米国流のドクターX
一匹狼の医師たち
日本で人気番組だったドクターXを、米国でもアマゾンの配信で視聴できるようなったので、ドクターXマラソンの週末を送ってしまった。ドクターXこと、フリーランスの外科医大門未知子が、大学病院の官僚的組織や派閥争いを無視して、患者の命を救うことだけをゴールに先進的な手術に挑むというドラマだ。
しかし米国で卵巣がんの手術、化学療法の治療を受けた私にとっては、医局制度や大病院で一人のスーパー医師が患者を救うといった設定が、どうもピンとこない。米国の医師はみな一匹狼でありながら、様々な分野の医療従事者が連携して治療を進めていくからだ。
全員が開業医
例えば私の住むテキサス州をはじめいくつかの州では、原則として医師はみな開業医である。病院と直接的な雇用関係があると、医師が治療方針を決める際に、患者の利益優先ではなく、病院の経営利益を考慮させられる恐れがあるという考え方から、病院が医師を直接雇用することを州法で厳しく制限しているのだ。
病院が医師を雇える州でも、非営利の病院に限ったり、病院側は医師の医療的判断に介入しないという条件をつけたりする場合が多い。
また分業が徹底していて、家庭医、専門医、検査機関、病院がそれぞれ独立している。手術や検査が必要な場合は、その医師が提携している地域の病院施設や検査機関を利用するのだ。
ちょうど10年前の3月、下腹のしこりに気づいた私も、最初はかかりつけの家庭医の診療所に行った。検査機関でCT検査を受けてくるように言われ、その後、家庭医から婦人科医を紹介された。
卵巣腫瘍は大半が良性だが、手術をしてみないと診断はつかない。卵巣がんや子宮がんなどの治療は、ガイノコロジー・オンコロジスト(婦人科腫瘍医)の担当である。私を診てくれた婦人科医は卵巣がんの可能性があると判断し、婦人科腫瘍医が立会う手術を準備してくれた。
あちらこちらに行かされたわりには、最初に家庭医を訪れてから10日後には手術台にのっていたので、分業でも迅速に連携できるものだと妙に感心した記憶がある。
高度な治療施設としての病院
米国の一般的な病院は、地域の提携開業医が自分の患者の手術や検査などに利用できる開放型。病院は高度な医療機器やスタッフ、快適な治療環境を提供する施設という位置づけである。
私が手術を受けたのも住宅街の比較的小さな病院だが、女性病棟は全室個室で、バス・トイレ、冷蔵庫、テレビ、ソファーなど家具付きのちょっとしたビジネスホテルのような部屋だった。
入院中は看護師、血圧や体温などを確認する准看護師、入浴などを手伝ってくれるケア・ワーカー、病室掃除の人などが入れ替わり、立ち替わりやってきては世話をやいてくれる。食事は指定されたメニューから自分が好きなものを選んで、病院のレストランに電話でオーダーする。手術後でジュースやゼリーしか食べられなくとも、レストランのルームサービスなのだ。
もっともいくら病室が快適でも、利用料金は超高級リゾートホテル並みか、それ以上に高いので、大抵の患者は一日でも早く退院しようとする。医師や病院側も、容体が安定したら、患者は自宅に戻った方が院内感染などの恐れもなく、気持ちも安定して回復が早いという考え方のようだ。開腹手術だったにもかかわらず、私も3泊4日で這うようにして退院した。
化学療法は外来で
術中の迅速診断で悪性と判明したため、私の手術は婦人科腫瘍医にバトンタッチされた。手術の翌日、主治医として私の病室を訪れたその医師は、ビデオで見た大門未知子とはかなり違う、背の低いラテン系の陽気なおじさんだった。
私の顔を覗き込むように、「がんが見つかったけど、お腹の中をこの目でよーく見て、見える部分は全部とったよ。あとは私の診療所で、外来で化学療法をしよう。化学療法専門の優秀な看護師もいるから心配いらないよ。じゃ、退院したら診療所で待っているからね、大丈夫だよ、ベイビー」と言って、軽い足取りで帰っていった。
最近は日本でも外来で化学療法を受ける事例が増えたようだが、10年前はほぼ入院が必要だったのではないだろうか。当時は私も、化学療法は入院して、吐き気と戦いながら受ける辛い治療というイメージを漠然と抱いていたので、入院設備もない小さな診療所での外来と聞いて驚いた。
私が受けた卵巣がんの化学療法は、抗がん剤の静脈投与と腹腔内投与を2週続けて行い、3週目はお休み。これを6セット繰り返すというスケジュール。5カ月近くも自宅のベッドで、ほぼ寝たきり生活になるのかと暗くなった。
しかし予想に反して、主治医からは「化学療法中だからやってはいけないことという制限はない。無理は禁物だけど、運動でも、旅行でも、仕事でも、自分でできると思うことは何をやってもいい。食べたいものは何でも食べて、体力を落とさないようにね」と告げられた。
頼もしい看護師
治療に入る前に、化学療法専門の看護師(ケモナース)が、薬の説明や注意事項、治療の流れ、予想される副作用とその対策をこと細かに説明してくれた。信頼できる医療情報が得られるウェブサイト、がんサポートグループ連絡先などの資料もどっさりくれて、わからないことや不安なことは気軽に相談してほしいと、何度も言われた。
ケモナースが見守る中、おっかなびっくり始めた抗がん剤治療だったが、副作用対策が効いて吐き気に悩まされることは一度もなかった。
おまけに私の点滴治療は1日がかりだったので、昼食サービス付き。お昼時になると看護師が近所のレストランのメニューを持ってあらわれ、それぞれ患者がオーダーしたものを買ってきてくれるのだ。
時々、茶目っ気のある主治医が治療室に顔を出しては「私のおごりだから、沢山たべなきゃ損だよ」と、ウィンクする。左腕に抗がん剤の点滴、右手には大きなハンバーガーという奇妙な組み合わせで、恐ろしい抗がん剤治療のイメージも消えていった。
もちろん髪が抜けたり、味覚が変になったり、手足がしびれたり、すぐ疲れてしまったりと、不快な副作用は次々とあらわれた。そんな時でも、沢山の患者の事例を経験し、学会でも最新情報を仕入れてくるというケモナースが頼りになる存在で、その都度、適切なアドバイスをしてくれた。
雇用先の理解もあり、化学療法中も週に数時間、自宅からデータ入力や翻訳仕事を続けることができた。副作用対策のステロイドで眠れない夜は、あれこれと病気のことを考えるより、集中できる作業があったおかげで、精神的にも安定したように思う。
がん患者用のヨガ教室では、腰に携帯型の抗がん剤のポンプをつけて参加するツワモノもいて、米国のがん患者たちのバイタリティに圧倒された。
私のドクターX
日本で育った私は、がんのような深刻な病気は、大きな病院で診てもらう必要があると思っていたが、そうではなかった。
それぞれの医師が一匹狼の開業医という米国でも、いや、むしろそういう環境だからこそ、個人事業主でもある医師は、真剣に良い医療サービスを提供しようとする。
評判が落ちれば、患者が集まらなくなるからだ。それ以前に、患者の状態が改善し、喜んでもらえれば、医師だって嬉しいのだ。
だから患者に最適な医療を提供するために、米国のドクターXたちは、最新の治療に関する知識を仕入れ、優秀な看護師やスタッフの確保にも力を入れる。
専門の細分化が進んでいるので、安心して自分の患者を預けられる他分野の専門医や医療機関の情報も収集し、必要なら同業の専門医に相談することも厭わない。患者に満足してもらうため、患者の疑問や要望にも耳を傾ける。
私に必要だったのは「権威がありそうな大きな病院」でも、大門未知子のような「一人のスーパー医師」でもなかった。
米国で私の命を救ってくれたドクターXは、迅速に専門医につないでくれた家庭医であり、周到に婦人科腫瘍医の立ち会い手術を手配してくれた婦人科医であり、婦人科腫瘍医とともに私が安全に化学療法を受けられるよう親身に面倒を見てくれた化学療法専門の看護師や多くの医療従事者たちである。