シリア革命はニジェールで絶賛継続中
シリアでは、自由・尊厳・公正を求める「市民」の抗議行動はもちろん、諸外国から巨額の支援を受けた反体制武装闘争をもってしても「悪の独裁政権」を打倒する可能性が潰えて久しい。しかし、「悪の独裁政権」とその仲間たちがこの世から消えてなくならないのと同様、「革命」を夢見て活動に挺身していた(はずの)活動家や民兵たちもいなくなってしまったわけではない。彼らの一部は、シリアのアル=カーイダのシャーム解放機構に屈伏して同派の占拠地の片隅で無為に暮らし、別の一部はアメリカに養われて同国のための「汚れ仕事」に励み、さらに別の一部はトルコにやとわれて同国によるシリア占領の下請けをするようになった。シリア人民を助けてやると称して世界中から流れてきたイスラーム過激派諸派の外国人たちは、「イスラーム国」の衰退とともに家族もろとも収容施設に半永久的に収容されるようになったり、シリア人民から取り上げた住居や施設を使って平穏な暮らしを満喫したり、よそにもっといい活躍の場を見出してシリアを出て行ったりした。もちろん、紛争が原因で住居や生業を失って避難生活を送るものをはじめとする一般のシリア人民が帰還したり、生活を再建したりするめどもまるで立っていない。
早い話が、シリア「革命」を成就させて人民に自由・尊厳・公正をもたらす必要性はなくなるどころかますます大きくなっているといえるのだが、残念ながら「革命」はシリアともシリア人民の状況の改善ともまるで関係のないとんでもないところで継続し、人命を含む資源を浪費している。2024年5月16日付『シャルク・アウサト』紙(サウジ資本の汎アラブ紙)は、シリアから遠く離れたアフリカのニジェールで、トルコのために働く傭兵に身をやつしたかつての「革命家」や生活のために傭兵に加わらざるを得なくなった避難民の境遇についての記事を掲載した。「反体制派」が「悪の独裁政権」から「解放」した地域が、自由・尊厳・公正、そして経済的機会が充足した夢の「解放区」ではないことはそれが現世に現れた瞬間から明らかだった。また、トルコをはじめとする諸外国からの支援を頼りにかろうじて存続していた「反体制派」の武装勢力諸派が、専らトルコに奉仕するためにリビアにでもアゼルバイジャンにでも転戦する勇敢な人々であることもすでに紹介した。今般の記事によると、「反体制派」民兵の構成員や「解放区」の住人たちは、トルコに最も忠節を尽くすスルターン・ムラード団なる民兵に加入登録し、ニジェールの隣国のブルキナファソに送られ、そこで銃器や砲の使用のための訓練を経たのちニジェールの鉱山をはじめとする「名前も場所も知らない」場所に送り込まれて警備や戦闘に従事するのだそうだ。
記事によると、このような状態になるのは「解放区」の経済状況の悪さが原因だ。「解放区」には「トルコの民兵(傭兵といってもいい)」と呼ぶべき民兵諸派に雇われるくらいしか雇用がないのだが、その報酬が月額およそ46ドルなのに対し、ニジェールに派遣されれば報酬は月額1500ドルになる。ここから、派遣を仲介した民兵組織が350ドルほどピンハネした残りの金額が「解放区」で待つ傭兵たちの家族に送金されるのだそうだ。なお、ニジェールへのシリア傭兵派遣事業は、トルコのサーダートなる軍事コンサルタント企業が運営しているようなのだが、同社はトルコ政府が中東や北アフリカの紛争に干渉する際の道具として著名な企業らしい。ちなみに、2020年にリビアにシリア傭兵が派遣された際には、アメリカ政府が同社の活動を非難したそうだ。
紛争当事者の非国家武装主体(民族解放闘争、分離独立闘争、反乱軍、テロリスト、犯罪組織などを含む)が、本来の目的を喪失して経済的権益や資源の獲得のためだけに活動するようになる事例は、中東だけでなく様々な紛争で観察されている。ここで挙げた「トルコの民兵」に堕した「反体制派」についても、このような既存の知見に新しい例を追加するだけのものに過ぎない。もちろん、「反体制派」民兵がトルコに奉仕してどこかで戦い続け、経験を積み、お金を稼ぎ、組織を存続させることは、いつか来るかもしれない好機を待つためにシリア「革命」を継続する崇高な営みだと強弁することもできるだろう。とはいえ、本稿で紹介した記事で取材に応じた傭兵は、いずれもこの仕事で稼いだお金を元手に戦闘員をやめたいとか、シリアでも他所でも兵士として危険に身をさらすのは嫌だと語っているので、シリア「革命」の継続や完遂を声高に唱えられるのは、現場の経済的困窮や「革命」とは無関係の汚れ仕事で死傷する危険から遠い安全地帯にいる者たちだけなのかもしれない。