ジダン・マドリーの終焉と、横たわる「ポスト・クリスティアーノ時代」の問題と。
フットボールの世界で、監督の重要性は日を追うごとに増している。
レアル・マドリーが、今季限りでジネディーヌ・ジダン監督が退任する旨を発表した。ラウール・ゴンサレス、シャビ・アロンソ、アントニオ・コンテ...。すでに複数の後任候補の名前が挙げられている。
近年、クラブのレジェンドが監督として戻ってくるパターンは少なくない。
ジダンやアンドレア・ピルロ監督(ユヴェントス)といった指揮官たちに共通しているのは、彼らが現役時代と変わらない風貌でベンチに立っているという点だ。そこでファンはある種の錯覚を覚える。そして期待する。彼らがプレーしていた時のように、一瞬の魔法で試合の展開を劇的に変化させることを、だ。
ジダンやピルロは大衆の敬意を集める存在だった。彼らへの敬意は依然としてある。奇妙な言い回しになるが、大衆は彼らを敬いたがっている。
ここで、一つ、例を挙げたい。ホルヘ・サンパオリ監督(マルセイユ)がセビージャで指揮を執っていた時の話だ。スペインに到着した際、サンパオリはマルセロ・ビエルサ監督(リーズ)の「申し子」として期待されていた。ビエルサの系譜を継ぐと称される者たちは、多くいる。なかでも、サンパオリはその色を濃く受けているといわれていた。
実際、サンパオリはメディアに対して「ビエルサ派」であるというスタンスを明確にしていた。一方、ビエルサとの個人的な関係を問われた際には、そういったものはないと否定していた。サンパオリにとって、ビエルサは敬うべき存在だった。超えてはいけないラインが、そこにはあるように見えた。
サンパオリがビエルサに感じているものというのは、人々がジダンやピルロに感じているものと非常に似ている。
■ジダンの選手配置と起用法
ジダンやピルロが実際に現役時代の経験を生かしているのかは疑問だ。
ジダンはユヴェントスやマドリーで司令塔として活躍した。いわゆる「10番」の選手だった。ピッチ上を優雅に走り、舞うように対峙するDFを翻弄する。大柄な身体からは想像できないエレガントな振る舞い、繊細なボールタッチでピッチの中央に君臨していた。
ジダンの選手時代のハイライトは、2001-2002シーズンのチャンピオンズリーグだろう。決勝のレヴァークーゼン戦の左足のボレーシュートは、いまでもファンの間で語り草になっている。
そのマドリーでは、攻撃時にジダンやルイス・フィーゴが躍動していた。一方で、彼らの守備負担を軽減するため、クロード・マケレレが潰し役を担っていた。かように、チームバランスが保たれていた。
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■必要だったアップデート
確かに「監督」ジダンはマケレレ放出後のマドリーの弱体化から学びを得ていた。ゆえに、カゼミーロを重宝していた。
しかしながら、現代版へのアップデートを考えた時、それでは足りなかった。
ジダンは中盤を重視していた。そうであれば、肝要なのはウィングの起用法と配置だ。指揮官ジダンは最後までそれを解決できなかった。
クリスティアーノ・ロナウドが在籍している間、問題は表明化しなかった。圧倒的な決定力を誇るC・ロナウド、そして1トップに位置しながらサイドに流れてゲームメイクするカリム・ベンゼマと、全体のバランスは自ずと整えられていたからだ。
だがC・ロナウドが去ってからのマドリーはずっと同じ問題を抱えていた。ベンゼマがサイドに流れ、そこで中央に入ってくる選手がいない。
ウィングの選手に幅を取れる選手が起用されないため、マドリーの中盤の選手がスペースを確保できないという現象が度々起きた。
(マドリーのWG起用)
例えばヴィニシウス・ジュニオール、ベンゼマ、マルコ・アセンシオという3トップで、左のヴィニシウスをワイドに開かせ、右のアセンシオが中に入ってくるという形をつくる。それは突破が得意なヴィニシウス、カットインシューターのアセンシオを使いながら、攻撃のメカニズムを構築するというものだ。
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