家族に片付けられるようになってもらいたいのは何のため?
自分は一生懸命片付けをしているけど、家族が片付けられないのでなかなかすっきりしない、家族みんなに片付けができるようになってほしいと言う人は多いです。
確かに、みんなが片付けるようになれば家の中は整いやすくなります。
しかし、「片付けられるようになってほしい」と願うのは自分だけということもあります。家族は無関心。
そこで、あなたが「家族に片付けられるようになってもらいたいのは何故なのか?」を今一度振り返ってみましょう。
将来困らないために?
子どもが片付けられないと大人になったら困るから。
妻が入院した時に夫が自分の身の回りのことができないと困るから。
などと心配して、母だったり妻だったりがヤキモキしているケースもよくあります。
これについて私は、冷たいようですが「勝手に困ればいいのでは?」と考えており、実際にそうしています。そこまで甲斐甲斐しく世話は焼きません。
その「世話」は、実はお節介になっていませんでしょうか?
他人を変えるのは無理です。それよりも、四六時中イライラして「片付けなさい」とか「片付けられるようになってよ」という話ばかりで、家の雰囲気が悪くなるほうが問題です。
「やらされ感」に良いことはひとつもありません。
ただし、子どもに関しては、私は1歳頃から「元に戻しごっこ」として片付けを遊びに取り入れておりました。遊びなら子どもは夢中になってやります。
「片付けさせよう」とするからうまくいかないのではないでしょうか。
自分がラクしたいから?
本当は自分も片付けなんかしたくない、できれば家族がやってほしい。
家族ができるようになってくれれば、自分はやらなくて済むのに。
これだと、爆弾ゲームのように、他の誰かに押し付けようとしているようなものです。
自分がラクをしたいから他の人にやらせようという下心があると、それは簡単にバレてしまいます。
人と人との間で損得勘定はしないほうがよいです。
あくまで、「みんなが快適に過ごせるように」という全体を捉えた目で見ることが大切です。
これはキレイごとに聞こえるかもしれませんが、実際に最後は全員の「ラク」につながります。
「みんなが快適に過ごせる家にしたい」の注意点
「みんなが快適に過ごせるように」と先ほど述べました。王道の考え方ではあります。しかしここには注意点がひとつだけあります。
そもそも「片付いた状態=快適」と、全員が思っているとは限らない、ということです。
関心の薄い人はそこまで考えていない場合がほとんどではないでしょうか。
片付けに関する価値観は共有できているか?
片付けをしないことでどんな困ったことが起こるか?片付けることでどんな良いことがあるか?
片付けに対するそれぞれの価値観をお互いに知っておきます。
必要性を感じていなければ、アクションには至りにくいです。世話を焼くのは逆効果の裏付けでもあります。
説得より巻き込み
私は幸か不幸か片付けが好きなので、できれば家じゅうの片付けは全部自分がやりたいと思っています。(人の物は勝手にできませんのでしませんが)
食器洗いは特に好きなので、ほぼ自分がやっております。やりたくてやっているので満足な状態です。
自分の姿を客観的に見ておりませんが、やりたいことをやっているので、恐らく悪い空気は漂わせていないはずです。
また、普段から使った物が元に戻っている状態だと、たまたま戻っていない物が1個でもあると悪目立ちします。
そうすると気が付いた人が自然と戻すようになります。散らからない良循環です。
片付けが好きな人が1人でもいれば、自然と伝染して巻き込みが起こります。説得するよりはるかに効果的です。
家族にも片付けができるようになってほしいと思っている人は、まずは自分自身が片付け大好き人間になって夢中で片付ける日々を送ってみませんか?
さらに新たな変化へ
寝食を忘れるほどとことん自分自身と向き合って片付けを行うと、ある変化が起こります。
それは、良い意味で「家族が片付けないことがどうでもよくなる」ということです。
自分の軸で片付けの本質を追求していくと、自分以外の人の問題(と思えること)は、問題ではなくなるのです。