加害者の謝罪と誠意が、交通事故遺族の心を動かすとき
■事故から1年3か月後、加害者が初めて自宅に来訪
2022年5月18日、午後2時半。約束の時間ぴったりに、チャイムの音が鳴りました。
「ごめんください。Bと申します……」
平井沙紀さん(46)は、少し緊張したようすで玄関のドアを開けると、
「はじめまして。どうぞおあがりください」
そう言って、Bさん(55)を自宅に招き入れました。
黒の喪服に身を包んだBさんは、靴を脱ぐ前に深々と頭を下げると、
「この度は大変申し訳ありませんでした……」
と、沈痛な面持ちで謝罪の言葉を述べ、涙を流さんばかりの表情で、何度も頭を下げました。手にはしっかりと数珠が握られています。
この日、私は弁護士の崎山有紀子氏とともに、熊本県天草市の平井さんの自宅を訪れていました。
事故から1年3か月、平井さんが息子の直哉さん(当時21)を失ってから初めて、加害者の一人であるBさんと顔を合わせるということで、一緒に立ち会うことになったのです。
部屋の中に迎え入れられたBさんは、直哉さんの遺骨が置かれた祭壇の前に正座し、遺影をじっと見つめます。そして、線香を手向け、静かに手を合わせると、もう一度深々と頭を下げました。
「事故以来、一日も早くお詫びとお参りに伺いたいと思い続けていたのですが、今日、ようやくその日を迎えることができました。本当に遅くなって申し訳ありませんでした……」
そう語るBさんのとつとつとした口調に、嘘や偽りは感じられず、私たちは「すべて隠さずお話ししたい」というその言葉に耳を傾けることになったのです。
■第1事故の救護中に起こった第2事故
本件については以前、『救護中、他車にひかれて2人死亡 後続車に危険知らせる大切さと母の無念- 個人 - Yahoo!ニュース』で取り上げました。
事故は2021年2月11日、午後8時15分頃、熊本県天草市本渡町の小松原交差点で発生しました。
この日、現場交差点の前にある牛丼チェーン店でアルバイトを終えた平井直哉さんは、自宅に帰るため青信号に従って横断歩道を渡っていました。そのとき、右折してきた軽乗用車が、直哉さんを見落として衝突したのです。
軽乗用車を運転していたAさん(当時60)は、事故後、すぐにハザードランプを点けて自車を牛丼店の前に停め、交差点の中央に倒れていた直哉さんに駆け寄りました。
ところが、Aさんが直哉さんを救護中、今度は青信号で交差点に進入してきたBさんの軽ワゴン車が、ノーブレーキで2人をはねたのです。
Aさんはその衝撃ではね飛ばされ、直哉さんは軽ワゴン車の下に巻き込まれるかたちで数メートル引きずられました。
以下の動画は、現場交差点で事故状況を説明する平井さんです。
2人はすぐに救急病院へ搬送されましたが、いずれも間もなく死亡が確認され、軽ワゴン車を運転していたBさん(当時54)は、自動車運転処罰法違反の疑いで現行犯逮捕されました。
第2事故が起こったのは、Aさんが起こした第1事故から1分23秒後のことでした。
平井さんは以前、私にこう語っていました。
「Aさんの車のドライブレコーダーに残っていた動画を、検察で見せてもらいました。そこには、青信号に従って横断歩道を歩く直哉の最後の姿が映っていました。右折車に衝突された直哉は道路に転倒したものの、その時点では命に別状はなかったようです。それだけに、Bさんが前方さえしっかり見てくれていれば……、そう思うと悔しいんです」
平井さんは刑事裁判で真実が明らかにされることを望んでいましたが、事故から1年後、熊本地検天草支部はBさんを不起訴処分としました。
『なぜ、交差点の真ん中にいる2人にまったく気がつかなかったのか……』
平井さんはその理由がわかりませんでした。
■遺族に誠心誠意向き合った加害者
事故後、一度の連絡もなかったBさんから、損保会社を通して「ご遺族のお宅を訪問し、謝罪とお参りをさせていただきたい」という連絡が入ったのは、それから3か月後のことでした。
『事故から1年3か月も経って、今さら……』
平井さんは、戸惑いました。しかし、その申し入れを受けることを決意し、この日初めてBさんと対面することになったのです。
平井さんは、まずこう切り出しました。
「事故が起こったときの状況を教えていただけますか」
Bさんはまっすぐな目を向けて、こう答えます。
「はい。1台の車(*事故を起こしたAさんの車)がハザードをつけて牛丼店の前に停まっていることには気づいていたんですが、私はその車が店に入ろうとしているんだと思っていました。道路上に人がいることには、なぜか直前までまったく気づかず、衝突の寸前に、ぱっと目の前に現れたという感じで、ブレーキが間に合いませんでした。本当に、どうしてぎりぎりまで視界に入らなかったのか、わからないんです……」
平井さんの質問はさらに続きます。
「事故のとき、ながらスマホなどはしていませんでしたか?」
「いえ、それだけはしておりません。逮捕されたときに携帯電話は警察に押収されているので、警察でも調べているのではないかと……」
「ではなぜ、事故は起こったのだと思われますか」
「知人の中には、『直前に事故が起こっていたことが不運だった、あまり気を落とさないように』という慰めの言葉をかけてくれる人もいましたが、今回の事故は、あくまでも自分の前方不注意が原因です。そのためにお二人の尊い命を奪ってしまいました。責任はすべて自分にあると思っております。本当に申し訳ありませんでした」
「今、お仕事はどうされていますか?」
「はい、軽トラックを所有して、個人で運送業をしていましたが、今回の事故の後、仕事はやめ、今はじっと家で処罰が下されるのを待っております……」
Bさんは一切責任転嫁することなく、こうして誠心誠意、平井さんの問いに答えたのです。
■『この人は、私より弱っているかもしれない……』
約1時間にわたって会話が交わされ、Bさんは最後にもう一度、直哉さんの遺骨に手を合わせると、
「こうしてお参りさせていただくことができ、本当にありがたかったです。少しだけ胸のつかえがおりました」
そう言って、平井さんの自宅を後にしました。
その姿を見送る平井さんの表情は、1時間前とは明らかに違っていました。
Bさんの訪問前はあれほどこわばっていたのに、同じ人とは思えないほど、とても穏やかに変化していることに私は驚きを感じました。
平井さんは言います。
「加害者も、起訴、不起訴が決まるまでは謝罪すら自由にできないという事情があるんですね。今回、Bさんと直接お会いしてよくわかりました。また、驚いたのは、Bさん本人に正しい情報がほとんど入っていないことです。不起訴になっているのに、『刑務所に行って罪を償いたい』とか、行政処分についても、『罰金は200万円くらいで、いつその知らせが来るのかを待っている』と答えていたことです」
そして、平井さんは自身の気持ちをこう表現したのです。
「なにより、私はBさんを初めて見たとき、『この人は私より弱っているかもしれない……』と感じました。それくらい、Bさんは今回の事故を悔いていることが伝わってきたのです」
■遺族も加害者も望む、納得できる真実究明
今、平井さんは検察審査会に「不起訴不当」の申し立て書を提出する準備をしています。1月末には、街頭署名をおこない、複数のメディアが報じました。現在はインターネットで署名を呼び掛けています。
<検察は目撃者の聴取を怠っていた! 横断歩道上 ノーブレーキで突っ込まれ2人死亡の事故が不起訴に! この事案について、起訴処分を求めます!>
ただ、この活動は決して加害者のBさんを厳罰に処すことが目的ではないと言います。
「実はあのあと、Bさんのご自宅にお邪魔して、もう一度お話をする機会がありました。Bさんとしても、警察や検察の捜査には疑問を感じる部分があったようで、『自分の立場でできることがあるなら、交通事故の被害者や遺族を支援していく活動のお手伝いさせていただきたいです』とも言ってくださいました。それを聞いたとき、事故の真相を明らかにしようとしない捜査機関への不信感は被害者も加害者も同じで、結果的に双方の苦しみが続くのだと感じました。この気持ちをご理解いただくのは難しいかもしれませんが、今回の署名は、あくまでも検察に対して適正な捜査を求めるのが目的なのです」
崎山弁護士もこう語ります。
「検察審査会の審査とは、『検察官の不起訴処分の当否の審査(検察審査会法第2条第1項第1号)』です。今回の審査は、まさにこれを正面から問うものにしたいと考えています」
私は長年にわたって、数多くの交通死亡事故を取材してきましたが、今回のように、遺族と加害者が心を通わせていく場面に臨場したのは初めてのことでした。
加害者の中には、事故後、自己防衛的な虚偽証言を重ねていく人もおり、それによって多くの被害者遺族が傷つき、長い年月苦しめられています。
一方で、Bさんのように心から謝罪をし、誠意をもって遺族に接する人がいるのも事実です。
残念ながら2度目の面談の後、Bさん側の弁護士から、連絡を取る場合は弁護士を介してほしいと言われたため、現在、平井さんは以前のようにBさんと話すことができなくなりました。
しかし、いつの日か、遺族と加害者が手を取り合いながら、意義ある活動が実現する日が来ることを期待したいと思います。