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なぜロシアは‘デスノート’や‘異世界アニメ’を禁止するか――強権支配が恐れるもの

六辻彰二国際政治学者
ハリウッド版「デスノート」プレミア試写会入り口のカーペット(2017.8.17)(写真:Shutterstock/アフロ)
  • ロシアは日本アニメを最も規制している国の一つで、とりわけ異形の者や異世界を扱う作品が規制されやすい。
  • その最大の理由は、「目に見えない世界」に多くの人が惹きつけられることが、プーチン政権にとって大きな脅威になるからとみられる。
  • これまでの歴史を振り返ると、「目に見えない世界」を認めない強権的な権力者は、やがて行き詰まりやすい。

 ウクライナ侵攻で世界の注目を集めたロシアは、この数年、日本アニメを最も規制している国の一つでもある。とりわけ異形の者や異世界を扱う作品ほど禁じられやすいが、これは強権的なプーチン政権にとって大きな脅威となりかねないからとみられる。

「デスノート」規制の背景

 日本の漫画やアニメは世界中に普及しており、ロシアもその例外ではない。昨年11月、コロナ下でも日ロの大学生がクラウドファンディングで資金を集め、J -Anime Meetingをオンラインで開催するなど、文化交流の一翼を担っている。

 その一方で、規制される作品もあり、ロシアの裁判所は2021年1月、「DEATH NOTE(デスノート)」の放送・配信、および書籍販売を禁じた。「暴力的な描写が若者や子どもの精神に悪い影響を与える」というのが理由だった。

 そこに名前を書かれた者は死ぬというノートを手に入れた夜神月(やがみらいと)と、彼だけにみえる死神リューク、そして事件を追う世界一の名探偵L(エル)を中心に展開する「デスノート」は、「‘世の中のためにならない者’を裁き、理想の世界を目指すことは正義か、殺人か」を問いかけるもので、漫画だけでなくアニメ、小説、映画、ミュージカルにもなった。

 しかし、ロシアでは2013年にデスノートファンの少女が自殺したこととこの作品の世界観や描写が結びつけられ、保護者から禁止を求める声が強かった。

 また、中国やアメリカではとりわけ中学生の間で「デスノート作り」が流行し(教師の名前が書かれることが多かった)、地元警察が注意喚起することもあった。その結果、中国でもやはり禁止されている。

ロシアで進む日本アニメ規制

 もっとも、ロシアは「デスノート」以外も多くの日本の漫画やアニメを規制しており、その数の多さでは世界屈指といえる。

 例えば、「デスノート」を禁じた昨年の裁判所の判決では、同時に「東京喰種トーキョーグール」と「いぬやしき」も発禁にされた。検察官によると「全てのエピソードが残虐行為、殺人、暴力で構成されている」。

 それ以前から、ロシアではすでに「進撃の巨人」(中国でも禁止)、「AKIRA」(地上波のみ禁止)、「モータルコンバット」なども配信や放送が規制されてきた。また、「NARUTO」、「エルフェンリート」、「異種族レビュアーズ」などに関しても検討中といわれる。

 さらに、多国籍のアニメファンで編成されるニュースサイトAnime Corner によると、「この素晴らしい世界に祝福を!」、「ゾンビランドサガ」、「転生したらスライムだった件」などは、全面禁止ではないものの、当局が問題あると判断したエピソードがピンポイントですでにブロックされている。

「規制ありき」の規制

 なぜロシアでは数多くの日本の漫画やアニメが規制されるか。

 規制された作品の多くに、暴力的な描写や残虐シーンが目立つのは確かかもしれない。

 また、作品によってはロシア正教会が眉をひそめる要素が含まれる。デモーニッシュな風貌や設定のキャラクターは、それだけでアニメになじみのない教会関係者には拒絶反応があるだろうし、同性愛や性的な描写もそこに含まれる。

 さらに、「異世界もの」に描かれる生まれ変わり、転生は、キリスト教がその黎明期から否定してきた教義でもある(その意味ではローマ・カトリックやプロテスタントも同じ)。

 ロシア・ナショナリズムの基盤としてロシア正教会を利用するプーチン政権(ここが中国との違いかもしれない)にとって、こうした内容が好ましくなかったとしても不思議ではない。若い世代に人気があればあるほど、なおさらである。

 しかし、「教育上好ましくない」のならR指定にするといった対応もあり得るはずだが、それをスキップして発禁となると、これは「規制ありき」となってくる。

「目に見えない世界」を嫌う権力者

 なぜロシア政府はこれらの作品を目の敵にするか。

 これを考える手がかりは、人間ではない異形の者が登場したり、日常とかけ離れた異世界(あるいは核戦争などによる大破壊後の世界)が舞台になったりする作品が、規制対象に目立つことだろう。

 こうした作品には「目に見える世界だけが世界ではない」という前提がある。

 ところで、「目に見えない世界」を嫌い、敵視した権力者はプーチンだけではない。「独裁者」の典型ともいえるヒトラーは、画家を志した経験を持ちながらも、古典的、写実的な芸術しか認めず、これにそぐわないモダンアートを弾圧したが、そのなかでもとりわけ敵視されたのがシュルレアリスムだった。

 アンドレ・ブルトンが1924年に発表した「溶ける魚」を旗頭とするシュルレアリスムはフロイトの精神分析の影響を受け、血を流す小鳥といった不気味なモチーフ、不安を抱かせる題材を積極的に取り上げ、従来は無意味とされてきた夢や無意識にスポットを当て、内面世界の表面化を目指した。

 20世紀最大の芸術運動ともいわれるシュルレアリスムは、(芸術関係者からの批判を覚悟で)ラフにいえばやはり「目に見える世界だけが世界ではない」ことを前提にしていたといえる。

 こうしたシュルレアリスムなどのモダンアートをヒトラーは「退廃的」と断じ、ドイツ中の美術館から一掃したのである。

「現実」の支配者は何を恐れるか

 なぜ「独裁者」は「目に見えない世界」を嫌うのか。それは「独裁者」が人々の内面まで支配しようとすることに原因がある。

 「独裁者」と呼ばれる権力者は一般的に、抗議活動といった外面的な反対を力ずくで押さえ込むだけでなく、ものの良し悪しやどんな世界を目指すべきか、極端にいえば「何が現実か」までコントロールしようとする。

 それはいわば、何がこの世の現実なのか、何がその国にとっての利益なのか、などの認識を一元化しようとするものといえる。

 例えば、ヒトラーは「ユダヤ人と共産主義者の陰謀」を「現実」として国民に受け入れさせ、その迫害を「正義」として共有させた。それは外面的な支配だけでなく、内面的な支配でもあったのだ。

生誕地リンツを文化都市に生まれ変わらせるための計画を練るヒトラー(撮影日不明)。
生誕地リンツを文化都市に生まれ変わらせるための計画を練るヒトラー(撮影日不明)。写真:Shutterstock/アフロ

 国民の内面まで統一することで「指導者と国民は一体」という建前が完成し、彼らは決して「独裁者」ではないという理屈になる。

 だからこそ、ヒトラーはシュルレアリスムを敵視したといえる。その前提になった「目に見える世界だけが世界ではない」という考え方は、「目に見える世界」の支配者であるヒトラーの正当性や権威を否定し、彼の描く「現実」を空疎なもの、虚しいものにしかねなかったからだ。

プーチンとヒトラーの共通性

 「現実を直視しろ」とはよく聞く言葉だが、何が現実かは一様ではない。同じ事象でも認識によって差が生まれるからだ。

 「独裁者」はこれを無視して、国民を自分の世界観で染め上げようとする。こうした権力者にとって、外面的には従順でも内面で別のことを考えている者は、大きな脅威といえる

クリミア併合とそれを進めたプーチン大統領を支持するロシア市民によるデモ(2014.3.2)
クリミア併合とそれを進めたプーチン大統領を支持するロシア市民によるデモ(2014.3.2)写真:ロイター/アフロ

 この観点からロシアのアニメ規制を振り返ると、プーチン政権は多くの国の見方とかけ離れた「クリミアはロシアのもの」という「現実」で国民を染め上げようとしてきた。

 しかし、(クリエーターが何を意図するかにかかわらず)「デスノート」をはじめ、異形の者が躍動し、異世界に人が転生する物語に多くの人が惹きつけられる状況は、こうした「目に見える世界」にさしたる関心をもたないばかりか、権力者の叫ぶ「現実」に背を向ける人が多いことを示唆する。

 その意味で、異形の者や異世界を扱うこと自体、プーチン政権にとっては「目に見える世界」の支配者である自分の権威や正当性を損ないかねない危険思想といえる。

 「目に見えない世界」に対するプーチン政権の拒絶反応には、シュルレアリスムを忌避したヒトラーと同じ傾向を見出せるだろう。

グロテスクなのは誰か

 補足していうと、戦前・戦中の日本でも似たような状況はあった。

1930年代の浅草。当時、文化の発信地の一つで、乱歩もよく通ったといわれる(撮影日不明)。
1930年代の浅草。当時、文化の発信地の一つで、乱歩もよく通ったといわれる(撮影日不明)。提供:MeijiShowa/アフロ

 大正から昭和初期にかけて耽美的、幻想的、猟奇的なテーマの絵画、小説、演劇が大衆的な人気を博し、エログロナンセンスと呼ばれた。こちらはシュルレアリスムほど精緻な理論があったわけでなく、より通俗的ではあったが、やはり「目に見えない世界」に強く惹かれる点で共通した。

 エログロナンセンスは軍国主義の台頭で「退廃的」と批判され、共産主義的なプロレタリア文学(「蟹工船」など)などとともに弾圧されが、その一人には江戸川乱歩がいた(コナンの姓の由来でもある)。

 その作家生活の中期から後期にかけて発表された「怪人二十面相」「少年探偵団」など子ども向け作品がよく知られる乱歩だが、初期から中期にかけての成人向け作品の題材には猟奇殺人や性的倒錯が目立った。

 とりわけ異彩を放ったのが「芋虫」(1929)だ。戦争で手足を失った傷痍軍人とその妻の閉ざされた生活を描いたこの短編小説は、描写やストーリーにアブノーマルさとグロテスクさが目立ち、後に発禁処分を受けたが、その一方で戦争への批判と純愛を読み取ることもできる。

 当時の軍部は戦争やそのための犠牲をことさら美化していた。その軍部による発禁処分に、乱歩が「本当にアブノーマルでグロテスクなのは誰だ」と言いたかったとしても不思議ではない。乱歩の好んだ言葉が「昼は幻、夜の夢こそまこと」だったのは示唆的である。

 もちろん、現在の日本でも規制がないわけではなく、あらゆる表現が認められるべきかどうかは別問題だ。

 しかし、日本やドイツのかつてきた道を振り返れば、「目に見える世界だけが世界ではない」ことを認められない権力者は、むしろ強迫観念のもと、自分が描いた「現実」にひたすら突っ込むことで、かえって行き詰まりやすいといえる。だとすると、ロシアにおける日本アニメ規制は、プーチン体制のさらなる強権化とともに、その揺らぎをも象徴するのである。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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