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【南フランス】大水害からの復活。地中海からアルプスの懐へ「素晴らしき不思議の国」鉄道の旅

鈴木春恵パリ在住ジャーナリスト
Train des Merveilles(トラン・デ・メイヴェイユ)(筆者撮影)

前回記事の南仏コートダジュール、ニースから出発する、とっておきの鉄道旅をご紹介します。

南仏コートダジュールと聞けば、青い海と空、まばゆい色合いの海辺の町並みというイメージがまず浮かびますが、じつは、アルプス山脈の起点になる土地でもあるのです。

今回ご紹介する「Train des Merveilles(トラン・デ・メイヴェイユ)」は、海沿いの都市ニースからアルプスへと登ってゆく列車。標高およそ815メートルのところにある終点の町TENDE(タンド)までを2時間15分ほどでつなぎます。

アルプス山脈の南西端を登る列車の旅

列車名のMerveilles「メイヴェイユ」には、驚嘆すべきもの、素晴らしいもの、超自然的現象、というような意味がありますが、これは終点タンドの背後に広がる谷、Vallée des Merveilles(ヴァレ・デ・メイヴェイユ)から来ています。というのも、「神の山」とよばれる標高2872メートルのベゴ山を頂くこのエリアでは、氷河で磨かれてツルツルになった岩の表面に先史時代の人々が刻んだ彫刻が4万点以上も発見されていて、フランス最大級のオープンエア歴史遺産とされています。

ニース駅のホームに入線していた列車を初めて見たとき、(ずいぶん変わった模様がデザインされているなぁ)と思ったのですが、これは先史時代の彫刻作品がモチーフになっていたのでした。

フランス国鉄のニース駅。列車はここから出発する(筆者撮影)
フランス国鉄のニース駅。列車はここから出発する(筆者撮影)

ホームで出迎えてくれたガイドのルーシーさん(筆者撮影)
ホームで出迎えてくれたガイドのルーシーさん(筆者撮影)

わたしは7月上旬、本格的なヴァカンスシーズンのすこし前というタイミングでこの列車を体験することになりましたが、乗客にはフランス国内だけでなく外国からのツーリストの姿もちらほら。3両編成の列車にはこの日、ガイド役のルーシーさんが乗り込み、フランス語と英語で沿線の見どころ、歴史などをアナウンスしてくれました。

こう聞くと、観光列車と思われるかもしれませんが、じつはこの路線は地元住民の大切な足でもあるのです。列車は沿線15の駅に停まるのですが、そこには小さな村や町があり、家並みの要に教会の塔がそびえているのを見れば、この谷間で少なくとも中世の昔から続いてきた人の営みがあることが伝わってきます。

アルプスの岩山を縫うように敷かれた鉄道路線(筆者撮影)
アルプスの岩山を縫うように敷かれた鉄道路線(筆者撮影)

沿線の中ほどに位置するL'Escarène(レスカレーヌ)の町並み(筆者撮影)
沿線の中ほどに位置するL'Escarène(レスカレーヌ)の町並み(筆者撮影)

車窓からは断崖の頂に築かれた「鷲の巣村」がいくつも見える(筆者撮影)
車窓からは断崖の頂に築かれた「鷲の巣村」がいくつも見える(筆者撮影)

かくいうわたしも、この地方のことは最近までまったく知りませんでした。ところが、昨年2020年10月、テレビで連日のように映し出されたことで初めて知るようになったのです。それは9月30日から10月3日にかけてヨーロッパ各地を襲った嵐「アレックス」による衝撃的な水害の映像で、甚大な被害に見舞われたのがまさにこの沿線の村々だったのです。

2020年の歴史的水害から復活

日本に比べるとフランスは自然災害の少ない国という印象ですが、映像を見た時、(フランスでもこういうことが起こるんだ)というのが第一印象でした。そして巨大な岩の塊のような山々に囲まれて孤立している村の映像からは、同じコードダジュール地方といっても、セレブに愛されるキラキラした海辺のリゾート地のイメージとはまったく違ったもので、山奥の「隠れ里」のようなところもあるのだということを発見したような気持ちでした。

2020年10月、水害の復旧作業風景
2020年10月、水害の復旧作業風景写真:ロイター/アフロ

2020年10月7日 マクロン大統領が被災地を訪れ、住民や復旧作業に携わる人達を激励した
2020年10月7日 マクロン大統領が被災地を訪れ、住民や復旧作業に携わる人達を激励した写真:代表撮影/ロイター/アフロ

列車の車窓からは、ときおり水害の傷跡が見える(筆者撮影)
列車の車窓からは、ときおり水害の傷跡が見える(筆者撮影)

「Train des Merveilles(トラン・デ・メイヴェイユ)」、「素晴らしき不思議の国ゆき列車」とでも言えるでしょうか。災害ではこの鉄道路線も被害を受け、長く不通が続いていたのですが、5月3日に全線が再開されました。

このとき待ちに待った列車が駅に入ってくるのを涙して迎えた住民の姿がありましたが、日本人ならばなおのこと、その気持ちが手にとるようにわかる気がします。

国境の民が暮らす隠れ里

そもそもこの鉄道路線は、1800年代の半ばから計画が進められ、1928年に開通しています。ニースからアルプスを超えて北イタリアはクーネオまで通じるもので、「素晴らしき不思議の国ゆき列車」(と、勝手に命名しておりますが…)は、そのうちのフランス側、ニースータンド間を運行しています。

沿線でも標高の高いエリア、Roya(ロワイヤ)谷の北のほうは、じつは1947年にイタリアからフランス領になったというところ。中世の昔から貴族や国の覇権争いの舞台になり、領主が入れ替わったり戦争の最前線にもなったという歴史があります。鉄道もその激動の歴史と無縁ではなく、山岳鉄道という難事業がめでたく完成したものつかの間、開通から20年もしないうちに第二次世界大戦で破壊され、79年に再開通して今に至っています。

ムッソリーニ時代に建造され、いまは廃墟になった駅舎。ひなびた山間には不釣り合いな異様な姿をみせている(筆者撮影)
ムッソリーニ時代に建造され、いまは廃墟になった駅舎。ひなびた山間には不釣り合いな異様な姿をみせている(筆者撮影)

ロワイヤ谷にかかる鉄道橋(筆者撮影)
ロワイヤ谷にかかる鉄道橋(筆者撮影)

知れば知るほど懐の深い歴史をひもといてゆく気持ちになるこの地方ですが、そんな知識などとは関係なく、まっさらな気持ちでいても充分に楽しめるのがこの列車のよいところ。

圧倒的な存在感で右に左に展開する緑と岩の山々、青磁色の渓流、断崖の上に築かれたいわゆる「鷲の巣村」と呼ばれる中世の村々、そして先人の偉業に拍手を送りたくなる鉄道橋など、見どころは尽きず、2時間15分という時間はあっという間に過ぎてゆくのです。

百聞は一見にしかず。

車窓からの風景は、こちらの動画でもご覧いただけます。

取材協力/CRT Côte d'Azur France フランスコートダジュール観光局

パリ在住ジャーナリスト

出版社できもの雑誌の編集にたずさわったのち、1998年渡仏。パリを基点に、フランスをはじめヨーロッパの風土、文化、暮らしをテーマに取材し、雑誌、インターネットメディアのほか、Youtubeチャンネル ( Paris Promenade)でも紹介している。

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