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イスラエルが支援していた「シリア革命」の活動家(ゴランの騎士旅団総司令官)がベネズエラで殺害される

青山弘之東京外国語大学 教授
X (@SyriawatanNews)、2018年7月22日

トルコを拠点とする反体制派系メディア・サイトのイナブ・バラディーは11月19日、シリア南部のクナイトラ県を拠点としていた反体制武装集団の一つ、ゴランの騎士旅団の創設者・総司令官だったマアーッズ・ナッサールが移住先のベネズエラの職場で何者かに殺害されたと伝えた。

同サイトの特派員が伝えたところによると、クナイトラ県のジュバーター・ハシャブ村の複数のモスクが、マアーッズ・ナッサールの死去を告知し、葬儀の祈りを行うよう呼びかけたという。

殺害の首謀者や動機は明らかではない。

X (@SyriawatanNews)、2018年7月22日
X (@SyriawatanNews)、2018年7月22日

ゴランの騎士旅団

ゴランの騎士旅団は、2014年10月10日に、イスラエル占領下のゴラン高原に隣接するクナイトラ県の兵力引き離し地域(AOS)内のジュバーター・ハシャブ村を本拠地として結成された自由シリア軍諸派の一つだった。300~1,000人の戦闘員から構成されていたこの組織は、そもそもは「シリア革命」を成就すべく、シリアでの自由、尊厳、民主主義の実現、体制打倒をめざしていたに違いない。だが、活動を継続するなかで、AOSで活動する他の反体制組織や活動家とともに、シリアにとって生来の敵であるイスラエルの支援を受けるようになった。このことは、米『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が2017年6月18日に報じるなど、一部で知られていた事実だった。米国を拠点とするシリア関連のニュース・サイトのステップ・エージェンシーも2018年2月22日、このゴランの騎士旅団が、イスラエルの支援を受けて「ラフマ・パン製造所」を建設したことを批判的に報じていた。だが、シリア内戦、あるいは「アラブの春」を悪の独裁vs.正義の市民の闘争と捉えようとするステレオタイプが、長らく(そしておそらく今も)この事実を覆い隠してきた。

「安全地帯」構想

ゴランの騎士旅団が活動を始めた2010年代半ば、AOSを含むイスラエルとの境界地域のほとんどは、「シリアのアル=カーイダ」として知られる国際テロ組織のシャームの民のヌスラ戦線(現シャーム解放機構)などの反体制諸派や、イスラーム国に忠誠を誓った組織の支配下にあった。シリア政府は、AOS内のバアス市、ハーン・アルナバ市、ハドル市などを維持するのみだった。

2017年5月になると、こうした状況を打開するため、レバノンのヒズブッラー、そして「イランの民兵」諸派が中心となり反転攻勢を強めていった。これに対して、イスラエルも、シリア軍や「イランの民兵」の陣地への爆撃・砲撃を激化させ、対抗した。

これと合わせて、イスラエルは、米国、ロシアに働きかけ、シリア側の停戦ライン(Bライン)以西の幅40キロの地域に「安全地帯」を設置し、同地から「イランの民兵」を撤退させることを企図した。

The Intercept、2018年1月23日
The Intercept、2018年1月23日

この経緯について、米『インターセプト』紙は2018年1月23日、詳細に伝えていたが、その内容はイスラエル(そして米国)とシリアの反体制派の密接なつながりを示すものだった。

同紙によると、この「安全地帯」は、イスラエル占領下のゴラン高原からクナイトラ県、ダルアー県の奥地を網羅かたちで想定されており、イスラエルで活動する米国(Israeli-Amerian)のNGOがその設置に直接関与していた。イスラエルは、この「安全地帯」を設置するための第1段階として、2016年から人道支援団体や武装集団関係者を通じて、反体制派が支配する地域へのアクセス経路を確保、その見返りとして、反体制派に武器・兵站の支援、生活必需品の供給、そしてイスラエル国内での医療提供を行った。

イスラエルは続いて2017年夏から「第2段階」として、反体制派約500人を教練、これを「国境警備隊」として編成し、指揮所をクナイトラ県のビイル・アジャム村、ハミーディーヤ村、クナイトラ市に設置、ドゥルーズ派が多く住むハドル村から、当時反体制派の支配下にあったジャバーター・ハシャブ村に至る地域に配置しようとした。また、これと並行して、反体制派の指導者、市民社会組織の指導者、NGO、保健関係者らに「安全地帯」での教育、保健、農業などのプロジェクトに携わらせようとした。

『インターセプト』によると、イスラエル軍は、「安全地帯」設置に向けた取り組みの一環として、2017年7月にシリア南部に代表団を派遣、当時米国とヨルダンが支援していた自由シリア軍諸派であるジャイドゥール旅団、アバービール軍、そしてゴランの騎士旅団の司令官らと会談を行った。

イスラエル軍はまた、2017年9月にもシリア南部に代表団を派遣、クナイトラ県のラフィーダ村で開催された会合では、ジャイドゥール旅団、ゴランの騎士旅団、シリア革命家戦線などの地元の武装集団の司令官、宗教団体や医療団体の関係者らと会談し、資金や武器の供与などにおけるさらなる協力について議論を行った。

阻止された現状変更

2018年に入ると、緊張は高まりを見せた。イスラエル軍の爆撃が続くなか、2月10日には、シリア軍が中部ヒムス県のT4航空基地を爆撃しようとしたイスラエル軍のF-16戦闘機を撃墜した。イスラエル軍戦闘機が撃墜されたのは36年ぶりのことだった。また、5月10日には、イラン・イスラーム革命防衛隊ゴドス軍団が占領下ゴラン高原のイスラエル軍前哨地を狙って多数のロケット弾を発射した。

こうした攻撃は、イスラエルからの報復を招いた。だが、最終的には、ロシア軍の支援を受けるシリア軍が優勢となり、「世紀の取引」と称されるロシア、米国、シリア政府、イスラエル、さらにはトルコ、イラン、シリアのクルド民族主義勢力による大掛かりな取引を経て、シリア南部は2018年7月にシリア政府の支配下に復帰した。「安全地帯」設置によって、1973年の第四次中東戦争の結果固定化されたゴラン高原の占領、AOSの設置という現状変更は阻止された。

反体制派のその後

シリア軍がシリア南部を奪還したことを受け、反体制派の一部はシリア政府との和解に応じた。また、これを拒否する者は、シャーム解放機構の支配下にある「シリア革命」最後の牙城のイドリブ県方面に退去した。

イスラエルを脱出先に選んだ組織や個人もいた。ホワイト・ヘルメットは、2018年7月22日に欧米諸国の要請を受けたイスラエル軍による作戦によって、AOSで活動していたメンバーと家族が救出された。彼らはヨルダンに移送され後、カナダなどに移住していった。

マアーッズ・ナッサールもイスラエルへの脱出を選んだ。彼は、家族、そしてゴランの騎士旅団の司令官の1人であるハーリド・ナッサール(通称アブー・ラーティブ)、シャームの剣旅団のアフマド・ナハス司令官、アバービール軍のアラー・ハルキー司令官らとともにイスラエルに脱出した。

反体制系サイトのナブドは2019年10月4日ザマーン・ワスルは2019年10月5日、ハーリド・ナッサールがシリア政府との和解を目的にイスラエルからシリアに潜入したと伝えたが、シリア政府の同意を得ることはできなかった。イスラエル国籍を取得する選択肢もあったとされているが、マアーッズ・ナッサールはこれを拒否、2020年にベネズエラに渡った。そして、11月19日に移住先のベネズエラで命を落とした。

なお、ゴランの騎士旅団のメンバーらは、マアーッズ・ナッサールらがイスラエルに脱出後もシリア領内にとどまり、シリア政府との和解、AOSでの活動を許され、現在に至っている。

アラブ・イスラエル紛争とシリア内戦――二つの紛争のいずれの当事者にも、正義があり、悪がある。しかし、これら二つが連鎖しているという歴史的な事実のなかで、彼らが主唱する正義は相対的なものに過ぎず、時には自らの祖国への裏切りをも正当化するのである。

東京外国語大学 教授

1968年東京生まれ。東京外国語大学教授。東京外国語大学卒。一橋大学大学院にて博士号取得。シリアの友ネットワーク@Japan(シリとも、旧サダーカ・イニシアチブ https://sites.google.com/view/sadaqainitiative70)代表。シリアのダマスカス・フランス・アラブ研究所共同研究員、JETROアジア経済研究所研究員を経て現職。専門は現代東アラブ地域の政治、思想、歴史。著書に『混迷するシリア』、『シリア情勢』、『膠着するシリア』、『ロシアとシリア』など。ウェブサイト「シリア・アラブの春顛末記」(http://syriaarabspring.info/)を運営。

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