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政治資金規正法改正は必ず抜け道ができる。それより国会は森喜朗元総理を喚問すべきだ

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(752)

皐月某日

 月刊『文芸春秋』6月号が森喜朗元総理のインタビュー記事を掲載した。聞き手はノンフィクション作家の森功氏で、タイトルに「真相を語る240分」とあるから4時間もの長いインタビューを12頁の記事にまとめたものだ。

 今回の政治資金規正法違反事件の中心人物は森氏とみられている。しかし誰も森氏を国会に喚問しようとせず、喚問されたのは森氏に付き従ってきた小物政治家ばかりだ。彼らは「知らぬ、存ぜぬ」を繰り返した。

 そこで岸田総理が森氏に電話をしたが、「関与は確認できなかった」というだけで、そこから先の進展がない。野党は口先では「真相究明の必要性」を主張するが、それよりも末端の裏金受領議員を政倫審に呼ぶパフォーマンスに力を入れている。

 つまり今回の事件は、東京地検特捜部を筆頭に、与党も野党も誰も真相解明をしようとしない。そして真相が分からぬまま、自民党は裏金議員を処分し、国会では政治資金規正法改正の動きが始まった。政治への怒りの声が巷に渦巻いているからだ。

 半世紀近く前になるが、フーテンはロッキード事件を捜査する東京地検特捜部を取材し、その後もダグラス・グラマン事件やリクルート事件、佐川急便事件、金丸事件、陸山会事件などを注視してきた。

 フーテンの経験からすると、特捜部の捜査は常に政治的で公正な捜査とは言い難い。ところが野党とメディアは特捜部を正義の味方のようにもてはやし、国民は必ずそれに乗せられる。

 ロッキード事件では中曽根康弘氏を、ダグラス・グラマン事件では岸信介氏や福田赳夫氏を特捜部は摘発しなかった。ロッキード事件は捜査終了宣言が出されなかった。田中角栄逮捕で事件を終わらせることに現場の検事たちが反発したからだ。

 ダグラス・グラマン事件では、米国証券取引委員会が収賄政治家名を公表したが、日本の検察は証拠不十分として摘発しなかった。特捜部の捜査は必ずしも事件の本命を摘発するとは限らないのだ。

 特捜部はメディアを使って国民を操り、官僚主導の政治に障害となる政治家を排除する。一方で、国民は「政治とカネ」の話になると、眠っていた目がぱっちり開き、汚れた政治家を追放しろと叫んで、法律を厳しくする動きを加速させる。

 しかし法律を厳しくしても「政治とカネ」はなくならない。必ず「抜け道」ができて、何年かすると再び大がかりな事件を特捜部が摘発する。するとまた眠っていた国民の目がぱっちり開き、法律をさらに厳しくするが、再び何も変わらない。その繰り返しをフーテンは半世紀近くも見せられてきた。

 今回の事件が特異なのは、個々の議員の不祥事ではなく、安倍派が長年にわたり派閥のパーティ資金の一部を所属議員に還流し、それを個々の議員に不記載にするよう強制してきたことだ。

 派閥がパーティ券の売り上げにノルマを課し、ノルマを超えた分を所属議員に還流することに違法性はない。しかしそれを不記載にして裏金化したところに問題がある。しかも何人かの議員からは、自分の収支報告書に記載して表に出したところ、派閥の事務局から不記載にするよう強制されたという。

 さらに参議院選挙の年には参議院選挙の候補者全員に全額が還流されていた。つまり安倍派は参議院での議席増に力を入れ、他派閥より選挙費用で有利になる仕組みを作っていた。

 この仕組みを誰がいつ作ったのか。派閥ぐるみで不記載にした目的は何か。それがこの事件のポイントである。そして森氏が会長に就任してからこの仕組みが始まったと複数の議員が証言した。森氏は何を言うのか、期待して記事を読んだ。

 フーテンの疑問の第一は、森氏が国会で証言せず、雑誌のインタビューで弁明したのは何故かである。インタビュー冒頭で森氏はこの事件を「自民党の名誉にかかわる問題」、「国を亡ぼす事態になりかねない大罪」との認識を示した。その認識は間違っていない。

 続いて森氏は、若い議員が選挙区で受けている苦しみの一端を自分も負うためにインタビューで追及を受け、また大罪の一端が自分にあると言われた以上、真実を話さなければならないと語った。

 そこまで言うのなら、総理にまで上り詰めた人物が真実を語るべき場所は国権の最高機関である国会だ。それをせず雑誌で弁明して終わりにするなら不名誉の汚名は子々孫々にまで続く。冒頭部分を読んで、今からでも国会は森氏を喚問して弁明の場を与えるべきだとフーテンは思った。

 なぜなら森氏は「裏金作りは清和政策研究会が始めたものではありません。長い間に、個々に議員や秘書の間に伝わって来たものです」と言い、「岸田総理も、私の関与がなかったことについては、だいたい分かっているんです」、「仮に国会の証人喚問に呼ばれても、知らないものを知っているとは言えない。磔にされ、拷問に遭っても、ないものをあるとは言えません」と語っている。

 それほど信念を持って言い切れるなら、やはり雑誌のインタビューではなく、国会喚問に応ずるのが疑惑を晴らす最善の道だ。そこで国民の中にある疑念をきれいさっぱり洗い流すべきだ。そしてその場が設定されれば、フーテンには聞いてみたいことが色々ある。雑誌のインタビューだけでは分からないことがあるからだ。

 例えば、森氏は「私も2000年に総理になる前は党幹事長や政調会長、総務会長、閣僚とずっと派閥から離れていた」と語った。だから派閥の仕事にはあまり関わっていないと言いたいようだ。

 しかし森氏が三塚博氏の後を継いで派閥の会長に就任したのは、森氏が幹事長時代の1989年12月だ。党幹事長だった時に派閥の会長になった訳で、派閥から離れていたのではなく、まさに派閥のど真ん中にいた。

 森氏は「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」の責任を取り大蔵大臣を辞任して落ち目になった三塚会長に、禅譲を要求して会長に就任したと言われる。その時、森氏は三塚氏からどのような引継ぎを受けたのか。三塚派時代にも裏金があったという噂がある。派閥のパーティ券を売れば半分は議員が自分のポケットに入れていたというのだ。

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「フーテン老人は定職を持たず、組織に縛られない自由人。しかし社会の裏表を取材した長い経験があります。世の中には支配する者とされる者とがおり、支配の手段は情報操作による世論誘導です。権力を取材すればするほどメディアは情報操作に操られ、メディアには日々洗脳情報が流れます。その嘘を見抜いてみんなでこの国を学び直す。そこから世直しが始まる。それがフーテン老人の願いで、これはその実録ドキュメントです」

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:5月26日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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