天下を取ったお市の方の子孫
24日の大河ドラマ「どうする家康」で、お市の方を演じた北川景子が茶々(淀殿)役で再登場した。
お市の方は賤ヶ岳合戦で柴田勝家が敗れた際に北庄城で勝家とともに自害、お市の方の3人の娘、茶々、お初、お江は助けられ、秀吉のもとで養育された。
落城の際に子役の茶々が「天下を取る」と発言していたが、実際お市の方の子孫は天下を取っている。
長女の茶々は秀吉の側室となって秀頼を生み、淀城に入って淀の方(淀殿)と呼ばれた。そして、秀吉没後は大坂城の事実上の城主として、天下を動かそうとした。しかし関ヶ原合戦で敗れ、さらに大坂の陣を引き起こして豊臣家そのものを滅ぼしたのは周知とのとおり。
血筋で天下を取ったお江
それに対して三女のお江は自らの血筋で天下を取った。
そもそも、お江の生涯はよくわからないことも多い。名前も、かつては「小督」という名前で登場することが多く、人名事典では法名の崇源院という名前で収録されていることが多い。しかし、2011年の大河ドラマ「江 ~姫たちの戦国~」以降、「お江」という名前が広く使われるようになった。
お江の特徴は、その縁戚関係にある。なにしろ、伯父が織田信長、義兄(姉の夫)が豊臣秀吉、義父(夫の父)が徳川家康である。戦国の三英傑をすべて身内にした人物はあまりいないだろう。
お江の生涯
結果的にみると栄華を極めたお江だが、そこにたどり着くまでは数奇な運命をたどった。
生まれた直後に小谷城が落城、実父を知らずに育ち、12歳で佐治一成に嫁いだ後、秀吉によって離縁させられ、秀吉の養子羽柴秀勝と結婚したものの、秀勝は朝鮮出兵で死去。そして、徳川家康の嫡男秀忠と3度目の結婚をした。
しかも、実父浅井長政は伯父の織田信長に討たれて自刃、再婚した実母は豊臣秀吉に敗れて落城で自害し、自らは両親を滅ぼした相手に養育されるなど、このうえない波乱万丈の人生を送っている。
しかし晩年には、徳川3代将軍家光は実子である他、娘の千姫は豊臣秀頼に嫁ぎ、和子(東福門院)は後水尾天皇に女御として入内して後に中宮となり、第109代明正天皇を生んでいる。
つまり、江戸初期において将軍と天皇はお江の子と孫だった。なお、女性天皇であった明正天皇は結婚せず、現在の天皇家と直接にはつながってはいない。