったさまざまな推測がなされています。
対象外の「司法取引」的手法は用いられたのか
一般に公選法の買収罪は「票をカネで買う」か「票の取りまとめをカネで頼む」が王道で、選挙中には都道府県警捜査2課が内偵し、投開票日翌日に早くも動きます。河井事件は東京地検特捜部がわざわざ乗り出し、妻が出馬し当選(後に無効)した2019年7月の参院選の約1年後に逮捕・起訴されました。それだけ罪に問う証拠固めが難しい事件だったのです。
特捜が用いた手法は被買収側の地方議会議員ら100人から買収されたといった証言を得て立件。代わりに全員を不起訴(裁判にかけない)としました。
公選法は買収された側にも最大3年以下の懲役といった罰を定めており、この時点で「検察が証言を得る代わりに罪を見逃す取引をしたのではないか」との疑念が発生したのです。
嫌疑をかけられた者が他人の犯罪を明らかにする見返りに検察が起訴を見送る「日本版司法取引」は16年の刑事司法改革関連法成立で導入され18年から使えるようになりました。密室性の高い犯罪を対象とし主に「刑法の賄賂罪」「暴力団などが関与しがちな刑法の詐欺罪や組織犯罪処罰法の一部(覚醒剤・銃器など)」「財政経済犯罪(金融商品取引法違反、談合、脱税、粉飾決算など)」が該当します。
言い換えると公選法違反は対象外です。にもかかわらず闇取引したとなれば検察がほぼ独占する起訴権を濫用したと批判されても仕方ありません。
刑事司法改革関連法はそもそも検察不祥事が発端
そもそも司法取引はなぜ導入され、公選法が適用されないのはなぜでしょうか。当初から本命は「賄賂罪と暴力団」とみられていました。賄賂罪と公選法の買収の構図はよく似ているにもかかわらず。
刑事司法改革関連法は10年に発覚した郵便不正事件で大阪地検検事が証拠を改ざんするという信じがたい不祥事(これを許せば無実の人が無限に有罪となる)をきっかけに警察や検察の取り調べなどを透明化しようという動機で成立しました。その際に検察側が取り調べの録音・録画義務づけなどを呑む代わりに得た武器が司法取引。対象が主に「賄賂罪と暴力団」ならば国民の理解も得られようと。
当時、問題となった不祥事の1つが志布志事件。公選法違反容疑で起訴するも1審(鹿児島地裁)が無罪判決。検察は控訴すら断念する冤罪(ぬれぎぬ)でした。
司法取引は本質的に冤罪の温床になる危険をはらみます。自らの罪を免れるため他人にぬれぎぬを着せる「巻き込み」が十分あり得るので。志布志の件が重苦しい雰囲気を醸成しているなかで公選法を対象にするなどできない相談だったと推測されます。
「起訴相当」「不起訴不当」「起訴議決」「強制起訴」
河井事件で被買収側を「起訴相当」とした検審制度もさまざまな課題を抱えています。終戦直後から存在する裁判所の機関で検察の不起訴処分を妥当とするか判断します。11人の審査官はすべて有権者からくじで選ばれた市民で任期6カ月。約半数が3カ月で交代します。
ある意味で検察最大の権限は起訴権でなく不起訴処分。起訴されると99%有罪となる一方、不起訴は「裁判にかけない」だから「何もなかった」に等しい。天と地の差です。犯罪白書(法務省編)によると不起訴率は約7割。そのチェックを検審は任されています。
09年から検審の機能が強化されました。11人中6人が賛同すれば「不起訴不当」を、8人でより厳しい「起訴相当」を議決できるのです。どちらが出ても検察は再捜査しなければなりませんが「不起訴不当」の場合「再捜査した結果やはり不起訴だ」と決すれば確定(お仕舞い)。「起訴相当」だと再審査されまたもや「起訴相当」(=起訴議決)が下れば必ず起訴されます(=強制起訴)。
今回のケースは1回目の「起訴相当」を受けて再捜査した検察がほぼ全員を起訴し、「不起訴不当」46人は不起訴を維持してお仕舞いとしました。
一見すると検審の市民感覚が検察の不自然な不起訴処分を覆したように感じます。でも大岡裁きのごとき快挙なのでしょうか。
起訴猶予とは元来「起訴できるだけの証拠はある」
うがった見方をすれば検察は不起訴を餌に被買収側から河井被告の有罪を勝ち取る証言を得、それを覆したのは検審であって検察ではないよとの言い訳を最初から描いていた出来レースの可能性すらあるのです。
まず被買収側全員不起訴が極めて不自然であったのは前述の通り。不起訴処分には3つあって「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」。起訴猶予とは「起訴できるだけの証拠はあるけど深く反省しているなどの理由で裁判にかけない」といった「お目こぼし」「お上の情け」に類するもので今回の100人全員が該当します。
職業裁判官3人が市民6人とともに審理する裁判員制度と異なって検審は全員市民。さて何の話やらというところから始まります。検察審査会法は検審の要求があれば検察は必要な資料を出したり出席して意見を述べなければなりません。普通に考えて11人の素人は検察への資料提出や意見を求めましょう。でないと「不起訴処分の妥当性チェック」を果たしようもないですから。
今回の件で検察側は一律不起訴の判断に逆風が吹いているのを知っています。しかも起訴猶予ですから「起訴できるだけの証拠はある」わけで検審が出せといえば出すでしょう。ここに恣意が働かないと誰もいえません。
妙な誘導を避けるため法は同時に「審査」で「法律に関する専門的な知見を補う必要があると認めるとき」「弁護士」から「審査補助員を委嘱」できるとも定めています。とはいえ必ず選べという規定ではないのです。委嘱の義務は再審査の時だけ。
検察が検審に影響力を及ぼしかねないケース
検察が検審へ影響力を及ぼしかねないとの懸念は「検察の捜査ではどうしても起訴に持ち込めないので検審に強制起訴してもらう」という思惑をかなえる可能性も否定できません。
前述のように「ただの一般市民」に過ぎない11人が検察に求めた「必要な資料」を容疑が濃いものだけを選出したり意見を述べる際にクロの心象をとうとうと披露しても構いません。審査は非公開なので何がどうなっているか外部にはわからないのです。
「審査補助員」を務める弁護士は本来、中立的な役割を期待されますが弁護士が「ヤメ検」(検察官からの転身)であるのを妨げません。強制起訴は検察では起訴できなかった事案なので公判で追及する側に座るのは検事ではなく裁判所が指定する弁護士です。ゆえに結果が無罪に終わっても検察の黒星とはなりません。
過去に確定判決までたどり着いた強制起訴の結果は無罪4件、有罪2件。有罪も1つは財産刑で最も軽い「科料」9000円と軽犯罪法違反レベルで、もう1つも執行猶予つき。在宅起訴とはいえ正式裁判の刑事被告人として扱われるには釣り合いが取れないという批判もあるのです。
むしろ注目は略式起訴を蹴った者の公開の裁判経過
今回の河井事件で起訴された者のうち容疑を認めた者の大半を検察は略式起訴としました。おそらく簡易裁判所で略式命令(罰金)が確定して終了。公選法の被買収の過去例に照らせば順当なのですけど検審の「起訴相当」は正式な裁判を予定しているはずという異論も出ましょう。
むしろ注目は否認して正式起訴を選択した9人。「往生際が悪い」と地元の評判は散々なようですけど、公開の法廷で争うとなれば検察から持ち込まれた裏取引のような実態を(あったとしたら)洗いざらいぶちまけてくれるかもしれません。今後のなりゆきに注目したいところです。