日本人はなぜ「政治とカネ」に色めき立つのか、「金権腐敗政治」の源流を探る
フーテン老人世直し録(753)
皐月某日
自民党は17日、派閥のパーティ資金裏金事件を巡り政治資金規正法改正案を単独で衆議院に提出した。20日には立憲民主党と国民民主党が共同で改正案を提出し、特別委員会で審議が始まることになる。
フーテンはこの事件が発覚した当初から、政治資金規正法の改正で規制や罰則を強化しても、必ず抜け道ができて事件は根絶できない。行政権力と司法権力を喜ばせるだけで、民主主義の強化にはつながらないと主張してきた。
東京地検特捜部の摘発は、黒川弘務元東京高検検事長の定年を延長し、検察人事に介入しようとした安倍元総理と菅元官房長官の両者に対する反撃というのがフーテンの見方である。同時に秋の自民党総裁選で再選を望む岸田総理のライバル潰しを狙ったものでもある。
特捜部はまず昨年夏に洋上風力発電汚職で秋本真利衆議院議員を逮捕し、総裁選挙で岸田総理の最大のライバルである河野太郎氏とそのバックにいる再生エネルギー派の菅前総理に打撃を与えた。それに次いで昨年暮れに安倍派の派閥パーティ資金裏金事件に取り組んだのだ。
特捜部の目的は、裏金還流の真相解明ではなく、政治資金規正法の規制と罰則の強化にある。だから還流の真相に切り込まず、岸田総理もこれを派閥解消に利用し最大派閥を解体しただけで、政治資金規正法改正と連座制の導入に前向きな発言を繰り返してきた。
ところが野党はそれに乗せられ、規制と罰則の強化に自民党より厳しい姿勢で取り組もうとしている。それをしないと国民から強い反発を食うからだ。しかしよく考えて欲しい。政治資金規正法の「規正」は「規制」ではない。
「規正」とは正しくすべしという意味で、法の趣旨は政治資金を国民に正直に公開させることにある。政治家は国民に政治資金の入りと出を公開し、国民はそれを判断材料に選挙で誰に投票するかを決める。それが政治資金規正法の持つ意味だ。
規制や罰則を強化すると何が起こるか。検察権力が強化される一方、正直に公開するより規制をかいくぐり罰則に触れないようにしようとする政治家が出てくる。そのため政治資金は闇に潜り、国民の目の届かない世界になる。
民主主義政治で政治家の生殺与奪の権を握るのは国民である。それを検察権力に握られたら民主主義ではなくなる。規制や罰則を強化すれば、検察の意図的な捜査が拡大され、政治への影響が深刻になる恐れがある。
09年の民主党への政権交代で何が起きたか。政権交代直前に小沢一郎代表の秘書が検察に逮捕されて辞任を余儀なくされ、代わって代表になった鳩山由紀夫氏も母親の違法献金が暴露されて大きく躓くことになった。
野党は本来の「規正」に立ち戻り、政治資金の公開に力を入れるべきである。ところがそれができないのは、国民の多くが規制と罰則の強化を求めるからだ。なぜ国民は「規正」ではなく「規制」を求めるのか。
GHQ統治下の占領時代にできた政治資金規正法は「規正」を重視していた。当時は大企業が交際費名目で与党自民党の政治家を支え、労働組合が野党政治家を支えた。日本の民主主義は企業・団体献金によって支えられていた。
ところが1975年に田中角栄元総理が「金権政治家」と批判されて退陣し、三木武夫政権が初めて政治資金規正法改正に手を付けた。献金額の規制が導入され、個人献金は5万円以下に制限された。企業・団体献金よりもパーティで政治資金を集めるやり方が推奨されるようになった。
献金額が制限された結果、仮名や偽名での献金が増えた。鳩山由紀夫氏の母親はその典型例である。富豪の母親に政治を歪める意図はなく、ただ息子を応援したかったが、献金は5万円しか認められない。それで他人名義を使う違法行為に手を染めた。
パーティの金額規制は20万円までとされ、企業や団体は20万円以下なら名前を出さずに献金できる。しかも資金集めパーティは政府が奨励している。それが表には出ない裏の政治資金を作り出す。
当時フーテンはロッキード事件を捜査する東京地検特捜部を取材していた。ロッキード事件は、特捜部が疑惑の中心であるロッキード社の秘密代理人児玉誉士夫に手をつけず、つまり真相解明をしないのに、田中元総理を逮捕したことで国民が熱狂した。特捜部は称賛され、田中氏は「金権腐敗政治家」のレッテルが貼られた。
野党は裁判が確定していない「推定無罪」の段階で、議員辞職勧告決議案を国会に提出し、田中氏を政界から追放しようとした。戦前の帝国議会が「反軍演説」を行った斎藤隆夫衆議院議員を除名したのと同じ愚行である。当時の社会党、共産党、公明党、民社党をフーテンは民主政治を破壊する勢力と批判した。
アメリカでは政治資金を集める能力のある政治家が最も政治家にふさわしいとされる。だから政治資金獲得競争が公然と行われる。政治資金に裏も表もない。ところが日本はその逆だ。政治資金を集めることが悪であるかのように言われ、だから裏金が生まれる。
日本人が「政治とカネ」に厳しく反応するルーツを調べると、日本に議会政治が始まった頃、薩長藩閥政府から恐れられ「金権腐敗政治家」のレッテルを貼られた星亨という政治家に突き当たる。
星は官僚政治に対抗して民主政治を目指したが、官僚と新聞の宣伝を信じた国民によって斬殺された。日本の民主主義政治がなぜうまく機能しないのかを考える時、星は避けて通れない政治家である。しかし「金権腐敗」のレッテルを貼られたためか国民にはほとんどその存在が知られていない。
星は幕末に江戸の左官屋の子供に生まれた。つまり貧民の出である。黒船来航で英語のできる人材を必要とした幕府の英語学校で英語を学び、明治維新の頃には英語教師をしていたが、後に外務大臣となる陸奥宗光と知り合ったことで大蔵省の役人になった。そこで英国留学を命ぜられ、英国で弁護士資格を得て帰国する。
明治の日本は薩長出身者が政府の要職を占め、ドイツのビスマルクから教えられた官僚政治で「富国強兵」の国づくりをした。これに対し議会政治を主張したのが土佐の板垣退助らで、自由党を設立し、議会開設を求める自由民権運動を始めた。
官僚政府が「富国強兵」を政策の柱としていたのに対し、自由民権派は「民力休養」つまり財政の無駄をなくして減税を行い、国民生活の安定を訴えた。星は自由党に入党して頭角を現していく。
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