イスラエルの攻撃で避難を余儀なくされているレバノン人とシリア難民を支援しない欧米諸国
安全で尊厳のある自主的な難民帰還
米国、英国、フランス、ドイツの4カ国は2024年3月15日、「シリアの蜂起」(Syrian Uprising)が始まってから13年が経ったのに合わせて声明を出した。
声明では、自由と人権を求める平和的抗議デモに対して残虐な弾圧を加える「アサド体制」(シリア政府)を改めて非難、「アサド体制との関係正常化、復興への資金提供、制裁の解除については、政治的解決に向けた真に意味のある、そして持続的な進展が見られるまで、その可能性は一切ないと考えている」と表明した。
また、周辺諸国を中心として約670万人におよぶとされるシリア難民の処遇については、「国際社会が支援するシリアへの安全で尊厳のある自主的な難民帰還の条件はまだ整っておらず、我々はアサド体制に対し、すべての人々の自由、尊厳、人権を保護するために必要な改革を行うよう求める」と述べた。
米英仏独のこうした主張をなぞるかたちで、シリア内外の一部の活動家やジャーナリストのなかには、シリア難民が、政府支配地に帰還したら、逮捕、拷問、殺戮に晒されると主張し続けている者もいる。
しかし、現実は理想、あるいは夢想とは違う。難民の帰還は、安全や尊厳を条件とすることなどほとんどないからだ。
強制移住を余儀なくされるシリア難民
シリアの民間日刊紙『ワタン』は10月3日、内務省の移民旅券局筋の話として、イスラエル軍によるレバノンへの攻撃が激化した9月下旬以降、レバノンからシリアに入国した避難民の数が約269,000人に達していると伝えた。内訳は、レバノン人が72,000人、シリア人が197,000人だという。
避難民は、イスラエル軍が9月23日、レバノンのヒズブッラーに対する「北の矢」作戦を開始したのを受けて、増加を始めた。10月1日には「限定的、局地的、標的を絞った」としながらもレバノン領内に地上部隊を侵攻させると、10月2日の1日だけで、レバノン人5,000人、シリア人14,400人がシリアに入国した。
レバノンにはどのくらいのシリア人が居住・滞在していたのか、正確な数値を得ることはできない。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、レバノンには150万人あまりのシリア難民(うち難民認定されているのは約81万5000人)が暮らしているとされる。だが、それ以外にもレバノンには、13万5000人と推計される出稼ぎ労働者、さらにはビジネスマン、学生なども暮らしているからだ。
それゆえ、9月下旬以降、レバノンから帰国したシリア人の身分を特定することは困難であり、そのことを可能とする公式データもない。だが、帰還した約197,000人のなかに、我々が一般的に難民とみなしている人々、すなわちシリア内戦での戦火、暴力、抑圧を避けてレバノンに「強制移住者」(forced migrants)が含まれていることだけは、疑う余地がない。
北・東シリア地域民主自治局への帰還
このことは、シリア政府の支配地を経由して、クルド民族主義組織の民主統一党(PYD)が主導する自治政体の北・東シリア地域民主自治局によって支配されている地域や、トルコの占領下にある地域に帰還したシリア人が少なからずいることを見れば明らかだ。なぜなら、こうしたいわゆるクロス・ライン(境界経由)での移動は、限定的なものに限られていたからだ。
PYDに近いハーワール通信(ANHA)は10月3日、イスラエル軍のレバノン攻撃激化を受けて帰国したシリア人避難民のうち、北・東シリア地域民主自治局の支配地出身者らが、自治局とシリア政府支配地を隔てるアレッポ県のアブー・カフフ村の通行所を経由して、自治局支配地に帰還していると伝えた。
帰還したシリア人の1人、ハッジー・イーサー・ジャースィム氏は、ANHAの取材に対して、滞在していたベイルート南部郊外(ダーヒヤ)から北・東シリア地域民主自治局支配下のハイヤ村(マンビジュ市近郊)に帰還するまでに5日もかかったと振り返った。
また、ベイルートのバスタ地区に住んでいたというアンマール・タルハ氏は、シリアへの入国に際して、兵役忌避を問われないためだとして、当局に70万シリア・ポンド(約7,000円)を支払わさられたと証言した。タルハ氏は、自治局支配地に入るのは容易で、何の障害もなかったと付言した。
2人の証言は、シリア政府の支配地から北・東シリア地域民主自治局の支配地への移動には依然として制約があることを示している。だが、タルハ氏の言葉からは、とりわけ兵役に就くことを拒み、レバノンでの滞在を余儀なくされていた若者(つまりは難民)が、嫌がらせと感じるような処遇を受けることはあっても、逮捕、拷問を受けずにシリアへの帰還を果たしたことが確認できる。
トルコ占領地への帰還
難民だったと見られるシリア人は、トルコの占領地への帰還も果たしている。
英国で活動する反体制系NGOのシリア人権監視団、反体制派系SNSの「シリア革命の咆哮者たち」によると、10月2日、レバノンから避難してきたシリア人2,000人以上が、シリア政府支配地とトルコ占領下の「ユーフラテスの盾」地域を隔てるアウン・ダーダート村の通行所に到着した。
同地の軍事、治安を委託されているシリア国民軍(シリア暫定内閣国防省所轄)の憲兵隊は、当初、「ユーフラテスの盾」地域内の市町村出身である彼らが通行所を通過することを認めない姿勢をとっていた。だが、10月3日に、通行所を開放し、彼らの帰還を認めた。
シリア人権監視団は、憲兵隊は通行所を通過する際に、1人あたり約150米ドルの「みかじめ料」を避難民に支払ったと伝えたが、それでも難民と見られるシリア人は無事に帰還を果たした。
シリアの迅速な対応
「安全で尊厳のある自主的な難民帰還の条件はまだ整っていない」はずのシリアは、レバノンからの避難民の流入に対して迅速に対応した。
シリア政府は、アサド大統領が9月24日、ムハンマド・ガーズィー・ジャラーリー内閣(23日に発足)の初閣議で、以下の通り述べ、イスラエル軍のレバノン攻撃激化に対応するよう閣僚らに指示した。
これを受け、アフマド・ダミーリーヤ保健大臣が9月25日、保健省で関係部局長らと会合を開き、レバノンへのイスラエル軍爆撃激化に伴うシリアへのレバノン人およびシリア人避難民の流入に対処するための準備状況について意見を交わした。
また、ジャラーリー首相は9月26日、レバノンからの避難民の流入に対処するため、ムハンマド・ラフムーン内務大臣、ルワイユ・ハリータ地方行政環境大臣、ダミーリーヤ保健大臣と会合を開催し、対応策を協議するとともに、ダマスカス県、ダマスカス郊外県、ヒムス県、タルトゥース県、ラタキア県の知事と、避難民への支援の方途について協議した。
さらに、9月27日には、通信郵便規制機構(SyTRA)が声明を出し、レバノンに対するイスラエル軍の攻撃激化を受けて、シリア領内に避難するレバノン人への携帯会社による携帯電話回線の販売を簡略化し、無料のインターネット・パッケージを提供することを承認したと発表した。
9月28日には、ルアイ・ハリータ地方行政環境大臣を委員長とする高等救済委員会が開催され、サマル・スィバーイー社会問題労働大臣、イマード・サーブーニー国家計画国際協力委員会委員長、外務在外省組織大会局長、シリア・アラブ赤新月社総裁、シリア開発信託最高経営責任者が出席、レバノンとの国境通行所でレバノンに対するイスラエルの攻撃激化に伴うレバノンからの避難民への対応について協議した。
そして、首相府は9月29日に声明を出し、レバノンに対するイスラエル軍の激しい爆撃が続いていることに伴う緊急事態に対応するため、両国間での国境通行所でのレバノンからの避難民のシリアへの入国を円滑化し、受け入れに適切な環境を提供するため、入国時にシリア人に対して100米ドルあるいはそれに相当する指定外貨の金額を換金することを定めて2020年の閣議決定第46号およびその修正条項の実施を29日から1週間停止すると発表していた。
筆者が10月3日に現地のインフォーマントに確認したところによると、避難民を収容する避難センター、食料、医療などのサービスは(今のところ)充分に確保されているという。これが「安全で尊厳のある自主的な難民帰還の条件はまだ整っていない」シリアの現状である。
一方、北・東シリア地域民主自治局も9月24日の声明で、シリア難民の帰還を促進するために必要な支援を行うと表明した。そして9月29日には、支配地域の出身者であることを条件にこれを受け入れると発表していた。
真摯に向き合おうとしない欧米諸国
シリア難民の帰還は「安全で尊厳のある自主的な帰還」などではない。だが、帰還を余儀なくされるという事態に対して、欧米諸国は、必ずしも真摯に向き合っているとは言えない。
米国際開発庁(USAID)は9月26日に、シリア国内の人々、シリア難民、その受け入れ国を支援するために5億3500米ドルを供与すると発表した。この支援は、トルコの占領地、米軍が部隊を駐留させている北・東シリア地域民主自治局の支配地、そしていまだレバノンからの避難民を1人も受け入れていない「シリア革命」の牙城とされるシリア北西部のシャーム解放機構の支配地に振り分けられることはあっても、レバノン人避難民、そしてほとんどの帰還シリア人が受益者となることはない。シリア政府の支配地に逃れたからだ。
欧米諸国は、イスラエル軍の攻撃による被害者でさえも政治的カラーで分類し、自らにとって好ましくない避難民、難民には支援はしないのである。