アルプスの魔法使いに遭遇? 南仏の山間の町「タンド」を訪ねる。
前回の記事では、ニースからアルプスへと登る列車、Train des Merveilles(トラン・デ・メイヴェイユ)の車窓の風景をお届けしました。
このところ北ヨーロッパ、中国で立て続けに起こった大規模な水害の様子は、胸に詰まるものがありますが、鉄道沿線のロワイヤ谷もまた、昨年10月に水害に見舞われました。孤立してしまった村も多く、列車も長く不通が続いていたのですが、今年5月に全線再開となり、夏の太陽とともに遠来の客も戻りつつあります。
今回は、その列車の終点の街タンドをご紹介します。
アルプスの岩が先史人のキャンバス
さて、冒頭のタイトルの「魔法使い」。
いきなり種明かしをしますと、こんなご面相をしています。
上の写真で山からぬっと顔を出しているのが「魔法使い」。
これはタンドの観光案内所が発行している小冊子の表紙ですが、こんな使い方をされるほどの愛されキャラ。町おこしデザインコンペか何かで採用されたものかと思いきやさにあらず、作者は先史時代の人なのです。
タンド市街地の標高は800メートルほどですが、コミューンの面積の3分の1はメルカントゥール国立公園になっていて、2000メートル級の山々がそびえるというアルプスの大自然に抱かれた場所。この「魔法使い」をはじめ先史以来の人類が岩に刻んだ彫刻が4万点も発見されているという、フランスでもっとも広大なオープンエアの歴史遺産とされています。
実物の「魔法使い」たちが刻まれているのは、氷河によって表面がツルツルになった岩場。標高2000メートル以上のところに位置しているので、気軽にアクセスするわけにはいきませんが、タンドの観光案内所のとなりにあるMusée des Merveilles(メイヴェイユ博物館)で、それらの複製を間近に見ることができます。
彫刻のうちもっとも古いものは新石器時代。日本の歴史でいえば縄文時代ですが、当時の先住民たちに始まり、20世紀にこの場所を通過した人々の痕跡も遺されていますから、自然が作った魅力的なキャンバスに人類が何事かを刻んできた数千年の集大成といえるでしょう。
ところで20世紀の羊飼いの手とわかるのは、年号や文字がはっきり読めるからですが、先史人が刻んだものはどういう意味をもった図像なのか、推論が複数あるものの、いまだにミステリアスなまま。「魔法使い」も、後世の人が名付けたもので、いったいこれが何を示しているのかは不明です。
とはいえ、このユーモラスな図像が時を超えて魅力を持っていることは確か。21世紀のいま、土地のシンボルになっていることを、もしもこの作者が知ることができたら…、と想像してみたくなります。
塩街道の富
Train des Merveilles(トラン・デ・メイヴェイユ)は、100年以上前の山岳鉄道建設の偉業と景勝を堪能するという二重の楽しみのある列車ですが、沿線はそのまま地中海から北イタリアへ塩を運ぶ、かつての塩街道でした。
終点のタンドは、なかでも特に大きな宿場町。1947年まではイタリアだったという史実が象徴するように、この地方は時代時代の貴族や国家権力が勢力争いを続けてきた舞台です。今日では奥地ともいえるようなところを権力者たちが欲しがった理由は、街道筋でも特に重要な場所にタンドが位置していたからです。
塩街道では2000メートル級の山々が連なる南西アルプスを越えなければ、現在の北イタリア側に抜けられなかったのですが、タンド峠は標高1871メートル。一番使いたいルートでした。そこで中世の領主はこの場所に目をつけ、通行税を徴収することでどんどん豊かになっていったのです。
小山の上にそびえていた領主の城はごく一部を残すのみですが、旧市街の中心にあるコレジアル(参事会教会)を訪れれば、その豊かさを推し量ることができます。石造りの、どちらかといえば質素な色合いの町並みを歩いてきて、突如目の前に現れる鮮やかな色彩。モノクロ画像がカラーに一変したくらいの感覚です。
旧市街のメインルートはクルマが入れないくらいの狭さですが、塩を背にしたラバが行き交うには充分な幅だったのでしょう。かつてのヒトの暮らしのサイズというものを肌で感じられるような気がします。
ふとしたときに清らかな水音が聞こえてくるのもこの街の魅力です。かつての共同洗濯場や、道の脇に設けられた蛇口から絶え間なく流れる水音。それをかき消すような騒音とは無縁の家並みに今も暮らす人がいて、石垣や路地の花々が風に揺れています。
そんな数々の歴史を秘めつつ穏やかに時間が流れるタンドの街。
街歩きの様子はこちらの動画でお楽しみください。