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イスラエルの攻撃で増加する「多重難民」のシリア人やパレスチナ人に無関心でいられる欧米諸国のアジェンダ

青山弘之東京外国語大学 教授
(写真:ロイター/アフロ)

日本では10月29日、イスラエルの議会(クネセト)がUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の国内での活動を禁止する法案を可決し、ガザ地区での支援に大きな影響が出ることが懸念されるというニュースが各メディアによって報じられた。

欧米諸国のアジェンダの産物としてのパレスチナ、イスラエル

昨年10月のハマースによる「アクサー大洪水」作戦に端を発した紛争では、ガザ地区での戦闘や人道被害に注目が集まっている。だが、この紛争をガザ地区、あるいはパレスチナだけの問題として矮小化して捉えることが、イスラエルを後援する欧米諸国のアジェンダに囚われていることを意味するという認識は広く共有されてはいない。

英国とフランスは第一次世界大戦の戦後処理のなかで、オスマン帝国の領土だったシャーム諸州(あるいは「歴史的シリア」)を、パレスチナ、トランスヨルダン、レバノン、シリアといった委任統治領に分割し、同地での自発的な国家建設、国民建設に向けた動きを断ち切った。そして、このなかのパレスチナに、第二次大戦後、米国と英国が後ろ盾となってイスラエルが建国された。

パレスチナ(いわゆる「歴史的パレスチナ」)、あるいはパレスチナ人に対するイスラエルの占領や人権侵害への批判的立場は、イスラエルを後押ししてきた欧米諸国に対する反抗という側面を持つ。しかし、パレスチナを、それ以外の周辺諸国と切り離すことは、「歴史的シリア」を分断し、これを従属させようとしてきた欧米諸国の対中東政策に沿った思考だということもできる。

注目されなかったUNRWAのレポート

そのことを再認識させたのが、日本では注目されることのなかった10月28日のUNRWAのレポート(Report #8)だった。

このレポートは、9月23日に激化したイスラエル軍によるレバノンへの攻撃によって急増しているレバノンからシリアへの避難民のうち、パレスチナ人(パレスチナ難民)に焦点をあてたものだ。

10月24日から10月27日の情報をもとに作成されたレポートによると、レバノンからシリアへの避難者の推計は440,000人で(UNHCR(国連難民高等弁務官事務所) Flash Update #18、2024年10月25日)、うち10月27日までにUNRWAのシリア事務所に支援を求めてきたパレスチナ難民は904世帯(約4,500人)に上った。実際にはこれよりも多いパレスチナ難民が避難を余儀なくされていることが推測されるという。

レポートのインフォグラフィックスによると、904世帯のうち、731世帯は首都ダマスカス一帯(ダマスカス県、ダマスカス郊外県)、52世帯が南部(ダルアー県)、72世帯が中部・沿岸部(ヒムス県、ハマー県、ラタキア県)、49世帯が北部(アレッポ県)に入ったとされている。

UNRWAホームページより
UNRWAホームページより

UNRWAはまた、レポートのなかで、シリア国内の各地にある避難施設で暮らすパレスチナ難民のニーズを把握し、これに対応するため、シリア政府の監督のもと、当局と引き続き連携を図っているとしたうえで、詳細なデータを収集し、新規避難者の緊急ニーズを評価するために実施したアンケート調査の結果についても紹介している。

このアンケート調査には10月27日現在で、733世帯(2,197人)が回答しており、回答者の77%以上は女性と子供、1%は障碍者で、その大半は人口密集地に避難し、親戚や友人のもとに身を寄せているという。

調査結果によると、回答者のうち、56%がシリア内戦に際してレバノンに避難していた元シリア在住者で、94%がレバノンでの治安状況の悪化をシリアへの帰還の主な理由としてあげていた。また約90%が家族とともに帰還、約80%がレバノンに避難する前に住んでいたシリア国内の居住地に帰還している。

シリアには、UNRWAが管理するジャルマーナー・キャンプ(ダマスカス郊外県ジャルマーナー市)、カブル・スィット・キャンプ(同サイイダ・ザイナブ町近郊)、サビーナ・キャンプ(同サビーナ町)、ハーン・ドゥンヌーン・キャンプ(同ハーン・ドゥンヌーン町)、ハーン・シーフ・キャンプ(同ハーン・シーフ町)、ヒムス・キャンプ(ヒムス県ヒムス市バーブ・アムル地区近く)、ダルアー・キャンプ(ダルアー県ダルアー市ダルアー・バラド地区近く)、ハマー・キャンプ(ハマー県ハマー市クスール地区)、難民キャンプとして認定されていないヤルムーク・キャンプ(ダマスカス県ヤルムーク区)、ラタキア・キャンプ(ラタキア県ラタキア市南ラムル地区)、アイン・タッル・キャンプ(別名ハンダラート・キャンプ、アレッポ県アレッポ市郊外)があり、彼らの多くはこれらのキャンプに帰還していると思われる。

イスラエルの占領によって難民となったパレスチナ人がシリア内戦の混乱を避けてレバノンに避難、そして今度はイスラエルのレバノン攻撃によって再びシリアに帰還するという「三重難民」、あるいは占領、内戦、攻撃ごとの避難回数が複数回に及んでいれば「多重難民」としての苦難を強いられているのである。

UNRWAが行ったアンケート調査によると、ほとんどの回答者が現在、友人や親族に住まいや基本的な生活支援を頼っているため、シリアへの持続可能な帰還を実現するためには物質的な支援の提供が不可欠で、多くの回答者がシリアで損傷を受けた自宅の修繕支援も求めているという。

UNRWAは10月14日にもレポート(Situation Report 4)を発表し、イスラエルの攻撃激化を受けてレバノンからシリアに避難したパレスチナ難民の現状について明らかにしていた。

それによると、レバノンで暮らしているパレスチナ難民約264,000人のうち、481世帯(約2,400人)が10月13日までにUNRWAのシリア事務所に支援を求めていた。また、レポートのなかで紹介された訪問調査やアンケート調査によると、回答者の98%がマットレス、毛布、衣類などの非食糧品(NFI)を火急に必要としており、98%が食料を、91%が衛生用品を、79%が衣類を、36%が赤ちゃん用の物資を必要としていた。

ガザ地区以外の現実への無関心

なお、上述の通り、レバノンからシリアに避難していた避難民はUNRWAの発表(10月25日)によると、440,000人に達している。そのうち、シリア人が約71%(312,400人)、レバノン人が約29%(127,600人)を占めているという。

UNHCRによると、レバノンには1,500,000人あまりのシリア難民(うち難民認定されているのは約815,000人)が暮らしているとされ、それ以外にも135,000人と推計される出稼ぎ労働者、さらにはビジネスマン、学生なども暮らしていた。約71%とされるシリア人のなかには、当然のことながらシリア内戦の戦火を避けるためにレバノンに身を寄せていたシリア難民も多く含まれており、彼らもまた「二重難民」、さらには「多重難民」としての苦難に苛まれている。

シリア難民の帰還に関して、欧米諸国は「シリアへの安全で尊厳のある自主的な難民帰還の条件はまだ整っていない」との姿勢を崩しておらず、現在もシリアへの経済制裁を続けている。シリアで「二重難民」となることを余儀なくされているシリア人だけでなく、「三重難民」、さらには「多重難民」としての苦渋を経験しているパレスチナ人への無関心の根底には、シリアでの体制転換の試みが失敗に終わった現実から目を背けようとする政治姿勢がある。そして、それを認識できないことは、ガザ地区の惨状を周辺諸国から切り離そうとする欧米諸国のアジェンダに乗っかってしまっているからだとも言えるのである。

日本の外務省は10月29日、レバノンから多くの難民・避難民が流入する隣国シリアに対して、人道支援として1,000万米ドル(約15.3億円)の緊急無償資金協力を行うと発表した。UNHCR、WFPなどを通じ、一時避難施設や食料の支援に充てられるという。これに対して、欧米諸国の政府にこうした英断を期待することはできない。

また、日本であれ、欧米諸国であれ、ガザ地区のパレスチナ人との連帯を表明し、イスラエルの非道を追及しようとするデモや声明、シンポジウムなどが多く見られる。しかし、こうした抗議の動きが、レバノンの惨状、さらにはシリアの惨状をめぐってほとんど提起されないという現実もまた、欧米諸国のアジェンダに囚われていることの表れなのかもしれない。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリアの友ネットワーク@Japan(シリとも、旧サダーカ・イニシアチブ https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』など。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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