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重複立候補禁止で大騒ぎする「裏金議員」からわかる「比例代表並立制」の重大な欠陥を逐次考察

坂東太郎十文字学園女子大学非常勤講師
「自民党」と書けるのか(写真:アフロ)

 石破茂首相(自民党総裁)が衆議院を解散し、15日公示、27日投開票の総選挙が事実上スタート。これに先立って、いわゆる「裏金議員」の多く(約50人)を比例代表での重複立候補を認めないとしたのに対して対象議員を中心に恨み節が聞こえています。

 非公認にされたならばともかく公認は受けられるのだから重複がダメで何でまた騒ぐのでしょうか。裏金議員がズラリと名を連ねている自民党名簿を前にしたら同党支持者でも「自民党」と書く手が震えるでしょうから当然の措置ともいえます。

 背景に「小選挙区の立候補者は選挙区で勝て」という当たり前が緩んで比例での救済を充てにする緩さが垣間見えそうです。そもそも「重複立候補」という制度に当初から疑念がありました。制度の欠陥を顧みつつ考察していきます。

複雑怪奇で面倒くさい制度

 そもそも小選挙区比例代表並立制とは衆議院議員定数465人のうち289人(約62%)を小選挙区から、176人(約38%)を比例区から選出する仕組みで1996年総選挙から導入されました。

 うち小選挙区は比較的わかりやすい。有権者は立候補者の1人を選んで名前を書いて投票し、その選挙区の最多得票者1人だけが当選です。

 対して比例の方は複雑怪奇。以下に略述しますが、面倒くさいと思われたら飛ばして下さって構いません。なぜなら本稿の目的が「面倒くさい制度である」と伝いたいからです。

1)全国を単独でも都道府県別でもなく11のブロック(=比例区)に分ける。

2)各党が作る候補者名簿には順位が付されている。

3)有権者は政党名を書いて投票する。

4)名簿には比例区のみの(=小選挙区に出ない)単独立候補がいてもいい。

 開票時、各党の獲得議席数はドント式で決まり、名簿上位者から当選していきます。「ドント式」もまた説明が長くなるほど面倒で今回は略。

重複立候補・同一順位・惜敗率・復活当選

 さて今回の出来事と直結するのが以下の点。

1)小選挙区との重複立候補が認められる。つまりある選挙区で立候補したのと同一人物が比例の名簿にも名を連ねられる(=「重複」)。

2)重複立候補者に限って同一順位に並べられる。順位はどこでもいい。

 つまり名簿1位(最初に当選する)にズラッと小選挙区の立候補者名が並んでも構わないのです。1位は最初の当選者。でも横並びに複数人いる。では誰が選ばれるかというと

1)小選挙区の当選者はそちらが優先。名簿に載っていても「いなかったこと」となる。

2)比例当選の優先順位は小選挙区の落選者で惜敗率つまり「惜しい落選」順となる。その落選者がいた選挙区の当選者の票が分母、落選者の票を分子として100%に近い順から優先される。こうした「小選挙区落選・比例区当選」を俗に「復活当選」と呼ぶ。

落選者が当選する制度

 端的にいえば「落選者が当選する制度」です。この辺から日本語としてどうなのかという気配が漂います。

 2票制なのに政党名を書いた、というか書くしかない比例で選ばれるのがもう1票(小選挙区)の結果(=惜敗率)というのも奇妙。有権者が「この人を比例で当選させたい」という選択ができないからです。

 11ブロックのうち北海道と東京は都道府県と一致し、後は近隣の府県をまとめます。天気予報などで比較的身近なまとまり。反対にいえば身近の権化ともいえる小選挙区とあまり違いません。としたら何で二重の制度が必要なのかと疑問視されるのです。

当落は本来「率」でなく「数」であるべき

 惜敗率での当落を制度設計の際は「死票」を復活させると説明されていました。例えば小選挙区で一騎打ちとなって「51対49」となれば「49」が死票です。惜敗率は「49÷51=約96%」と極めて高くなるため比例復活が可能になると。

 でも選挙の当落は本来「率」でなく「数」であるべきでは。「率」を採用したため「数」(得票数)が勝っていても劣後して落選するのが当たり前に起きています。

 なお法的には小選挙区当選と比例復活で身分の差はまったく生じません。同一の権限を持つ衆議院議員です。

投票率は現行制度の上限が中選挙区時代の下限

 こうした矛盾を内包する「復活当選ありの比例区」から約38%も選ばれる現行制度が「ゲームとしての選挙」を大いに興ざめさせる要因になっているとも推測できます。

 現に1選挙区から原則3~5人を選んでいた中選挙区制時代(1947年~93年)の投票率は上限が7割超えで下限が6割後半であったのに対して現行制度(96年~)だと上限が6割後半で下限が5割台。大いに盛り上がった記憶のある郵政選挙(2005年)も政権交代選挙(09年)も6割後半と中選挙区時代の下限と同程度でした。

 中選挙区時代は「それで100%選出」の1票制。5人の当選枠ならば中小政党の支持者でも「票を投じたら5番目までには滑り込めるかも」と期待でき、さまざまな組み合わせが想定可能であったのに比して小選挙区は直近でみると自力で当選できるのは自民と立憲民主と「大阪を中心とした日本維新の会」ぐらい。後はほぼ「自民が候補を出さない公明」と「立憲が候補を立てない国民民主」とアスタリスク付きの当選となっています。

野党多弱の理由も比例区から推察できる

 小選挙区への移行は「民意の集約」を目的とするともうたわれたのです。2大政党制を招来して政権交代可能な政治になると。なるほど1回だけ民主党が圧勝して政権が交代したものの後は与党(自公)が圧倒し、野党は多弱のまま。その理由も比例区から推察できます。

 前提として与党は「首相の味方」で結束しているに対して野党とは「首相の味方以外」の補集合に過ぎません。与党が「リンゴだ」とすればリンゴ以外にあり得ないところ野党は「リンゴ以外」で「ミカンだ」「ブドウだ」「バナナだ」とバラバラ。そこに小選挙区の結果が相互乗り入れする比例を設けたら選挙区敗北を織り込み済みで最初から比例復活を狙うという戦法が奏功して比例狙いの立候補者が乱立しやすいのです。

「死刑宣告だ」と怨嗟の声を上げる情けなさ

 とはいえ小選挙区に出た以上は「そこで勝つ」が第一であるはず。現行制度初の96年総選挙で比例復活した自民党議員の感想は「墓場の中からよみがえった」「とてもバンザイしようという気持ちになれない」「感激は半分だ」など到底手放しで喜べないというものでした。

 他にも小選挙区勝者が欠けて実施される補欠選挙で比例復活議員が立候補するのをよしとしない風潮もあったのです。「(比例復活とはいえ)衆議院議員を辞職して衆議院議員補欠選挙に出るのはおかしい」と。

 ところが昨今は、そうした「たしなみ」さえ失せています。補欠選挙で「おかしい」どころか「最強の対抗馬」として比例復活議員が辞職して立候補するのは最早「当然」といった感覚。

 総選挙でも比例1位か、それに準じる上位で重複立候補者を並べて恥じない様相を呈しているのです。かつて復活当選を「墓場の中からよみがえった」と評した先輩と比べて今回の裏金議員の比例重複禁止を受けて「死刑宣告だ」と怨嗟の声を上げるとは少々情けないのではないでしょうか。

「カネがかかる」「自民が勝ち続ける」も変わらない

 中選挙区制は「カネがかかる」も難点とされていました。でも裏金議員が続出する自体、現行制度でも「カネがかかる」のです。

 制度移行の際に比例区並立案以外にも100%小選挙区だけで選出する「単純小選挙区制」も模索されました。野党を中心に「それだと永遠に自民が勝ち続ける」と批判されて撤回されたのですが、結局は自民中心の政権が09年選挙以外で続いている以上、説得力がありません。むしろ単純小選挙区制の方が野党一本化を誘導しそう。比例区制度は廃止するか、それが極端というならば、せめて抜本的に見直す時期にあると今回の自民党の混乱を見るにつけて感じざるを得ないのです。

十文字学園女子大学非常勤講師

十文字学園女子大学非常勤講師。毎日新聞記者などを経て現在、日本ニュース時事能力検定協会監事などを務める。近著に『政治のしくみがイチからわかる本』『国際関係の基本がイチから分かる本』(いずれも日本実業出版社刊)など。

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